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File:109 今にも堕ちてきそうな空の下で

アレイスターの最後は、あっけなかった。

夢を掲げた英雄など到底思えなかった。


神になろうとした当然の報いの神罰を言うべきか。

まるで欲望に呑まれて朽ちた一匹の亡霊。

その最期は哀れで、滑稽ですらあった。


2人はもはやアレイスターの存在などどうでも良くなっていた。


ルシアンに付いて来いと言われたから前崎は追っている。

追うのはいいとしても前崎はまだ頭蓋の内側で鈍痛が軋むのを感じていた。


(というよりこの痛みは引くものなのか……?)


そう思いながらも必死に追っていた。


ルシアンの移動は見た目に反して軽快だった。


彼の足元には微振動する姿勢制御フレーム。

わずかな体重移動だけで床を滑る補助具だ。


ルシアンの肉体がそのような機械に頼らなければいけないほどそこまで老いているとはいえ、坂上から託された神経外骨格がなければ、とても付いていけなかった。


「……ここだ」


辿り着いた先は、死者の洞窟だった。

金属製の棺が幾筋も並び、合間には霜の張りついた透明カプセルが林立している。

冷却剤の匂い、消毒液の残り香、低く唸る送風音。

多くの蓋はすでに開け放たれ、中身だけが消えたベッドのように空虚だ。


「ここはPC部隊の保管庫……

 SGの心臓部を守るガーディアンたちの眠る場所だ。

 私の命よりも大事な……ね。」


ルシアンは棺の縁に腰を下ろし、胸の奥の空気を静かに吐き出した。

白い息は薄霧のように漂い、墓地の霊気めいて消える。


「改めてか……?私がボス、ルシアンだ。

 ……アダルトレジスタンスのリーダー。

 その本体だ。」



前崎が改めてその姿を見る。


テロリストのリーダーにしては幽鬼のように色白で腕は小枝のように細かった。

髪は浮浪者のように伸びきっており、ホームレスと呼ばれた方が納得できる。


「本当に……お前がルシアン、か。

 子どもを率いてたのが“老人”って、笑えねえ話だ。

 子どもにテロリズムを唆したのもな。」


「何とでも言え……。」


ルシアンは自嘲を一瞬だけ口端に刻み、やがて伏し目になる。

――その瞳に、涙が滲んだ。


「私は……この計画のために百年を費やした。

 だが……たった一人の男にテロを止められ、

 たった一人の男に組織を壊滅させられた。

 ……私の百年は、意味があったのか?」


それは敗者の泣き言ではない。

世界を変えられなかった指導者の慟哭だった。


「今の現状を変えるにはあまりに世界は貧富の差が広がり過ぎている。

 武力以外の解決方法があるわけがないだろうに。」


ルシアンは静かに顔を上げ、前崎をまっすぐに射抜く。


「……頼みがある」


「……なんだ」


「お前が――この世の中を変えてくれ」


言葉が出なかった。

自分はずっと現状維持する側の人間だった。

だが、今は違う。


良くも悪くも……最も悪い要素の方が多かったがこのルシアンの狂気によって子どもたちが日本を変えた。

倫理という人間の作法に縛られなければ、手順は飛び越えられる。

それを、目の前で、骨の髄まで日本は思い知らされた。


現に一般的に見て、チートのような技術を使うアダルトレジスタンスの支持者は圧倒的に若年層が多い。


「……なんで俺なんだ?」


前崎の問いは素朴だったが、声には疲労と戸惑いが滲んでいた。


前崎はアダルトレジスタンスの支持者たちに好意的な目は向けられない。

それは職業からもわかることだ。


それなのになぜ俺にそんなことをルシアンが頼み込むのが不思議でならなかった。


ルシアンは迷わず即答した。


「もうこの国は……言葉では変わらない。

 世界平和をどれだけ語ろうと、結局はバカと利権にまみれた為政者たちの都合で決まる。」


「……極論だろ。それ以外に道はあるはずだ。」


「ないんだよ。そんなものは。」


ルシアンの断言は鋼のように硬かった。

その声音には諦念ではなく、長い歳月を生きた者だけが知る確信があった。


「……為政者は一人でいい。

 時代は変わった。

 お前が世界をつくれ。

 私では作れなかった世界を、お前が築け。

 お前が王となれる社会を。」


その瞳は血走り、狂気と切実さが混じり合っていた。


前崎は吐き捨てるように言った。


「俺の力で何ができる?

 俺より力のあるお前は結局日本に破滅と混乱を招いただけだ。」


「違う原因ははっきりしている。

 ……私は弱かった。心も体もな。

 何もかも中途半端で、決断の刃を振り切れなかった。

 だが、お前は違う。

 前崎。君なら……すべてを導く先導者になれる。」


ルシアンは胸に手を当て、わずかな震えと共に自らの心臓の位置から光り輝くクリスタルを引き抜いた。


その光は心臓の如く紅に染まっていた。


「これが……私のすべてだ。

 この場所でしかこれは取り出すことができない」


差し出されたクリスタルは、アレイスターが欲望に飲まれて取り込んだものとは決定的に異なっていた。


「アレイスターが奪ったのは……部分的にバックアップして圧縮したデータだ。  

 このデータ量には到底及ばない。」


ルシアンが前崎にそれをかざす。

やがてそれは前崎に吸収される……ものではなく逆に前崎を抱きしめるように優しく光が包み込んでいった。


「お……おい!何をする!?」


前崎が光から外に出ようとするが弾かれる。


「もう遅い……。

 私の記憶をすべてお前に移した。」


「俺をここから20年以上閉じ込める気か!?」


「安心しろ。20年もかからない。

 強制的に奪い取ったものを記憶に定着するには時間がかかる。

 意識無意識に関わらず拒絶の反応が生まれるからだ。

 だがこちらが渡したいと思えばその記憶の定着は1/10以下の時間で達成可能だ。」


神経外骨格ごと光に包まれ、前崎の体はじわじわと温もりに沈んでいく。

眠気と共に、重責と希望が心に流れ込む。

視界が白く塗り潰され、意識は遠のいていく。


だが舌を噛み意識を覚醒させる。


「……俺がこの力を受け継いだとして……悪用するとは思わないのか……?」


「思わない。

 君なら私よりもきっといい使い方をしてくれるだろう。

 僕が好きだった国を頼んだよ。前崎。」


「る…シ…アン……」


限界だ……意識が遠のく。


包み込んだ光は赤い糸になり、蚕の繭のように前崎を球体上に包んでいく。

樹脂に埋め込まれたように前崎の体が固定される。


糸が前崎の体が見えなくなるまで巻かれていき、赤い糸から徐々に白い糸になっていった。


最終的に2mを超える白い球体の繭となっていた。


「転送……」


最後の力を振り絞りボタンを押す。

白い繭はそのまま転送され、その場にいるのはルシアンだけとなった。


転送されたことを満足げに見送ったあと、棺桶にそのまま寄りかかる。


「私の人生に意味はあったか……?」


選択は誤り続けた。

それでも必死に足掻いてきた。


かつての会話の記憶。


確か好きな人だったと思う。

名前は憶えていない。


「あなたみたいな天才が世の中に増えたらもっと世界は平和になれるのに。」


「そんなことないさ。

 天才と呼ばれた人たちは全員不幸になって死んでいく。

 ラマヌジャンだって最後は鬱になって死んだんだ。」


何と夢の無い返答だろう。

我ながら好きな女性に対しての返答ではない。


「そんなことないわよ。

 私と世の中を良くしましょうよ。

 ほら。研究室から出てさ!

 ねぇ、先生!」


そっか。そういう理由でメタトロンを作ったっけ?

本当は別に他人の考えが客観視するものが欲しかったんだ。


彼女がどうして自分なんかを好きになったのか理解できなかったから。


物理学なのに心理学に興味を持ったことが原因で始めた研究だけど、やって正解だった。

それは最終的に悲劇を生み出すものになってしまったけども。


懐かしい。


彼女は元気だろうか。

死ぬ間際にこんなことを思い出すなんて。


ごめんなさい。こんなに醜くなってしまって。


……なんで僕は謝っているのだろう?


誰に……?


「あぁ……一人は寂しいな……」


かつての弟子。

最愛の人。


それだけが記憶の中にあった。


そうか。

だから教育機関をアダルトレジスタンスで作ろうとしたっけ。

教育こそが世界を変える力だって信じていたからだ。


「ペンは剣よりも強し」


そう信じていた何とも太陽のような女だった。


私も彼女の思想に協力した。

実現の可能性はともかく彼女に好かれたかったから。


SGの大地が轟音と共に崩れ始めた。

子どもたちが築いた王国は瓦解し、夢の国は容赦なく踏み砕かれていく。


100年以上この世を彷徨い、平和について考え抜いた男はSGの崩落に消えていった。


地面が遠ざかっていく。

空が落ちているようだ。


「……幸せな人生だったとは到底言えないな。

 もし生まれ変われるのならば……好きな人と……もう少しでも……」


そう言い残し、自嘲した。

結果を知っていたのは空だけだった。

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