33 梅太郎さんの話
トントンと、私は緊張した面持ちで、寮監室の扉を叩いた。
出迎えてくれた梅太郎さんは、「おや、三葉ちゃんじゃないかい」と、いつもの穏やかな笑みを浮かべて、快く室内へ通してくれた。
定位置となった畳のスペースに座り、お茶を入れてくれている梅太郎さんの姿を見つめ、私は思案する。
昨日の夜から今日の放課後にかけて、彼に関しては様々な考察をしてみた。
…………でもそのどれも、しっくりとはいかず。彼への謎は深まるばかりだった。
だけど私はどうしても、梅太郎さんに対して悪い推測だけは、仮定でもすることは出来なくて。
――――だから。
「あの、急にすみません。今日は、梅太郎さんに聞きたいことがあって来たんです」
「僕に? いいよ、何でも聞いて」
ちゃぶ台に湯飲みを置いて、正面に座った梅太郎さんに、私は早速話を切り出した。まずは確認からだ。
「あの……梅太郎さんの名字って、『桜ノ宮』なんですか?」
「うん、そうだよ」
ドキドキしながら聞いたら、これはあっさりと肯定された。
ただ梅太郎さんは、ちょっとだけ不思議そうに首を傾げる。
「まぁ、あまり公けにはしてないんだけどねぇ。何処で知ったんだい、三葉ちゃん?」
「あっと、それは……」
私は本当半分、ぼやかし半分の説明を、たどたどしく口にする。
「じ、実は私、詳しくは言えないんですけど、魔法関係のちょっとした事件に巻き込まれていまして。それに、『禁断魔法』というのが絡んでいるらしいんです。図書室の禁書庫に、その魔法に関する本があると噂で聞いて……。図書委員の友達に、私が無理に頼んで禁書庫に入れてもらったんです。そ、その子は断ったんですけど、どうしても私が調べたかったので。そうしたら、そこでその……」
「うん」
「き、『禁断魔法の種類と使用法一覧』って本を見つけました。著者欄には、桜ノ宮梅太郎って名前があって……えっと……」
唇をもごもごと動かし、私は次の問うべき質問に悩んだ。
理事長さんと同じ名字なのは偶然ですか?
なんで非魔法適性者の梅太郎さんが、その本の著者に名前が載っているのですか?
梅太郎さんは禁断魔法とどんな関係があるんですか?
そんないくつかの疑問が、頭の中をぐるぐると巡る。
そして私は、それらの質問をまとめて、ただ一言……こう問うた。
「その、梅太郎さんは――――――何者なんですか?」
なんとも間抜けな問い掛けに、室内には僅かな沈黙が生まれる。
その間も、梅太郎さんは動揺した様子もなく、しわ深い手を組み、凪いだ海のような静かな瞳で私を見つめていた。
そして、彼は普段と同じ優しい顔付きで、まるで友達に内緒話でもする口調で言う。
「そうだね。三葉ちゃんのその質問に答えるには、ある一人の少年の物語を、一から話さなくてはいけないかな。…………長くなるけど、良かったら聞いてくれるかい?」
「えっ……」
一瞬、言われた意味を図りかねて、私は疑問符を頭に浮かべた。
しかし、梅太郎さんが『自分のこと』を話そうとしてくれているのだと、遅れて気付き、私は慌てて首を縦に振る。
すると彼は笑い、語り部の如く耳に心地の良い声で、私にある少年の――――『桜ノ宮梅太郎』の物語を聞かせてくれた。
「その少年は、小学生の頃に事故で両親を亡くし、とある孤児院に引き取られた。でも、彼を引き取った孤児院は、とんでもない場所でね。そこは――――魔法適性のある子供ばかりを集め、様々な魔法実験に協力させていたんだ」
「え!?」
「三葉ちゃんは、中学生の頃に、魔法適性が体に出ることは知っているよね? でもその孤児院は、適性が出る前でも、潜在的な魔力の有無を簡単に判別できる技術を有していた。覚醒が中学生の頃ってだけで、実は魔力の源である『魔力源』が体に芽生えるのは、小学校三年生くらいの時期らしいんだよ」
すでに衝撃的な内容ばかりだが、私はこの話の一部を、何処かで聞いたことがある気がした。潜在的な魔力を調査出来る技術って……確か心実と友達になった時に、会話した中にあったよね。
心実の親友さんが、魔法適性があるかどうか、とある機関で調査してもらったって……。
でも、その技術を持ってる機関って――――――
「まぁ正確には、技術を持っていたのは孤児院ではなく、院を運営している『ある機関』の方でねぇ。三葉ちゃんも、名前くらいなら聞いたことがあるかな? ――――――『魔法総合研究所』っていう、表向きは民間の魔法専門機関なんだけど」
「っ!」
私はビクッと大きく身体を震わせた。そのせいで机が揺れ、湯呑みからお茶が少し零れてしまう。梅太郎さんは「おやおや、大丈夫かい?」とすぐに拭いてくれたが、私はそれどころではなかった。
まさかここでも……研究所の話が出て来るなんて。
「ええと、話の続きをしてもいいかい?」
「あ、はい、すみません!」
「……孤児院は、その研究所のための実験施設だった。そこで少年は、特に強い魔法適性を持っていて、魔力が覚醒する前から、いくつもの危険な魔法実験をさせられてきた。中でも、研究所がずっと行っている『ある薬』の開発……それに必要な『禁断魔法』の研究には、特に協力させられたねぇ。毎日が実験尽くしの、地獄のような日々だったよ」
ある薬というのは、おそらく『魔力覚醒薬』に違いない。
梅太郎さんは淡々と語るが、私はそこでの生活を想像して、一気に気分が悪くなってしまった。
もう、世界で起こる魔法関係の悪い事は、すべてあの研究所が絡んでいるのでは、とさえ思えてくる。まさしく、悪の組織と呼ぶにふさわしい所業ばかりだ。
「子供たちはみんな番号で呼ばれ、少年はいつしか、自分の本当の名前を忘れてしまった。彼の心や人格は、もう壊れかけだったねぇ」
梅太郎さんの瞳の深淵に、隠せない程の暗い影が宿った。私では理解し切れない、彼の陰惨な過去の傷を思い、胸が締め付けられるように痛くなる。
でも梅太郎さんは今、そんな思い出したくもない昔のことを、私のために話してくれているのだ。
それなら私は……聞いていて辛くても、ちゃんと最後まで耳を傾けなくてはいけない。
「――――でも、そんな少年にも転機が訪れた。以前から研究所自体に疑念を抱いていた、魔法の名門一族・桜ノ宮家が、孤児院を怪しんで調査に入ったんだよ」
「桜ノ宮家が……?」
「そこでの悪事は暴かれ、孤児院は廃止になった。……研究所の方には、孤児院側が勝手にやったことだと逃げられてしまったけどねぇ。とにかく、子供たちは保護され、桜ノ宮家の管轄の施設で預かることになったんだ。ただ一人、その少年を除いてね」
「し、少年はどうなったんですか?」
「彼はもう十四歳くらいになっていたかな。その高い魔法の素質を評価した桜ノ宮家は、少年だけは自分の家で引き取ることにしたんだよ。子供たちの中で、彼が一番心身共に酷い状態だったから、特別なケアを必要としたのもあるけれど……。結果的に、少年は桜ノ宮家の養子になったんだ」
だから、梅太郎さんの名字が『桜ノ宮』なのか……と、私はやっと一つの疑問に合点がいった。
波乱万丈な人生だよねぇと、暗い影など無かったように、彼は顎鬚を揺らして笑う。
「桜ノ宮家の人たちは、番号ではない彼の本当の名前を呼び、優しく接してくれたけど……。彼はそれが自分の名前だと思えず、いつも虚ろな目で口を閉ざし、ひたすら他人を拒絶していたねぇ」
脳内で、空っぽな瞳の少年が、広いお屋敷で独り、膝を抱えている様子が浮かんできた。どれもこれも想像だが、それは酷く痛々しくて……悲しくて寂しい。
それは現在の、親しみやすく、多くの生徒たちから慕われている梅太郎さんの姿とは、とても重ならない。
「そんな少年の心を強引にこじ開けたのが――――――桜ノ宮家の長女で、常に勝気な一人のお嬢様だった。少年と歳も近く、よく喋りかけていたんだけど、名前を呼んでも答えない少年に、彼女はついに痺れを切らしてね。……ある日、そのお嬢様は少年の背中に、いきなり飛び蹴りをかましたんだよ」
「飛び蹴り!?」
「あれは痛かったなぁ……。そして、驚きと痛みで混乱している少年に、お嬢様はこう言ったんだ」
コホン、と梅太郎さんは咳払いをする。
「『貴方がどんな酷い目に遇って生きてきたか、私は知らないわ。でも、過去はどうあれ、今の貴方は私の家族なの。以前の名前で反応しないなら、生まれ変わった貴方に、私が新しい名前を付けて差し上げるわ。だから、その辛気臭い顔を止めて、家族が呼んだらちゃんと返事をしなさい』……ってね」
「それは……なんというか、凄いですね」
滅茶苦茶な理論です、お嬢様――――――というか、理事長さん。
なんか、若い彼女が縦ロールを揺らして、自信満々に言い切る姿が目に浮かぶようだった。
「そして、お嬢様の名前の『桜』にちなんで、少年は春の同時期に咲く『梅』の名を貰ったんだよ」
「……桜と梅、ですか」
「そう。いつも一緒に咲けるように、とね。……強引ではあったけど、これがきっかけで、彼は徐々に明るくなっていったんだ。それから、少年にとってお嬢様は、誰よりも大切な人になってねぇ。意外と甘党で可愛い物好きな彼女のために、お菓子作りやぬいぐるみ作りなんかも覚えたなぁ」
梅太郎さんはお茶に口をつけ、懐かしむように目を細めた。その表情が、穏やかな幸福に包まれたもので、私まで口元を緩めてしまう。
……しかし、話を聞くうちに、彼の謎は順番に解かれつつあるけど、まだ大きな疑問は二つ残っていた。
まず、どうやら梅太郎さんは、かなり強い魔力をお持ちだったようなのに、なぜ今は非魔法適者なのか。これは話の中でまだ明かされていない。
それともう一つ。さっき梅太郎さんは、お嬢様……理事長さんと、歳が近いと言った。でも梅太郎さんは、若く見ても50代後半。理事長さんは30代前半のはずだし、年齢がどう考えても合わない。
どちらも気になるけど……それを今問うよりも、まずは彼の話を最後まで聞こうと思う。
「お嬢様は将来、『生徒みんなが誇れる、世界一の魔法学校を創る』のが夢だと言っていた。少年はその夢が叶う日を、一番に楽しみにしていたよ。そして彼自身も……少しでも恩返しをしようと、桜ノ宮家がやっていた『禁断魔法』の研究に、力を貸すようになってねぇ」
「へっ? さ、桜ノ宮家も、禁断魔法の研究をしてたんですか?」
「こっちは、ちゃんと国の魔法機関の許可を取ってるよ。もちろん研究所みたく、非道な手段は用いていない。当時はまだ禁断魔法への規制は緩く、桜ノ宮家も魔法の発展のために研究を行っていたんだ。少年は孤児院時代の知識もあり、それに大いに貢献してねぇ。……お嬢様は、そんな彼を大袈裟なほど褒めてくれた」
とても幸せな日々だったよ―――――と、梅太郎さんは静かに目を伏せた。
「研究の成果は、すべて一冊の本にまとめられ、桜ノ宮家で大切に保管された。――――それが、三葉ちゃんが見つけた『禁断魔法の種類と使用法一覧』という本だね。現在はこの学校の禁書庫に隠してある、世界であれ一冊しかない、貴重な文献さ。…………でもそれを巡って、ある日事件が起きたんだ」
「事件……?」
「あの本を盗みに、桜ノ宮家に何者かが侵入したんだ。厳重な警備を抜け、侵入者は本の保管場所を見つけた。ただ、特殊な魔法が掛けられた本自体を、持ち出すことは出来なかったようでね……奴らは、必要なページだけを破っていった」
「し、侵入者は捕まったんですかっ?」
「いいや。僕は盗まれたページを見て、すぐに侵入者は研究所の奴らだと睨んだよ。孤児院の件で打ち止めを喰らった、薬の開発に必要な禁断魔法の情報が、どうしても欲しかったんだろうと。けれど証拠はなく、まんまと盗み出されてそのままだねぇ」
やっぱりあの破られたページにこそ、ポチ太郎と例の部屋で見た薬の資料の謎を、解くための鍵となる情報が記されていたようだった。
当時の梅太郎さんたちの無念や、私自身の悔しさも合わさり、グッと唇を噛む。
「本だけの被害なら、まだ良かったんだ。でもこの事件には、さらなる悲劇があってねぇ。……侵入者を追いかけ、捕まえようとしたお嬢様が、酷い大怪我をしたんだよ」
「大怪我……!?」
「優れた魔法能力を持つお嬢様は、『炎』の属性魔法の使い手でもあった。でも、力はまだ不安定でねぇ。侵入者と戦闘になった際、彼女は魔力の制御を誤り、自らの炎に巻かれてしまったんだ。……少年が駆け付けた時、お嬢様は全身に火傷を負った、無残な状態だった」
「そんな……」
あまりの事態に、私は口元を押さえた。
沈痛な梅太郎さんの声が、若草色の畳の上に、ポツリポツリと落ちていく。
「なんとか一命は取り留めたけど、意識は戻らず、全身火傷に加え両目は失明。どんなに高度な治癒魔法でも、こればかりは手の施しようがなかった。目を覚まさないお嬢様の傍で、少年はただただ考えたよ――――どうしたら、お嬢様を救えるのかを。そして、彼は一つの答えに辿り着いた」
私は、次に梅太郎さんが発する言葉が予想出来た。
大切な人を助けるため、少年が何を思い、考え、どんな答えを導いたのか。……話を聞いているだけの私でも、嫌というほど分かってしまった。
……そして、彼は予想通りの言葉を紡ぐ。
「少年はねぇ、お嬢様を救うために――――――数ある中でも危険度の高い、ある『禁断魔法』を使ったんだ」





