File:056 世界でたった3人の犯罪歴
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『……本当?』
ルシアンの口から漏れたその言葉には、わずかな期待と、滅多に見せない懐疑がにじんでいた。
──彼が「答えられない」と口にすること自体が珍しい。
結論や推論を外すことは、時にある。
だが、それでも何らかの説明や可能性を即座に提示してきたのが、ルシアンという存在だった。
いま目の前にある現象には、その彼が一瞬、沈黙した。
理屈では割り切れない。
それが、現実に起きている──。
「……おかしい。なぜここまで強力な電波妨害を受けているのに、
この端末だけ通信が通じている?」
前崎は小型の通信端末――見た目は旧式のトランシーバーに近い装置――を手に取っていた。
EMP攻撃と広域ジャミングにより、都市インフラすべての通信系統は沈黙している。
Wi-Fiもモバイル通信も、軍用衛星経由の回線さえ封鎖状態だった。
だがこの端末だけは、平然と通信が成立していた。
「さっきお前から聞いた話を推論立ててみたがルシアンが
マルドゥークやエアを展開できたのは、エルマーが妨害範囲外の地点から、
ホログラム転送を行ったからだったはずだ。
それもアメリカ軍から奪ってきたなら光波によるライン通信だろ?
極めて高精度かつ高コストの設備で成り立っていた」
合っている。
まさかアメリカ軍という言葉と少ないヒントと自分の言葉でそこまでの結論にたどり着くとは。
現在稼働中のマルドゥーク本体には、EMP耐性を持つ多層シールド構造が組み込まれている。
加えて、広域ジャミング対策として、独立した量子暗号通信モジュールを備えており、
戦術サーバーとして自律機能すら保持していた。
しかもこの通信端末は、マルドゥーク本体からの電波支援を一切受けていない。
つまり、ルシアンが展開するネットワークからも独立している。
にもかかわらず、さきほどまでは確かに会話が成立していた――。
『……周波数の問題か?いや、それだけでは説明がつかない。
この回線、そもそもの構造が……違う?』
ルシアンがドローン越しに解析に入る。
その他多数のドローンが同時にⅩ線のようなものを当て解析する。
『これは……かつて一部の軍事研究機関で試作された、
超狭帯域・メッシュ型双方向通信のプロトタイプかもしれない』
ルシアンのドローンが照射するX線スキャナにより、端末の内部構造が露わになる。
基板に刻まれた回路パターンと、自己発電型の圧電素子──さらに見慣れない暗号チップの存在が確認された。
『衛星や基地局に依存せず、近距離間のノード同士でネットワークを構築する
分散型通信網……
おそらく超狭帯域で通信しながら、周囲の電磁ノイズに擬態して
干渉を回避している。
加えて、通信信号自体が“超音波に近い低出力の振動波”として
送受信されている可能性がある』
超狭帯域通信とは、周波数幅を極端に絞ることで雑音の影響を抑え、微弱な電力でも遠距離通信を可能にする手法。
この通信方式は、一部の軍用ビーコンや潜水艦用の地中通信でも応用されていることをルシアンは示唆した。
『それに、この端末……自己発電機構付きだ。
エネルギー源がバッテリーじゃない。
歩行や風力、温度差すら利用して充電する、半永久型セル。
……だからEMPで電源が落ちなかった』
EMPにも、広域ジャミングにも沈黙しなかった理由が、ようやく明らかになった。
現代の軍事技術においても、この通信規格は未だ正式採用には至っていない。
その理由はコストと拡張性――だが、理論上は小規模での展開なら十分実用レベルだ。
不動がなぜこのような高性能な通信機器を持っていたかと言われれば恐らくあの副大統領が大方関わっているのだろう。
おそらくホログラム転送の技術にも気付いている。
だからこそ電波ジャミングとEMPに対する対策がしてある通信機器を用いる必要があったのだろう。
『……ここから、オンラインに繋げる手がかりになる。
マルドゥークの転送処理をここから割り込めるかもしれない』
希望が見えたかもしれない。
『エルマー、いいかい?』
「イエス、ボス」
『この端末を通信ハブにして、既存の暗号トンネルを強制再接続する。
サテライトキャノンの次射までに転送処理を完了させろ。
やれるか?』
「やってみる」
最年少の天才ハッカー兼エンジニアのエルマーの目が液晶越しにわずかに輝いた。
指はすでに動き始めていた。
その様はまるで新しい玩具に飛びついた子どものようだった。
アメリカ・テキサス州ヒューストンには、NASA――アメリカ航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration)の本拠地がある。
宇宙開発の最前線に立つこの巨大組織は、創設以来、世界中のハッカーたちの標的となり続けてきた。
たとえば2010〜2011年には、記録上5,408件を超える重大なサイバーインシデントが発生。
マルウェア感染、ネットワーク侵入、機密データの流出、ジェット推進研究所(JPL)への不正アクセス、さらには衛星への干渉通信――
いずれも一歩間違えれば国家安全保障に関わる案件だった。
また2017〜2020年にも、年間1,000件超の脅威が報告されている。NASAは常に見えない戦場の中にある。
こうしたサイバー攻撃のほとんどは集団による犯行だが、歴史上において単独の未成年がNASAに侵入し、名を刻んだ例が2件だけ存在する。
ウォルター・オブライエン(Walter O’Brien):当時13歳
ドラマ『Scorpion』のモデルとされるが、そのハッキング記録の真偽は現在も議論の対象。
彼の行為は伝説的に語られるが、証拠は主に本人の証言に基づく。
ジョナサン・ジェームズ(Jonathan James):当時15歳
1999年、NASAと国防総省のネットワークに不正侵入。宇宙関連ソフトウェアを盗み出し、米連邦捜査局(FBI)によって2000年に摘発された。未成年として史上初の逮捕例である。
彼らの名前が歴史に残ったのは、まだインターネットが一般に普及する以前、
「政府機関に個人で侵入する」という行為自体が世界的に衝撃だったからだ。
時代背景の影響もあり、その行為は“天才”や“逸話”として記録された。
だが――それから数十年。
セキュリティ技術は飛躍的に進化し、量子暗号、AI防壁、自己修復型ネットワークによって素人の侵入など到底不可能な時代となった。
そんな時代に、再び“子ども”が現れた。
2058年。
少年エルマーは、わずか10歳未満の年齢でNASAの中枢に侵入し、
国家レベルのセキュリティをかいくぐって情報を奪取するというあり得ない偉業を成し遂げた。
もはや人間の思考速度では突破できないとされていたシステム。
暗号鍵の変動サイクルは1秒に4000億通り以上。
その全てを突破したのは――たった一人の少年だった。
その痕跡を追跡してきたアメリカ軍に捕らえられそうになった直前、彼はアダルトレジスタンスによって保護される。
それが、彼とこの組織との運命的な出会いである。
以後、エルマーは持ち前の天才的演算能力とシステム工学の才覚で、組織を技術面から支える中核人物となる。
マルドゥークとエアの設計図を暇つぶしで奪ったエピソードは、
彼の実力が決して偶然ではなく、常態であることを裏付けていた。
ドラマ『スコーピオン』は特殊部隊や組織が好きな人にはお勧めかも。
スコーピオンはウォルター・オブライエンのネット上でのハンドルネームです。




