File:106 ISISの亡霊
『いやぁ――滑稽なほど簡単だったよ。
お前に勝つのは。
エネルギー供給を断った瞬間、君は翼をもがれた鳥。
地に芋虫のように這い蹲るしかなかったものね。』
結界のように張られたバリアの中、ルシアンはデジタルで構成された断頭台に縛り付けられていた。
アレイスターが「見せたいもの」とは、つまりこの光景だったのか。
『……前崎。君も結局、あちら側に立つのか?』
「どうかな?今でも迷っている。
だが、お前のやり方が日本を崩壊させたのは事実だ。
その覚悟は、最初からあったはずだろう?」
ルシアンの目が怒りに濁り、アレイスターを睨む。
『……お前さえいなければ、私は勝っていたさ。
憎くて仕方がないよ、なぁレスター?』
『負け犬が喚くな。
それだけの能力と技術がありながら子どもの教育などに憑りつかれたバカが。
お前が理想を求めた結果がこれだ。
結局お前は何もできずに人生を終える。』
アレイスターはルシアンを蹴飛ばす。
ルシアンの口から血が飛び散る。
あれだけ俺たちはこいつに攻撃できなかったのに。
ルシアンはもはや抵抗もできず、断頭台の下で鳥のように囚われていた。
アレイスターはその姿を満足げに眺め、ふと前崎に視線を向ける。
『前崎。君は知っているか?
このルシアンという人間が、実年齢以上に若く見える理由を。』
「……らしいな。理由はそうだな……クローンか?」
『そうだよ。
そしてオリジナルはこのSGにある。
ここでこの少年の器を殺せば、延命機に保管されている本体のルシアンが自動的に接続される仕組みだ。
僕はこの断頭台とバリアで通信を封じている。
だからPC部隊も動けない。
そこから逆探知すれば……僕が求める答えに辿り着ける。』
「なるほどな。
そこの言うお前の理想の平和への手段があるわけか。」
『ああ。その通り。
これで君が後は平和の象徴となればいいだけだ。』
その言葉にルシアンが血の混じる笑みを浮かべる。
『世界平和だと?笑わせるな。ゴミが。
何も為せなかったテロリストの末裔が……神?』
アレイスターの目が鋭く細まる。
『……今、なんと言った?』
『もう一度言ってやるさ。
何も為せなかったテロリストの末裔だ。お前は。
勝ったつもりか?いいだろう。
認めよう。確かに僕は負けた。
君が戦闘を長引かせ、エネルギーを遮断するトラップを用いて勝つとは思わなかった。
ここまで技術に差があるとは、僕も想定していなかった。』
そうしてため息をつく。
『君が現れてからすべてが狂ったよ。前崎』
ルシアンは目を伏せ、静かに言葉を続ける。
『エルマー、聞こえるか?』
『……ああ。準備はできているよ。本当にやるんだね?』
その声は拡声器を通じてSG全域に響き渡った。
『あぁ。ありがとう。――起動してくれ。』
『了解。……ラグナロク、起動。』
直後、SGが地鳴りのような震動に襲われ、地面が崩落していく。
それはルシアンの断頭台を飲み込むほどだった。
「チッ……!くそがッ!」
アレイスターが悪態を吐いた。
『みっともないな、ルシアン!自殺で幕を引くつもりか!』
断頭台ごと地割れに挟まり、ルシアンは地盤に圧殺される。
遮断されていた電波が解放され、SG全域に老人のような声が流れる。
『……レスター。お前は強かった。
まさかお前に私の夢を阻まれるとは思わなかった。
しかも敵対することになるとは、尚更な。』
「こいつが……ルシアン本体の声……?」
前崎は揺れる地面に四つん這いで耐えながら耳を澄ませる。
『……前崎。教えてやろう。
アレイスターの正体は――ISISの亡霊だ。
だからこそ広島に執着し、アメリカを憎む。
あいつの求めるものは平和でも解放でもない。
唯一神アッラーとして君臨し、イスラム教以外の宗派の人間を消すつもりだ。』
その名を聞いた瞬間、前崎の思考が硬直する。
ISIS――かつて中東で猛威を振るったイスラム過激派組織。イラクとシリアに跨がり、首都を名乗り、全世界から戦闘員を募った。
だが、最後は各国の軍事介入で空中分解したはずの亡霊。
「……どういうことだ?まさか本当に……?」
ルシアンの暴露に、アレイスターは堰を切ったように哄笑する。
『そうだよ。前崎。正直、私にとって日本は足がかりだよ。
広島に同情の気持ちはもちろんあるがね』
そう言ってアレイスターは両腕を天へ突き上げた。
まるで天啓を受け取る預言者のように、血走った瞳で虚空を仰ぐ。
その声は雷鳴のように響き、SG全体に反響した。
『ああ!――これこそが私が生まれ落ちた理由だ!
宿命!天命!
先祖が血に塗って果たせなかった悲願を、この手で完遂する!
ルシアン!
お前の叡智の結晶を解き放ち、アメリカを核の炎で焼き尽くす!
傲慢な白人どもに天罰を下し、私は唯一神アッラーとして君臨する!
そして我々イスラムが世界を支配し、真なる平和をもたらすのだ!!
すべては――アッラーの名のもとに!』
声は狂気と熱に震え、信仰とも妄執ともつかぬエネルギーに変わって空間を満たす。
その瞬間、ただの男ではなく、「神を名乗る怪物」がそこに立っていた。
アレイスターは疾風のごとく駆け出し、デリミネーターと放射した。
光線の雨が無差別に放たれ、SGのビル群が次々と崩れ落ちる。
ソウとアリアが守ろうとした音楽堂でさえ、閃光に飲み込まれ、瓦礫へと変わった。
『どうしたルシアン!? 無尽蔵と豪語していたエネルギーは底をついたのか!?
叡智を渡せ!さもなくば仲間が全員死ぬぞ!』
返る声は、もはや諦めを越えた決意の色を帯びていた。
『君の物になるぐらいなら、この手で壊す。
――アダルトレジスタンスの諸君、夢を見せてやれなくて済まない。
だが安心してほしい。必ず“次”が現れる。
私を信じろ……』
アレイスターが近くにある拡声器を破壊するが放送が鳴りやむことはなかった。
『レスター……お前は強かった。
まさか私の夢が阻まれるとは思わなかった……。
だが、次の人間が必ず継ぐ。』
その声が消えた瞬間、前崎はようやく全貌を理解する。
口を噛み締める。
(結局……また宗教と権力、金に憑かれた亡霊どもの争いだ。
歴史は繰り返す――言い得て妙だな。
その果てに、どれだけの命が奪われた?
日本はどれだけ地の底に叩き落とされた?)
脳裏に浮かぶのは、シェイクスピアの『マクベス』。
権力は人を狂わせ、信仰は人を盲目にする。
狂気に取り憑かれた者たちが、正義と名を騙り、血の上に玉座を築く。
自分もまた“平和”を言い訳に、子どもの頸動脈を切り裂いた。
それが日本の未来を守ることだと信じて。
掌にはまだ、温かい血のぬめりがまとわりついて離れない。
(……神だの正義だののために人を殺す。
その滑稽さに、俺たちは巻き込まれた。
――これ以上の屈辱があるか。)
前崎は深く息を吐く。
瓦礫の匂いは血と鉄と硝煙の混じった、死の匂いそのものだった。
(だったら――この馬鹿げた戦争を終わらせるのは俺だ。
誰の神でもなく、誰の正義でもなく、俺の意志で。)
前崎は瓦礫を踏み越える。
足取りは迷いなく、ひと振りの刃のように鋭く。
その背中は、ただひとりで地獄を断ち切ろうとする者の決意を纏っていた。




