File:055 ダイアナ・リーヴス
ケンが捕らえられた──。
その報を受けたジュウシロウの顔が、驚愕と焦燥で強張る。
「ボス……俺のせいだ。俺を逃がしたせいで……ケンが……!」
ルシアンの返答は冷たかった。
『気にする必要はない。それは彼自身の判断ミスだ。
敵の挑発に逆上し、独断で突撃した。そういうことだ』
淡々としたルシアンの口調に、前崎は違和感を覚えた。
ケンが感情的になる──あのケンが?
あの猿面は誰に対しても敬語を崩さない奴だったのにそれがあまりに意外だった。
(大方、一ノ瀬が挑発したんだろうが何を言ったんだあいつ…)
「その状況、どうしてわかる? 今の通信環境じゃ把握は困難だろ」
『……彼はちょっと特殊なんだ。
マルドゥークを通して、僕とはオフラインで接続できる仕様になっている。
肉声も、位置も、映像も──彼の神経接続を通して直接こちらに流れてくる。
ある程度の制限はあるけどね』
「……なるほど。だから今回に限って、いつものように俺の隣に現れなかったわけか」
『その通り。全く気に入らないがね。
だから前崎君の監視はジュウシロウ君に任せるよ。
僕は通信指令室に戻るよ』
「了解した」
そのとき、不意に小さな振動音が響く。
不動の胸ポケットの中──そこに仕込まれた通信機が震えていた。
ルシアンも不思議に思い、通信を切らずその場に留まっていた。
「俺が出る。ジュウシロウ、不動の外装と武装はすべて破壊しておけ。
再起不能な状態にしておくんだ」
「わかりました」
『──Hello?Mr.不動、状況は?発射前だけど確認よ』
英語。だが、ただの軍人の声ではない。
この声には、国家の意思を背負う人間の圧があった。
前崎は静かに、確かめるように口にする。
確信はないが心当たりはある。
「アメリカ合衆国副大統領、ダイアナ・リーヴス……か?」
その名に、ルシアンとジュウシロウが目を見開く。
「副大統領……? なぜそんな大物が直接…?」
前崎は手でジュウシロウに黙れと合図を送り、通信に集中する。
『あら……不動はもう使い物にならないのね。
じゃあ、あなたが噂のMr.前崎ね。国会議事堂での働き、拝見したわよ』
「質問に答えてもらおう。不動と、あんたはどういう関係だ?」
『簡単な話よ。国家の安全保障のために接触していたの。
いま日本には指導者がいない。あなたが──総理大臣を殺したから』
前崎は無言で目を伏せる。
『そんな混乱の中、指導者不在の空白を埋めようとしたのが、不動だっただけ。
私たちは“合法的に日本を安定させる”ために、彼を利用していた。それだけのことよ』
「随分と都合のいい言い分だな。
まるで裏で国家を操作する帝国主義者のようだ」
『そうかしら?
でも、あなたたちテロリストに比べれば、まだ民主的だと思うわ』
「……それにしても、非核保有国にサテライトキャノンなんて代物を貸し与えるとは。
国際条約にも触れるだろ」
『貸してって言われたから貸しただけよ。
それにテロリストの排除は、世界共通の優先事項でしょ?
我々の国も、その原則に則って動いている。ただそれだけ』
「ふん……じゃあお願いしても無駄か?
そちらのサテライトキャノン──そろそろ止めてくれないか?
俺たちは、交渉の意思がある」
『……ふふ、面白いこと言うのね。
でも──答えは“No”。
私たちの国ではないとはいえ流石に追い詰められてそれはないんじゃない?
都合が良すぎるわよ』
ルシアンがドローン越しに答える。
『──聞いていたよ、副大統領。今、東京都内にはまだ生存者がいる。
そのうち何人かは“エア”によってすでに拘束済みだ。
人質として、君たちに提示する価値はあると思うが──どうする?』
『……あなたは?』
『名乗ろう。ボス・ルシアン。アダルトレジスタンスの創設者にして現リーダーだ。
それで……本当に日本の民間人を、見殺しにする気か?』
ダイアナ・リーヴスの返答は、あまりにも即答だった。
『ええ、構わないわ。彼らは“私たちの国民”じゃない。
日本の問題は、日本人が自分たちで解決すべきよ。
あと何発、あなたたちが耐えられるかしらね?』
その言葉に、ルシアンは絶句するしかなかった。
合理性を装った冷酷さ──これが、国家のリアルだと突きつけられたようだった。
その瞬間、ダイアナの声色が変わる。
『──でも、あなたと話せてよかった。
実は、ずっとあなたと話したかったの』
彼女は一呼吸おき、話題を切り替える。
『あなたがマルドゥークとエアと呼んでいた、あの機体。
あれは元々、アメリカ国防高等研究計画局(DARPA)が中心となって設計していた機体よ』
「な……!」
その情報は、前崎にとっても初耳だった。
「アメリカ軍の計画機だったのか……?」
『そう。けれど技術的な問題とコストで廃案になった。
倫理的な問題もあったかしらね?
設計段階で棄却されたはずの兵器が、なぜあなたの手元にあるのか──
またあんな無茶なものをどうやって作ったのか。
それは我々にとって由々しき問題。国家機密の重大な流出よ。
しかもDARPAはネットに干渉できないようにオフラインで稼働しているにも関わらずね』
淡々とした口調だが、その裏には明確な敵意と警告がにじんでいた。
『あなたがオーストラリアの大学に偽名で在籍していた記録も、すでにこちらでは把握済み。
年齢詐称も、経歴の偽装も、すべて割れているわ。
でもね、不思議なの。
なぜあなたが、現代でも生きてここにいるのか──
年齢はとうに100歳を超えているわよね?
それだけは、まだ解けていない』
ダイアナは確認するように問いかける。
『あなたの身柄をアメリカ政府が預かるということであれば攻撃をやめてあげる。
でなければその場所を今から吹き飛ばす』
ルシアンは黙っていた。
やがて、ゆっくりと、しかし強く言い放つ。
『……断る。投降もしないし、言いなりにもならない。
我々はこの国を掌握する。
そして──いずれ、そちらの国にも行く。
覚悟しておけ』
ダイアナはわずかに息を吐いた。
『……いいわ。その覚悟、しかと受け取った。
なら、仲間と共にくたばりなさい。
──Goodbye, Mr.Lucien』
通信が、冷たく切断された。
その直後──
第三波、サテライトキャノンが大気圏を貫いて着弾した。
眩い閃光とともに、地響きが世界を揺るがす。
「ぐっ……!」
衝撃波の直撃。
ジュウシロウと前崎は反射的に身を投げたが、間に合わず、爆風に巻き込まれて吹き飛ばされた。
大地が焼け、世界が崩れ、戦争の本質が突きつけられた瞬間だった──。
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『クソッ……!』
ルシアンが、普段の飄々とした態度からは想像もできないほど、荒々しく声を荒げた。
その様子を冷静に観察していたエルマーが、無機質な口調で状況を報告する。
「ボス、正直……もう限界だ。
マルドゥークのシールドは全層剥離。次の衝撃には耐えられない」
ルシアンは答えない。だが沈黙がその重圧を物語っていた。
「それと――転送まで、残り20分。
サテライトキャノンも20分間隔……わずかだけど砲撃の方が早い」
絶望的な現実を淡々と告げるエルマー。そのたびに空気が一段と冷えていく。
「……決断を下す時だよ、ボス。どうする?」
問うエルマーの瞳には、一抹の覚悟と諦念が浮かんでいた。
ルシアンには、まだ最後の手段がある。だが――それを使えば、自らを10年間、社会から隔絶することになる。
表舞台には戻れない。誰も助けに来ない。終わりを意味する選択肢だった。
それでも、ここで何もせずに座して待つという選択は、彼のプライドが許さなかった。
焦燥と葛藤が、内部でせめぎ合う。
――そのとき、突如として通信が割り込む。
『ルシアン、聞こえるか!?』
割れたようなノイズとともに、前崎の声が飛び込んできた。
『……なんだい?』
かすれた声で応じるルシアン。
だがその耳に届いた次の言葉は、荒野に降る一滴の雨のようなものだった。
『活路が見えたかもしれない――!』
まるで世界が、再び動き始めたかのような、
希望に満ちた声だった。
アメリカ国防高等研究計画局(DARPA):Defense Advanced Research Projects Agency
ちなみに実在します。




