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File:086 綱渡りの賭け

1.5万PVありがとう!!

感想に対する返信返せなくてすみません!

引っ越し作業に追われているので片付いたら返信します!!

「はぁ……はぁ……クソが……!」


地に座り込み、前崎は一息つく。

呼吸は荒く、心拍はまだ戻らない。

勝ち切ったという実感はまるでない。


すべては、運と環境を読み切った判断の賜物。


逃走しながら森の中で、手当たり次第に果実――コクワ、ヤマブドウ、ナナカマドなどを採取し、それを自らの体に塗りつけた。

ケンの匂いを打ち消すのではない。

人臭の上に“食い物の層”を重ね、熊の嗅覚の優先順位をずらすためだ。


九月末。冬眠前で食欲のピークにある熊は、この時期の果実を強く求める。

前崎は風下に敵を置くよう進路を変え、沢筋に沿って走った。

匂いが流れやすく、地形に残りやすいからだ。

さらに潰した房や折った枝を敵の動線上に投げ置き、一点だけ匂いが異常に濃い“核”を作った。

物音と荒い息がその核に重なれば、熊はそちらに寄る。


リスクは高かった。

だが、“確実な死”を避けるには、“不確実な勝利”に賭けるしかなかった。


「……仕留められたのは、あの熊のおかげか」


彼の視線の先。

倒れた母熊の傍らで、子熊が不安げにうろつき、鼻を鳴らしている。


その背中に、静かに座るひとりの男――


アレイスター。


ホログラムなので、子熊は気づいてすらいなかった。

そこに座るアレイスターの姿を――


仮想の像は、ただ静かに問いかける。


『聞いてもいいかな?』


「……なんだ?」


前崎は苛立ちを隠さず、近くのナナカマドの実をもぎ取って口に押し込んだ。

甘みと渋みの混じる味が、疲労で麻痺した味覚にやっと届く。


『狙って熊と引き合わせたいのはわかったけど、そんなリスクがある選択をする必要があったの?』


種を吐き捨てながら答える。


「……あったさ。前提として俺はアイツに正面から勝てなかった」


言い捨てるように、次の果実を口に入れる。

それは、戦いの最中では見せなかった前崎の本音だった。


「アイツ、中国の大総統に忠誠を誓う――そんな発言をしていた。

 ってことは……山には不慣れってことだと思った。

 おそらく北京あたりで、ボディーガードみたいなことをしてたんだろう

 そう予想を立てた」


軽く笑って、咀嚼の合間に口を動かす。


「案の定、枝をわざわざ刀で切って道を作ろうとしてた。

 あれで足音も痕跡も増えるし、余計な体力も使う。

 はっきりいって山の素人だ。

 本当なら銃や刀で足を狙われた方が、俺はまずかった。

 けど――都市戦闘に特化したやつは、自然の中だと逆に脆い」


口調は冷静だった。

呼吸が整い、言葉が研ぎ澄まされていく。


「さらに、日本の地形にも不慣れだと踏んだ。

 火山が多く、気圧差や起伏が激しいこの環境で、疲れないわけがない。

 何より――熊があれだけ近づいても気づけなかった」


目を細め、前崎は振り返る。

すでに倒れた熊の巨体が、森の影に静かに横たわっていた。


「結果論だが、見た目以上にあいつは消耗してたってわけだ」


アレイスターは一拍置いて、低く言った。


『……そんな少ない情報から、よくそこまで辿り着けたね』


「賭けに勝った……というより運が良かった。それだけさ。

 こっちは命がけだったから、最善を尽くしただけだ

 成功の確率を少しでも上げた結果だ」


そう言いながら、前崎はふと、腰から銃を抜いた。

銃口の先は、母熊の死体に鼻を寄せている――子熊。


照準は揺れない。

目も逸らさない。

引き金にも、軽く指をかけた。


しかし。


子熊は、前崎の存在など眼中にないかのように、ただ黙々と母親の顔を舐め続けていた。


……その姿を見た前崎は、静かに銃口を下げた。


「……疲れた」


重く吐き出すように言い、母熊の前にいくつかの果物を供える。

コクワ、ヤマブドウ、ナナカマド。

ただの供物ではない。

これは、生き延びた者が、死者に捧げる、ささやかな弔いだった。


「悪いな。生き残るためだったんだ」


そして、前崎はゆっくりと歩を進め、倒れているケンの元へ。


ケンの顔に、自分の上着をそっとかけてやる。

まるで、死者の尊厳を守るように――あるいは、せめてもの儀礼として。


「……」


そのまま、森の奥へと背を向け、彼は歩き去った。


……だから、気づけなかった。


ケンの姿が、薄く、透けるように――

半透明に変わっていっていたことに。


ほんのわずかに、地面の影が浮き上がる。

微細な粒子が、風に溶けるように空中に消えていく。


まるで、「そこにあった死」が――

現実ではなかったかのように。


そして、アレイスターのホログラムも、ふっと消えた。


残されたのは、森の静寂と、

母を失った子熊のすすり泣くような鼻息だけだった。


ーーーーーーー


山を下ろうとした、そのときだった。


前崎の直感が、背筋をざらりと撫でる。

誰かが――いや、“何か”が、いる。


警察でもない。公安でもない。

自衛隊のような空気も感じない。


それはあまりにも異質で、不自然な存在だった。


……全員、顔が同じ。

東京拘置所で見たやつらだ。


「結局、奴らは何者なんだ……? ドッペルゲンガーか?」


独り言のように呟いたその声に、ホログラムのアレイスターが応える。


『パーフェクト・カスケードというらしい。私も実物は初めて見た』


「なんだそりゃ……」


言葉を失う前崎の目の前で、その“同一顔”の部隊が寸分違わぬ動きで並列行動をとっていた。

感情もノイズも、すべてを捨て去ったような無音の連携。人間では到達できない精度。


『おそらくルシアンが保有する最強の人型兵器のようだ。

 単体では並みの性能だが、連携力とネットワーク戦術においては無敵の領域にある』


「……どんだけ最強持ってんだよ、あいつは。

 インフレしすぎた少年漫画かよ」


深くため息を吐いた、その直後だった。


――カチャ。


金属音。

冷たい円筒が後頭部に当たる。


「手、挙げてもらえますか?」


静かに、そして無感情に。


振り返ると、そこにはソウがいた。

表情は柔らかいが、その手には確かに制圧用の拳銃。


同時に、パーフェクト・カスケードの部隊が一斉に前崎へ銃口を向けていた。

完璧な包囲。逃げ場はない。


「ボス。前崎さん、確保しました。どうします?」


イヤピース越しに問いかけるソウ。


すぐにアレイスターの声が返る。


『連れて帰ってきて。ケンの件については……後で詰めよう』


ソウがちらりと、まだ消えていないホログラムのアレイスターに視線を向ける。


「アレイスターさんとは初対面ですね。

 僕は恨みもないんですが……どうされます?」


ルシアンが通話越しにもわかるぐらい不機嫌な声になる。


『――邪魔をするつもりかい? 消費したそのわずかな兵器だけで』


静かな声。だが、確かな殺意が滲む。


『……遠慮するよ。

 ただ……ついでに顔だけ出したかっただけさ』


『余計だ。次、現れたら――消す』


アレイスターは、それを待っていたかのように道化を演じる。


『おお、怖い怖い。じゃあ……今回はこのへんで』


軽く両手を上げて冗談めかすと、ホログラムは霧のようにふっと消えた。


一瞬の静寂。


その場に残されたのは、ソウとパーフェクト・カスケードの隊列、そして前崎。


『じゃあ、今から転送するよ』


ルシアンの声が通信から聞こえてくる。

先ほどまでの怒気はなかった。


ソウがうなずき、転送装置の起動ボタンに指をかけたそのとき――


「あ……ボス」


『どうした?、ソウ』


ソウの声に、わずかな戸惑いが混じる。


「前崎さん……気絶してる。というか……眠ってる?」


前崎は、まるで緊張の糸が切れたように、ゆっくりと地面に崩れ落ちていた。


――深く、穏やかな呼吸。

まるで子供のように、何かを終えた者のように。


あまりに唐突な気絶。

あるいは、それは意識的に選ばれた“逃避”だったのかもしれない。


ソウは、ふっと小さく笑った。


「お疲れ様です……けど、このまま目覚めない方がたぶんマシだったと思います」


転送装置が淡く発光する。


その光に包まれながら、前崎の体はゆっくりと浮かび上がり、

やがて次元の狭間へと消えていった。


天都山(てんとざん)には再び静寂が戻った。

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