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File:064 神はとっくに死んでいると思うけど

最早、国会はその機能を事実上失っていた。


国会議員の多くはすでに国外へと逃亡。

残されたのは、わずかに気骨ある政治家と、非常時の混乱をチャンスと捉えた経営者出身の指導者たちだった。

議会制民主主義は停止し、国家運営は投票ではなく、決断と行動によって主導される体制へと急速に変質した。


当然、逃亡した政治家たちには国内外問わず批判が相次いだ。

もちろん政治家たちの大量離脱には明確な引き金があった。


まず、サクラテレビの消滅である。

国が管理していた唯一の公共電波放送局が、アダルトレジスタンスによる襲撃で壊滅した。

通信インフラそのものは残されていたものの、民意形成における核を喪失した影響は大きかった。

国民の不安と疑念は一気に噴き出し、都市部では小規模な暴動が連鎖的に発生した。


日本では類を見ない暴動であり、政治家たちは匙を投げた。


そんな中で立ち上がったのが、国内の大手企業群だった。


一部企業は「納税先指定契約」という異例の形式で、納税分を暴動鎮圧・インフラ復旧・災害対応に直接充てるという独自の自治的措置を実行。

民間の信頼を背景に、政治に代わる実務機関として機能し始めた。

なかでも、旧来より社会的信用の高かった企業の代表や財界人、インフルエンサーが前面に立ち、混乱収拾に寄与した。


特にサブスクリプションなどで支援金を得ていたインフルエンサーや経営者はこの点で助け合いのネットワークが構築されていたので有利だった。


また、SNS上での誤情報・フェイクニュースの拡散に対抗するため、事実のみを簡潔に発信する「再検証メディア」の立ち上げが相次いだ。

皮肉なことに、主要メディア関係者がサクラテレビ攻防戦で多数死亡したことにより、情報の純度が相対的に上がったという見方すらある。

結果として、誤った感情的世論によるリソースの浪費は、想定よりも抑えられた。


一般市民の犠牲については、サクラテレビ事件ではメディア関係者に限定され、民間人に広く被害が及ばなかったことも、奇跡的と評された。


ただし、この状況を「不幸中の幸い」と安易に断じることはできない。


今悩ませている最大の問題は、不動明とアメリカ副大統領のダイアナ・リーヴスの行方不明である。


サテライトキャノンの無断使用、ならびに複数の強硬行動により、彼の存在は国家的リスクとなり、一刻も早い身柄の確保が優先された。

さらに米国副大統領との極秘接触の疑惑も浮上し、双方が同時期に姿を消したことで、国際的な緊張は一気に高まった。

副大統領の近辺では、副大統領の血痕が残されており死体はなかった。

また護衛のSP数名は気絶に留めており、誘拐の可能性が高いとされるが、身代金要求などの連絡は今も一切ない。

おそらく殺されたものだと薄々関係者の中でも囁かれている。


SPも気絶され、血痕が残っている副大統領の現場などは「特別失踪」として数か月から一年の間で死亡扱いできるため、政敵からは歓迎されている上、「これはイスラム教徒が黒幕だ」などのフェイクニュースもアメリカで流れることとなった。


この一件を境に、日米間は戦後最悪とされる不信感に包まれた。

それも関係ない国まで巻き込んで。


日本からの観光客は激減。

米国政府は航空便の発着を厳しく制限し、入国審査では身体検査がセクハラと捉えられる事案が頻発するなど、現場でも混乱が続いた。


一方、日本政府は空路の制限をほとんど行わなかった。


GDPが落ち込み気味だった日本において観光業への依存度が極めて高かった。

それにより国境封鎖は経済の死に直結する判断だった。

これは「政治の怠慢」と批判される一方で、現実的な選択肢が限られていたことも否定できない。


それでも、一部の支援団体や友好国は日本政府の資金使用や支援分配の透明性を厳格に監査する体制を条件に、物資や人材の援助を再開。

民間と連携する形での支援が徐々に復活しつつあるのは、数少ない好材料と言えた。


「…まさか日本がここまで一気に崩れるとはね」


一ノ瀬は分厚い報告書の束に目を通しながら、疲労を隠さずに呟いた。

紙面には各地の治安悪化、経済インフラの崩壊、国際信用の喪失といった深刻な情報が並んでいる。


「お前たち組織は日本を悪化させていると思わないか?

 …なあ、ケン君」


目の前には分厚いアクリル板越しの面会室。

その向こう側には、全身を拘束された少年――ケンが座っていた。

手足は専用の非金属制御具で固定され、腰には振動検知式の拘束帯。

通常の犯罪者以上の厳重な措置が取られている。


子どもに対する処遇とは到底思えない。

もちろんルシアンのように見た目と実年齢には乖離があることも否定できないが。


だが今の日本において、年齢はもはや免罪符ではなかった。

例え実年齢であろうと少年法改正された今は一切の容赦はなかった。


ケンの顔面には火傷による痕が広がっていた。

仮面は押収され、今は爛れた素顔を晒している。

口には、舌を噛み切っての自死を防ぐための咬合抑制具(こうごうよくせいぐ)が嵌められていた。


それでも、彼は言葉を発する。


「感謝して欲しいぐらいですけどね」


その声は、かすれた喉の振動を拾う人工発声補助装置によるものだった。

本来はALS患者や重度の吃音症、音声障害を持つ人のために開発された支援技術であり、喉の微細な振動信号をAIが即座に音声データへと変換する。


一ノ瀬はその声に苛立つでもなく、むしろ諦めきった目で彼を見つめた。


この少年を「更生させる」ことは不可能だ――そう判断していた。


もはや理屈の通じる相手ではない。

思想的な狂信者、もしくは徹底的に人格を変質させられた被害者。

だが、彼が救済を望まない限り、それを「被害者」と断じる気にもなれない。


救う術がない。

それは、国家として、社会として、割り切るしかない人間なのだ。


「……君は、死刑でしか自らの責任を果たせない。

 そう思ってるんだな?」


一ノ瀬がそう呟くと、資料の隅に手をやりながらふぅ、と深い溜息を漏らした。


(救えない人間は、本当に存在するんだな……)


一応、彼の社会認識の乖離に対して脳神経学の権威が診察を試みたが、「介入の余地がない」と匙を投げた。


本人の内面は、あまりに一貫していて、壊れていない。

だがそれは、生まれた時から思想込みで設計された人間のようでもあった。

もうそうあるべき人間として作りこまれているのだ


「……まあいい。組織について、何か話す気になったか?」


「ありません。前崎様が裏切り者だったということ以外に、申し上げることはありません」


「どうやって裏切ったか、気にはならないか?」


「ええ、少しは。

 でも、それを知ったところで私が口を割る理由にはなりません」


「……組織はお前を見捨てたんだぞ?」


「当然のことです。

 私は独断で行動し、規律を破りました。

 その報いは、然るべきです」


口調は終始落ち着いていた。

姿形は、せいぜい中学生から高校生の中間程度にしか見えない。

だがその返答には幼さは微塵もない。


冷静で整然とした言葉。

責任を受け入れる覚悟。

自身の死さえ当然と捉える彼の態度に、一ノ瀬は一瞬、年齢という概念の意味を見失いそうになった。


この少年は――本当に「子ども」なのだろうか?


「まったく…君と話していると何も考えなくてよかった学生時代の僕を

 殴りたくなるぜ」


「それだけあなたは家族に恵まれたということでしょう。

 うらやましい限りです」


ケンの皮肉混じりの返答に、一ノ瀬は無言で顔をしかめた。

論理としては正しい。

だが、その冷たさと含意の深さが、妙に胸に刺さる。


――だが、こいつは貴重な手がかりだ。

アダルトレジスタンス、通称〈組織〉の内情を最も知る、数少ない生存者。


しかもルシアンにかなり親しい存在だ。


どれだけ不愉快でも、感情を交えずに情報を引き出さなければならない。


「……また明日も来る。何日でも通うさ。俺の仕事だからな」


「今日で、ちょうど2週間でしたか。

 ご苦労様です。物好きですね、あなたも」


最後まで挑発的な態度は崩れない。

一ノ瀬はその場を離れ、面会室のドアを無言で閉じた。


――ケンの過去は、すでに調査報告書にまとめられていた。


幼少期、東南アジアで違法に売られ、大手企業の幹部によって裏ルートで飼われていた。

顔の火傷は、カジノで不正を働いた責任を巡って争った別の資産家に対する誠実さの見せしめだったという。

権力者同士の都合ひとつで、子どもの身体に一生消えない刻印が施されたのだ。


一ノ瀬はふと、自衛隊の海外派遣時に多発的に発生した事件を思い出す。

現地の人身売買市場を視察した若い隊員が、その光景に耐えきれず自ら命を絶った。

それも何人も連鎖的に。

心境が今なら理解できる気がした。


「……人間ってのは、自分が支配する側だと確信した瞬間、

 いくらでも残酷になれるんだな……」


そうだ。世界は残酷なんだ。


それに抗った日本の結果はどうだ?

弱者の立場だけが強くなり続け、弱者を守る社会をうたっていたはずの日本の現実だった。


弱者を助けることは別に悪いことではないと思う。


だが助けられて当たり前、なぜなら税金を払っているから、守られて当然の権利があるから。


「開き直った弱者」に対する醜さへの怒りが何よりも強いのは人間の本能だ。


だからSNSの有象無象やインフルエンサーもどきが「机上の正論」を交わすたびにイライラしていた。


だが、大学時代に読んだ2冊の本をふと思い出す。


『夜と霧』『夜』


……ヴィクトール・E・フランクルとエリ・ヴィーゼルが見たアウシュビッツよりかはマシか?

そんな歴史的悲劇を対比に挙げながら自分の精神を落ち着かせていた。


生きる希望を失った人間から死んでいく。

前者の本にはそう書かれていた。


でも神はとっくに死んでいると思うけど。


僕は後者に同意だ。

『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル

『夜』エリ・ヴィーゼル


人生でこの2つの本を読むことをお勧めします。


どちらのナチスの迫害について語った本になります。

ただ『夜と霧』が闇の中で光を見つける本に対して、

『夜』は闇の中の闇に沈む本になります。


人間はかくも残酷になれるのか。


この小説を支える根幹ともなっているので是非。

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