File:095 『死の舞踏』
「……音楽堂?」
そこは異様な静けさをまとっていた。
中央に鎮座する大きなステージ。脇には数列だけの観客席。
天井一面を染めるステンドグラスから降り注ぐ光は、まるで礼拝堂のように神聖ですらある。
だが、その神聖さは——血と火薬の匂いに塗れた兵士たちの目には、不気味に映るだけだった。
観客席の一人が腰を落とす。
足に受けた弾丸の痛みに、震える膝を支えきれなかったのだ。
戦闘の只中だというのに、彼の指は冷静に銃創を抉り、鉛の破片を抜き取っていた。
それは訓練ではなく、生き延びるための“慣れ”。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……なんとか……」
目も覆いたくなるような惨状だがこれから何をするべきか一ノ瀬は考えを張り巡らせていた。
幸いなことにエルマーは追ってこなかった。
どうやらここはやつにとっても破壊を躊躇うような場所だったらしい。
「何か使えるものでもあればいいが……!」
ブーーッ!
ブザーのような音が鳴る。
舞台の幕が上げられていく
ステージの上にいたのは二人の少年少女だった。
「……全員、お揃いになりましたか?」
声に、全員の視線が跳ねる。
いつの間にかステージ上には、二人の子どもが立っていた。
資料にあった顔だ。
——シンフォニア。
観客を銃撃・爆殺・拉致した、あの兄妹のような二人だ。
「僕はソウ。」
「私はアリア。」
重なっているのに別々に聞こえる声。
互いの言葉がシンクロし、一つの楽譜をなぞるように文を紡ぐ。
「ここで “あなたたちには” 退場 “して頂きます”。」
その瞬間、背後の古びたスピーカーから流れた旋律が会場を満たした。
サン=サーンス《死の舞踏》。
ヴァイオリンが不気味に跳ねる。
骨が笑うような音。
次の瞬間、兄妹が弾丸のように左右へ飛んだ。
観客席を挟み、互いに撃ち合う形で銃弾をばらまく。
その軌跡はまるで二重奏。
——なのに、互いを傷つけることなく部隊だけを削っていく。
「ぐっ……!」
一ノ瀬は咄嗟にバリアを張ろうとした。
だが迷いの一瞬が遅れを生む。
数名の隊員が血を吐き、崩れ落ちる。
「なんだ!?その動き……!!」
一ノ瀬は思わずそう呟いた。
人間ではありえない直線的な移動。
まるで昆虫だ。
リズムに従って跳ねる生物のように、その二人は無駄なく動いていた。
カラン。
銀の円筒が床に転がる。
「ガスだ!!」
警告が響くより早く、白煙が神経を焼き、意識を蝕んだ。
ステンドグラスの向こう、蜘蛛脚のようなアームが覗く。
——エルマー。
タランチュラが壁を這い、見下ろしている。
咄嗟に黒岩が高宮と東雲を突き飛ばす。
彼自身は咳き込み、床へ倒れ込んだ。
生き残ったのは——三人。
「三人 “生き残った” ね。」
兄妹はステージから見下ろし、音楽の続きを告げるように微笑んだ。
「エル“マー”。 ここは大丈“夫”。 先に行って。」
『……了解。拠点を潰しておく。』
蜘蛛兵器が外壁を這い去ると、音楽堂は一転して不気味な静寂に包まれた。
破壊音の余韻すら消え、ただステンドグラスを透かして落ちる光だけが舞台を照らす。
「……ここまで一瞬で追い込まれるとは。」
高宮が歯を食いしばり、背中からナイフを引き抜く。
彼は狙撃の名手だが、最後の最後には肉弾戦を選ぶ覚悟も決めていた。
「一ノ瀬。まずは、あいつらを沈める。」
「了解。」
一ノ瀬もナイフを抜き、緊張に背筋を冷たくする。
東雲も刀を構え直し、三人は自然と互いに背中を合わせた。
やつらが挟撃してくることが分かった以上この構えが最も合理的だ。
だが——目の前に立つのは“兵士”の顔をした子どもたち。
笑みすら浮かべたその表情には、一片のためらいもない。
「……投降“してくれたら” “嬉しいんだけど”」
2人の背から展開されたのは二振りの片手斧。
それぞれ両手に持っていた。
刃の周囲が揺らぎ、空気ごと振動するように歪んでいた。
あれはただの斧ではない——高出力エネルギー兵装。
存在そのものが“爆弾”だ。
「いく“よ”。——5分40秒から。」
宣言と同時に、二人の姿が視界から掻き消えた。
再びサン=サーンスの曲が流れ始める。
観客席の影を縦横無尽に疾走する残像。
残ったのは赤い残光の尾だけ。
視覚が追いつかない。
強化外骨格を着ているとしても無理のある動きだ。
「ちぃっ……!」
「動くな!東雲!下手に反応したら首が飛ぶ!」
——音が、違う。
人間の足音ではない。
まるでメトロノームの針のように正確で、昆虫の羽音のように不規則かつ不気味に速い。
次の瞬間、高宮の頭上に“前後から”斧が振り下ろされた。
「——ッ!」
火花が散るほどの至近距離。
高宮は咄嗟に身を沈め、かろうじて回避した。
だが二本の斧は空中で激突し、共鳴振動を爆発させる。
ドンッッッ!!!
重低音が音楽堂全体を震わせ、壁に飾られたステンドグラスが粉々に砕け散った。
光の欠片が雨のように降り注ぐ中、高宮は耳を切り裂かれるような衝撃波に晒され、白目を剥いて床に崩れた。
「高宮さんッ!!」
一ノ瀬は叫びながら神経外骨格を起動。
ブースターが爆ぜる音と共に、超加速で双子へ斬りかかる。
——が、ソウはわずかに指を伸ばすだけで東雲の白刃を受け止めた。
「白刃取り……!?」
渾身の一撃を、少年は無邪気な笑みのまま片手で押し返している。
「そんなバカなッ——」
言葉を最後まで吐き出す前に、背後からアリアが跳び込んできた。
後頭部へ叩き込まれた蹴りは鈍い破砕音を響かせ、東雲の身体を宙へ舞い上げた。
「ぐッ——!」
彼は壁へ激突し、咳と共に血を吐き出した。
まだ意識はある。だが双子は躊躇なく追撃に移る。
「待てッ!!」
一ノ瀬が機関銃を乱射する。
しかし双子はまるで楽譜に従うように弾丸の雨を舞うように避ける。
流れ弾すら互いに掠めず、完全なリズムで動き続けていた。
アリアとソウは東雲を挟む形で斧を振りかぶる。
「——ひッ!」
恐怖で東雲が声をあげた瞬間、二本の斧が眼前で打ち鳴らされた。
ギィィィィィィィィィィィィン!!
金属音とも爆音ともつかぬ衝撃波が爆ぜ、音楽堂の半分が吹き飛んだ。
壁も天井も崩落し、夜空に浮かぶ人工星の光が二人の子ども兵士を逆光に浮かび上がらせる。
東雲はもはや耐えられず、意識を失って吹き飛ばされた。
(……こいつら、子どもじゃない……!)
一ノ瀬の脳裏に閃いたのは、かつて中東で蔓延した“子ども自爆兵”。
敵戦車を破壊するため、オーバーリミットさせた斧型のエネルギー装置を抱え、木端微塵に散った小さな兵士たち。
——それと同じ兵器を、今、目の前の双子は迷いもなく振るっている。
しかも、まだ“全力”ですらない。
「……君たちは……何者なんだ……?」
理解を拒む現実に、一ノ瀬は声を震わせた。
「あなた“は”……ケンを“捕らえた”人……ですね?」
双子はゆっくりと斧を収めた。
「“一ノ瀬という男を生かせ”。それがボスの命令。」
ソウが小さな匣を投げつける。
「サーペント、捕らえろ。」
匣から現れたのは黒い機械蛇。
一瞬で一ノ瀬の手足に絡みつき、締め上げる。
「ぐっ……!」
ナイフで数匹は斬り裂いたが、残りが体に巻きつき、無理やり床へ押し付けた。
芋虫のように這いつくばり、顔を上げたとき——眼前、わずか数センチに斧の刃が振り下ろされていた。
「……何者か、ですって?
なら、“昔話”をしてあげましょうか。」
冷ややかな声が、舞台全体に木霊した。




