31 真実と信用
「ばっ」
シェリルは馬鹿と叫びかけてから、オーティスの存在を思い出して、自らの口を慌てて手でふさぐ。
「ど、どうして私の精霊が蜘蛛なのよ」
「どうしてかと聞かれましても、精霊と話ができるわけではないので、私にはわかりません」
言葉を交わすことができたら、今までほとんど情報がなく謎に包まれている精霊の生態について知ることができる。
何よりも、精霊喰いの情報を集められるし、誰が王妃と繋がっているか、それがわかるかもしれない。
しかしそう思ったところで、希望通りにはならないのが現状だ。残念ではあるが、それはどうしようもない。
(精霊のいろいろについては、今度女神様と会った時にでも聞いてみよう)
疑問に思ったことを忘れないように、クララはイルサに紙とペンを用意してもらい、メモをとる。
「クララの加護は精霊の姿を見ることだけなのか?」
「はい、いまのところはそうですね。ですが月精霊の黒ウサギだけは身振り手振りで交流することができています」
「なんですって! ちょっと待ちなさいよ」
先ほどから落ち着きがなく、怖い顔つきをしていたシェリルが急に立ち上がったので、クララは驚いて見上げた。
「どうしたんですか、シェリル様?」
(精霊と交流ができるなんて、おかしいと思われているのかな)
「私が蜘蛛で、どうしてクララの精霊がウサギなのよ。そんなの信じられるわけがないでしょう。こっちが見えないからって適当なこと言っているんじゃないわよ」
(やっぱり……)
「私は見たままをお伝えしているのですが……信じてもらうにはどうしたらいいのかわかりません。シェリル様の精霊は本当に強そうで格好いいんですよ。それに、蜘蛛って益虫ですしね」
「益虫!? って、何を言っているのよ、ばっ」
再び、馬鹿じゃないのと言いそうになったシェリルは、はっとしてから自分の頭を両手で抱える。そして注目している二人を見た後、すぐにソファーへ着席した。
「も、もういいわ。とりあえず精霊のことはあとでじっくり聞くから!」
「はい」
このまま話を続けていると、この場でオーティスに聞かれてはならないほどの暴言を吐きそうだと思ったシェリルは、問い詰めるのをやめる。
「王太子殿下、取り乱したことをお詫び申し上げます」
そしてすかさず謝罪した。
「いや、よい。気にするな」
この部屋の中で、シェリルの気持ちがわかっていない者はクララ一人だけである。
伯爵家にいたころ昆虫の観察が趣味になっていたクララは、人によっては目に入れるのもおぞましいと思うほど虫が嫌いであることに考えが及ばなかったので、シェリルが何を興奮しているのかわかっていない。
オーティスもイルサも、一般的な女性が蜘蛛を毛嫌いしていることは承知しているので、話の流れから自分の精霊の姿が蜘蛛だと言われてしまったシェリルには同情していた。
それと同時にオーティスはやはりこの二人はいうほど仲がいいとは思えないと感じていた。シェリルはクララのことを呼び捨てにしているのに対して、クララのほうがシェリル様と呼んでいることも気にかかっていたからだ。
イルサも、癇癪もちのシェリルには、正直に話すのではなく、茶色く可愛い動物、例えばリスとでも言っておけば機嫌がよかっただろうにと思っていた。どうせわからないことだし、シェリルは面倒なので、自分だったらそうする。と考えながら話を聞いていた。
「これは忠告だが、クララに精霊が見えることは誰にも言わないほうがよいと思う。信じない者からは妄想癖があると誤解されるかもしれないからな。それから今あったように、クララの言葉が真実だったとしても、相手が納得できないような返事をすれば、それを責められ、クララ自身が傷つくことになるだろう」
(それはオーティス様がそう思っているから? 精霊の存在がわからない人たちに、それを伝えるのはとても難しいことなんだわ。シェリル様も同じ感じだし)
七妃たちが決して良い関係性でないことをオーティスも知らないわけではない。どこか抜けているクララが、このことで他の七妃から非難を浴びる前に、本人が自覚をして自重したほうがよいと思い注意をしたのだが、それを言われたとうの本人であるクララは、オーティスとの間に信用という大きな壁が立ちはだかっているように感じていた。
「そうですね。今後は気をつけようと思います」
仲間をつくるためには、精霊喰いという信じがたい存在について伝える必要がある。しかもその宿主は王妃なのだ。
(それがどれだけ大変ことなのか、私は考えが甘かったかもしれない)
目の前の二人の言動を見て、クララは頭を悩ませることになってしまった。
(信用されるためにはどうすればいいのだろう……)
結局、精霊の話はそれ以上掘り下げられることもなく終了した。
その後、クララたちは香りと渋みの強い茶葉を使用したミルクティーでのどを潤し、オーティスの本来の用件である話に入ることになった。
「私の話は昨日の事件についてだ。クララが気にしていた犯人がつぶやいたという言葉だが、自白した侍女はそんなことを言った覚えがないと言っているらしい。クララにとっては恐ろしい状況であっただろうし、聞き間違えということはないだろうか?」
「いいえ」
クララはしっかりと否定する。
「自白した侍女が、言った覚えがないというのは当たり前なんです」
「だったらなぜ、先ほどは否定をしたのだ。クララは聞いたといいながらも、侍女の覚えがないという発言は肯定している。それでは辻褄があわないと思うのだが?」
「それは彼女が実行犯ではないからです」
「なんだと!?」
解決したはずの突き落とし事件。それをクララが覆そうとしている。
「昨晩は事件のことを一晩中考えておりました。安心な場所で冷静になってみると、あの侍女も、私が聞いた声の主とは違っていたことに気がついたんです」
「それは本当か?」
「間違いなく彼女は別人だと証言できます」
「別人だとしたら、あの侍女はなぜ自白などした?」
「それはきっと犯人の代わりになったんだと思います」
クララの話はオーティスにとって予想外であるとともに、シェリルにとっても衝撃をもたらしていた。罪をなすりつけられた事件がまだ終わっていないと言われて、その事実に戸惑いを見せていた。
口を挟みたい気持ちを必死に抑えて、クララの言葉を聞き洩らさないようにと耳を傾けていたのである。
「その侍女がたとえ私を落とした犯人の仲間だったとしても、実際に手を下したわけではありせんから冤罪で裁かれることがあってはならないと思います。オーティス様には、いま一度ご再考と調査をお願いしたいのですが」
「何か理由があって、クララがその侍女をかばっているわけではないのか?」
「私への加害については無実ですが、土の宮の侍女がシェリル様を聖域に連れていき貶めたことは事実なので、かばうつもりはありません」
「被害者であるクララがそこまで言うのであれば、もう一度きちんと確認する必要があるのだろうな。わかった、この件はもう少し調べてみる。時間をくれないか」
「ありがとうございます。でしたらこれをお持ちになってください」
クララはオーティスに一枚の紙を手渡す。
「これは?」
「犯人がはいていた靴です。思い出したので描いておきました」
そこには実行犯のスカートの裾から靴までの部分が描かれていた。
侍女服らしきスカート丈、靴は履き口の革の部分に折り返しがあり、そこに細工のついた金具がついている。中央には組紐の飾りがあって特徴的な形をしているので、この絵だけで犯人までたどり着ける可能性は高い。
そして、この事件の全容が解明すれば、その黒幕が王妃であることにたどり着く。疑いの目を向けてもらえば少しはクララの言葉を信用として聞いてもらえるのではないだろうか。そんな期待を持ちながら、クララは頑張って絵を描いておいた。
「わかった、では預かっておく」
「よろしくお願いします」
(オーティス様には少しづつでもいいから真実を知ってもらわないと。それに、銀ネズミさんが私に訴えているのは、精霊喰いについて何かを知らせたいからなんだと思うもの)
クララの言葉で事件は振り出しに戻ることになった。
この件に関してオーティスが動けば、王妃は精霊宮の精霊には手を出しにくくなるのではないだろうか。簡単に次の犠牲者を出すことはできなくなる。クララはそう考えていた。
しかしそれはオーティスが完全に無関係であるという前提付きなのだが。
「でも……あの侍女が犯人じゃないなら……」
突然、昨日の事件が終わっていないことを聞かされたシェリルは混乱をしていた。自分を恨んでいた侍女が、罪を着せるために起こした事件だと聞かされていたからである。
「精霊宮に出入りしている人間の中に殺人未遂犯がまだいるってことじゃない」
「そうですね」
「クララはおそろしくないの?」
「もちろん怖いですよ」
たとえ防御力が優れた身体を与えられているとはいえ、相手がどんな手段をとるかわからない。
クララも不死ではないのだから。
「そうなると、この事件が解決して犯人の動機がはっきりするまで、クララの身は安全でないということになるな」
(王妃様が狙っている精霊が月精霊だけとは限らないけど)
「きちんと捜査がすむまでの間、クララは精霊宮の外に出ていたほうがいいのかもしれない」
「精霊宮の外ですか?」
「ああ。私は七妃の誰もが幸せになってほしいと思っている。競い合わせている元凶の私がそんなことを言っても理想論でしかないのはわかっているのだが、危険性があるなのならば、できる限りの対処はするべきだ。昨夜もクララをいったんは安全な場所に移すつもりだったのだから、これから王宮の客室を用意しよう。イルサ、そのつもりで準備をしてくれ」
「かしこまりました」
オーティスの命令に恭しくイルサが頭をさげる。
「だったら私も! 一人でこんな場所にいるのは怖すぎるし、私も狙われている可能性がありますよね!」
シェリルも手をあげてそう主張した。




