農王エルメンテイト
翌日さっそく現れたマウケア王は意外なことに、穏やかそうに微笑む三十前後の女性だった。王配は世界的な農業研究者だとかで、お土産に高地でも育つという種や苗をたくさん贈ってくれた。
「お初に御目に掛かります、クラファ陛下。マウケア王エルメンテイトと申します。以後お見知り置きを」
栗色の髪をした豊満な美女なのだけれども、おっとりした感じで物腰が柔らかく、腰が低い。
身に着けたドレスや宝飾品も、素材こそ上質ではあるもののデザインは比較的簡素で飾り気のないものだ。
農業国だからというわけではないだろうけど、どことなく“農婦が果てしなくジョブチェンジしていった到達点”というような朴訥さを残している。
親しみやすさを演出する政治戦略なのかも。
「あら、あなたがマークス殿ですね。クラファ陛下の……優秀な忠臣とお聞きしてます」
最後の言葉の前に、わずかな迷いがあった。エルロティア王の傍らに立つぼくをどう見るべきか、どう扱うべきかを決めかねているのだろう。
エルフの伝統衣装だというシルクに似た巻き布を身にまとったぼくは、貫禄などないし威厳や覇気にも程遠い。有り体にいえば、“ちょっとばかり見栄えの良い青二才”だ。美少年というには育ち過ぎだと思うが、マークスの見た目は整っている。親も知らない孤児だけあって少し影のある感じは、見るひとが見ればそれなりに美味しい素材なんじゃないかと――あんまり詳しくない分野ではあるが――思わなくもない。
「足手まといにならないよう微力を尽くしてきましたが力及ばず、これまで危地を乗り越えるのが精一杯で」
「まあ、ご冗談を。その危地を乗り越えられるものなど、マークス殿の他には誰ひとりとしておりませんよ」
当然ながら、ぼくらがヒューミニアとケウニア、そしてコルニケアで行ってきた戦闘と戦果は把握しているわけだ。その際に使用された兵器と威力もだ。おそらく、だが……その兵器の一部がコルニケアに流れたことも把握している気がする。
事前の情報にあった“美少年に目がない変人”というような印象とはずいぶん掛け離れていた。
「それもこれも、すべてクラファ陛下の御力あってのこと」
「ずいぶん警戒されたものね。アルの差し金かしら?」
コルニケア王とは旧知の仲だというマウケア王は、おどけた感じで笑う。
クラファ陛下はといえば、純白のドレスに身を包んで静かに微笑みを浮かべているだけだ。そのドレス、エルフの最小限主義なのかサマーリゾート用ワンピースといわれても疑わないほどシンプルなデザインながら着る者の魔力によって妖精のように柔らかく発光するのだ。
その姿は、なんというか……簡単にいえば、天使である。
「エルメンテイト陛下、この度は私事で周辺各国を大変お騒がせして、申し訳なく思っております」
「あなたが謝ることではありませんよ、クラファ陛下。エルロティア真王の登極までに長く苦しい月日が流れたことに心を痛めておりましたが、エルフならざる者に干渉できることではなくて」
各方面からの話を総合して、マウケア王の言葉は事実のようだ。
偽王に次ぐ偽王、政争に次ぐ政争、内乱に次ぐ内乱で隣国が荒れて喜ぶ者などいない。政治的空白の間に掠め取る宝でもあればともかく、エルロティアの価値は基本的に自然由来だ。領内に満ちる外在魔素とその安定なしには存在すらしないのだから。
「貴国に、ケウニアからの被害は」
「ご懸念には及びませんよ、クラファ陛下。マウケアは内需だけでも国が維持できるので、国境を閉じてしまえば国外の事情は影響がありませんから」
「それは、素晴らしい。わたしが目指すエルロティアにとって、内需のみでも成り立つ国というのは一面の理想ではあります」
“一面の”という言葉に批判的意図はないと伝えたかったのだろう。クラファ陛下は少しだけ困った顔でマウケア王を見る。
「ただ、エルフを多数層とする国で国交断絶を行えば先がないことも自覚しているのです」
「そうかもしれませんね」
エルフは森の奥で固まって暮らす排他的な種族というイメージがある。あながち間違いではないようだけれども、それは緩やかな自殺行為でしかない。
エルフは長寿命ではあるゆえに出生率が低く成長も遅い。生産性も低いために国として考えればいつまでも国力が上がらない。いちいち気が遠くなるほどの時間と手間とカネと幸運が必要になる。
そのままでは国として確実に着実に先細りになるし、戦争でも起きれば滅びるのも一瞬だ。エルロティアでエルフの兵士をひとり失えば、ヒューミニアの兵が百人死ぬくらいのダメージとなる。
「愚かな偽王たちのせいで、エルロティアの未来は絶望的なほどに削られてしまった。もう、なりふり構っている余裕はありません」
「そちらの事情は、理解しております。ですが、クラファ陛下。どうするおつもりですか?」
「……交流を活発に行うための施策を。政治的、経済的、文化的、そして」
エルロティアの未来を担う新王陛下は、少しだけぼくを見た。
「人種的にもです」




