表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/117

File:008 シュウの過去

シュウがアダルトレジスタンスに加入したのは、3年前だった。


当時、彼はまだ中学1年生だった。


シングルマザーに育てられ、家は貧しかった。それでも、シュウは不幸だと思ったことはない。


――夢を掴む可能性が、まだ目の前にあったからだ。


彼の夢は野球選手だった。


甲子園に出て、プロになり、メジャーに行き、本塁打王と投手でMVPを獲る。そんな無茶な夢を、本気で信じていた。


憧れの選手は「60本塁打、60盗塁、60奪三振」を達成した伝説の二刀流プレイヤー。その人とキャッチボールをするのが、子どもの頃からの夢だった。


シュウは1年生にしてレギュラーを勝ち取り、誰よりも練習に明け暮れた。


だが――その努力は、生まれという、どうしようもない“壁”に潰された。



ある日の試合前。


「お前は今日、ベンチだ」


「……えっ?」


突然告げられた“ベンチ行き”。理由は告げられない。


自分の出番を温存してくれているのかと思った。強豪校ならではの采配だろうと。


だが、次の日も、次の日も――自分に出番が回ってくることはなかった。


我慢できず、監督に詰め寄った。


「監督ッ! 俺は誰よりも練習してるし、打率も一番いい。守備も送球もトップクラス、足も速い。これはデータが示しています!

なんで俺を使ってくれないんですか!」


「……」


しばらく沈黙した監督は、絞り出すように言った。


「野球はな、個人でやるスポーツじゃない。周りを見ろ。それができたら使ってやる」


シュウは、その言葉を信じた。


周りを見て、掃除も片付けも率先してやり、声も出した。


そして、ようやく回ってきた出番――


9回裏、代打で逆転サヨナラの三塁打。


最高の瞬間だった。


ホームベースを踏みしめた時、歓声が上がると信じていた。


だが。


誰一人として、シュウと目を合わせなかった。


何より、母親がそれを“見てしまった”ことが、何よりも屈辱だった。



「……何がダメだったんだろう」


水道で髪を濡らしながら考える。


(監督が言ってた“周りを見ろ”って、どういう意味だったんだ?)


その時だった。


「……おい、お前」


振り向くと、6人の先輩たちが取り囲むように座っていた。


「お前、空気読めよ?」


「……意味が分かんねぇっす。わざと負けろってことすか?」


「違ぇよ。未来のないやつが、いっちょ前に努力すんなって言ってんだよ」


頭がズキズキと痛む。


「……未来がない、ってどういう意味だよ?」


「知らねぇのかよ。甲子園に出るには、金がかかる。貧乏人が野球やっても意味ねぇんだよ」


「バカかお前。奨学金とか、人に借りるとか、方法はいくらでもあるだろ」


その言葉に、先輩たちは腹を抱えて笑った。


「笑わせんなよ。学費すらカツカツの家庭が、何言ってんだか」


その時、シュウは近くのバットを手に取り、怒りのままに振り抜いた。


……が、空を切った。


「お、お前、何してんだよ!」


「未来がねぇなら、テメェらの未来潰してやんよ!」


先輩たちは慌てて逃げて行った。


だが、心の奥は、ズタズタだった。


「……結果がすべてじゃねぇのかよ」



帰宅すると、母親が心配そうに顔を上げた。


「……部活、うまくいってないの?」


シュウは靴を脱ぐ手を止め、わざと軽い口調で返す。


「まぁな。浮いてるっつーか、俺だけズレてんのかも」


「何かあったの?」


「……目立ちすぎたんだよ。母さんのせいじゃないから、気にすんな」


母親は静かにシュウを見つめた。責めるわけでも、慰めるわけでもなく、ただ心配そうに。


その視線が、シュウにはこたえた。


「……監督に言われたんだ。“周りを見ろ”って。でも、正直、何が言いたいのか分かんねぇ」


ポツリとこぼす。


「俺なりに考えて、掃除も道具の片付けもしたし、声だって誰より出した。それでも、なんか違うらしい」


母親は少し考えた後、言葉を選ぶように口を開いた。


「……あんた、一人で頑張りすぎてるのかもね。周りと比べてじゃなく、“一緒に”って意味かもしれない」


「そっか…もうちょっとだけ考えてみる」


俺にも何か至らない所があったかもしれない。

明日先輩たちに謝ろう。

そう思っていた。


だが翌日。


先輩の母親が学校に怒鳴り込んできた。


呼び出されたのは、シュウ一人。


監督室の扉を開けると、先輩の母親が椅子にふんぞり返っていた。隣に、当の先輩本人が座っている。


「私の息子を、バットで殴ろうとしたのは、あなた?」


睨みつけるその目は、勝者の余裕に満ちている。


シュウは黙って立っていた。


「答えなさいッ!」


机をバンッと叩く。音が室内に鋭く響いた。


「……そうですけど。先に喧嘩ふっかけたのは、そいつですよ?」


先輩は俯いたまま、何も言わない。


「口の利き方がなってないわね。貧しいと、そうなるのかしら」


胸の奥が煮えたぎる。拳が震えた。


監督が、わずかに目配せする。「抑えろ」と。


「監督、私がいくら寄付してるか、忘れてないわよね?」


シュウは耳を疑った。


「金積んでるんだから、スタメンの座ぐらい譲りなさいよ」


「……何言ってんだよ。金でレギュラー買ってんのかよ。監督、それ、マジか?」


監督は顔を伏せたままだった。


「何が悪いの?受け取ったのは、彼よ?」


胸糞悪い笑みだった。


シュウは鼻で笑った。


「下手くそなくせに。ピンチ作るわ、打てねぇわ、それでもレギュラー。恥ずかしいっすね」


先輩の母親が、カッと目を見開く。


「うちの子が活躍できれば、それでいいのよ。だいたい野球なんて“お遊び”でしょ? 本気になってムキになる方が、どうかしてるわ」


先輩の母親は、さも当然と言わんばかりに胸を張った。


「部活はね、“教育の一環”なの。子どもに成功体験を与えて、自己肯定感を育む場所よ? 負け癖がついたら困るでしょう?」


「うちの子はね、小さい頃から“ちやほや”されて育ったの。みんな、そうしてあげるものじゃないの? わかる?」


まくし立てながら、鼻で笑い、シュウを蔑む視線で見下ろす。


「それに比べて、あなたは何? 親の顔が見てみたいわ。……あ、理恵子さんだったわね。私の夫の会社で、庶務か何かやってるのよね?」


ニヤリ、と笑うその顔は、獲物をいたぶる肉食獣のようだった。


隣の先輩は、ただ俯いて小さくなっている。母親の暴走を止めることもできず、情けなく目を泳がせるばかりだ。


「私の夫の会社で、庶務か何かやってるのよね? 理恵子さんって。……ああ、可哀想に。息子が問題児だと、お母さんも大変ね」


先輩の母親は、心底哀れむような顔を作っていた。

だが、その奥にあるのは優越感と嘲笑だけだった。


「だから、分かるわよね? スタメンの座ぐらい、譲って当然でしょう? あなたみたいな子が、頑張ってどうするの?」


監督は俯いたまま、何も言わない。

隣の先輩は視線を泳がせ、ただ小さくなっている。


シュウは一度、目を閉じ、息を吐いた。


「……野球って、そういうもんでしたっけ?」


静かに呟く。


「実力があっても、金がなきゃ試合に出れない。

下手でも、金さえ積めばレギュラーになれる。

……それ、本当に“スポーツ”なんすか?」


一拍置いて、目を細める。


「……遊びなら、遊びでいいんですよ。

でも、それに“本気で向き合ってる人間”の場所を、金で奪うのは違うでしょ」


抑えた声だが、その芯は揺るがない。


「俺は、ただ野球がやりたかっただけです。

勝ちたかった。

それだけなのに、なんで金の話になるんすか」


静かな言葉に、誰も返せなかった。


「……わかんねぇかなぁ」


そう呟いて、シュウはゆっくりと立ち上がった。


「ま、いいっすけど。

これ以上、話しても平行線っすね」


先輩の母親が何か言いかけたが、シュウはそれを遮るように監督にだけ一言。


「監督。俺、間違ってますか?」


監督は、俯いたまま答えなかった。


「……ですよね」


シュウはそれ以上言わず、ドアに向かう。


「このチームにいて恥ずかしいっす」


最後にそう吐き捨てた。もはやどうでもいい。


「帰ります」


淡々と、でも確かな言葉でそう告げた。



「俺、野球やめるわ」


家に帰り、母親に告げた。


「なんで?あんなに頑張ってたじゃない」


「金でスタメン買えるらしい。頑張る意味がねぇ」


「そんなこと……」


「母さんのことも脅された。会社で母さんがどうなっても知らねぇぞって」


母は、何も言えなかった。


そこからあまり覚えていない。

怒っていたのか泣いていたのか。

ただ最後に聞いた一言は覚えている。


「どんなことがあっても、一度決めたことは、やり遂げなさい」


その言葉に背中を押され、シュウは意地でも野球を続けた。

そしてどんどん上手くなって行き、なぜ俺を使わないのかと

メンバー内で疑問視されるようになっていった。

それと反比例して先輩はなんであんなやつがレギュラーなの?疎ましく思われるようになっていった。

チームと穴となる先輩を見て自分が誇らしくなった。


そうだ。努力は裏切らない。

神様は見ていてくれる。

努力は神様に捧げる舞のようなものなんだって。


だからどんな逆境だって俺は乗り越えて見せる。


そんなことを思っていた。


夏を過ぎたころ。


母が死んだ。


酔った客先と上司に飲まされ、弄ばれた挙句、路上に放置されたらしい。


性行為の痕跡はあったが、「合意の上でホテルに入っていた」と証言され、

母親の死は薬物による“事故”として処理された。


使われた薬物は、当時はまだ違法指定されておらず、

相手を罪に問うことはできなかった。


訴えたくても、裁判を起こす金などない。

方法すら知らなかった。

奴らは今日もSNSで笑顔でいた。


その一件を境に、シュウは学校を去った。




グローブとバットを海に投げ捨てた。


人生なんて、クソだ。

神様がいるなら、なぜ俺ばかり不幸になる。


怒りに任せ、学校で暴れた。


窓ガラスを割り、車を叩き壊し、監督をバットで殴り、先輩の金玉を潰した。


「やることはやった。もう、死ぬだけだ」


そう思い、海に向かって歩いた。



「……やめときな。ダサいぜ、自殺は」


声をかけたのは、ガタイのいい少年だった。


「話ぐらい、聞いてやるよ」


その言葉に、シュウはこらえきれず、膝をついて泣いた。


少年は「ジュウシロウ」と名乗った。


「俺は貧民街出身。国籍もなけりゃ、名前すらねぇ。親は強制送還されて殺された」


そう淡々と語るジュウシロウは、この国の腐った構造を教えてくれた。


「金が全てを支配する。貧乏人は、絶対に這い上がれない。だから、俺は3年後にこの国をぶっ潰す」


信じられないような話ばかりだったが、不思議と嘘だとは思えなかった。


(……この人には、一生敵わねぇ)


「俺にも、何かできることはないか?」


「判断が早ぇな。もっと悩んでもいいんだぞ?」


「……俺には、居場所がねぇから」


「そうか。なら仕方ねぇな」


ジュウシロウは、俺の手を握った。


「ようこそ、アダルトレジスタンスへ」


その日、俺は“名前”を捨てた。


“ジュウシロウに必要とされる人間になる”――


つまり右腕になる。そういう覚悟の元、ジュウシロウの文字の一部から名を貰い

“シュウ”になった。


そして、今。


彼は黒の隊の副リーダーにまで、上り詰めた。


かつて捨てた俺の名前は、いまも“行方不明”のままだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ