06 畑作り
温石と入浴剤のおかげで、ますます寒くなろうとしている天幕での生活にも慣れてきた。
数少ない女性陣はエレインをよく気にかけてくれるし、男性も薬師であるエレインを頼ってくれるようになってきた。
軍医ジラウド・シャリエとは相変わらずだが、職務遂行上は問題ないので、エレインはあまり気にしていない。
忙しくもつつがなく薬師としての職務に当たっているエレインの元に、今日も患者がやってきた。
「こんにちは、エドさん。今日はどうされましたか?」
「すんません、薬師殿。こんなことで来て良いのか悩んだんだが……」
「どんな些細なご相談でも大歓迎ですよ」
「ありがたい……実は、夜中によく足をつるんだよ。もう何日も。痛みで急に目が覚めて、治まったころには眠れなくなっているから、ここしばらく寝不足でな……」
「それは辛いでしょう。兵士であるエドさんは身体が資本ですから、なおさら。ちょっとあちこち診させてもらいますね」
手や足を診たり触ったりしているエレインに、エドはさらに続ける。
「睡眠薬とか出してもらえるかな」
「うーん。それよりも、別の薬をお出ししようと思います。足がつりにくくなるようなお薬です。毎食後に一包、お水と一緒に飲んでください」
「ああ、ありがたい」
「お大事に」
ロザリーがエドを見送り、エレインは手早く記録簿に書き残す。
今日この時間までの患者は七人。うち四人はエドと似たような症状だった。エドを含めた五人の記録簿を眺めながら、エレインは一人呟く。
「塩分過多」
「塩分?」
「はい。ここ最近の患者が訴える症状は、すべて塩分過多が原因に考えられるなと思って」
足をつるのは塩分の取り過ぎで表れる症状の一つだ。他の患者はむくみや目のかすれを訴えていた。
全く関係ない相談に見えて、これら全ては塩分が原因だろうとエレインは睨んでいた。
塩分過多と思われる患者には、取り過ぎた塩分の排出を促す薬を渡している。「足がつりにくくなる薬」と言ってエドに渡した薬も同様だ。
しかし、根本的に解決しなければ患者は減らない。
「味覚の好みもあるでしょうけど、たぶん普段の食生活から来ているんだと思います」
「確かにうちの食事は保存食が多いですね」
ブロンデルの各駐屯地は街から離れた国境付近に設営されていることもあり、食は補給に支えられている。
そのほとんどは穀物や干し肉、干し野菜、オイル漬けだ。保存のため塩漬けにしてあるものが多く、塩抜きをしてもたかが知れているというものだ。
たまに近くの川で鱒や鮎を釣ったり、森に入って鹿などを狩ってくることがあるそうだが、それが日常的に全員の口に入るわけでもない。
「新鮮なお肉や野菜がほしいところです。それに薬草も」
食料と同じく、エレインが使う薬も乾燥させたものばかりだった。
時には新鮮な薬草の方が使い勝手が良かったり、効果が高かったりするので、できれば生の薬草も手に入れておきたい。
「いっそ駐屯地の中に畑を作るのはどうでしょう」
「畑ですか。少し柵を広げればいいだけなので、土地は確保できると思いますが」
「意外と上手くいきそうな気がします。ブロンデルの水と土は豊かだし」
「だからこの土地がウルキアに狙われているわけですものね」
とはいえ、畑の手入れともなるとエレインだけでは手が回らないだろう。
誰かに手伝ってもらうにしても、温石用の石を河原から拾ってきてもらうのとは話が違う。
畑は毎日面倒を見てやらなければいけないのだ。
駐屯地にいる人は皆それぞれの役割があるのだから、畑の面倒を見させるわけにはいかない。
今はエレインの助手とは言え、少尉であり貴族令嬢でもあるロザリーなんてもってのほか。
「でもまぁ、薬草くらいなら私だけでも何とかなるかな?」
エレインはさっそく司令エミリアーノから畑作の許可を取り付けた。
ロザリーに留守番を頼み、エレインひとりで駐屯地の外れの土を耕す。
薬草用の小さな畑でも土を掘り返すのは大変だ。
エレインの生家には敷地内に小さな畑があったが、当時のエレインは小さすぎて草むしりくらいしかしたことがない。
薬師として薬草を育てることはあっても鉢植えだったし、前世では言わずもがな。
というわけで、農具の扱いが下手であった。
石や根の深い草を取り除くのに手間取って、どんどん時間ばかりが過ぎていく。
必死になって土を耕すエレインの頭上に、ふいに低い声が降ってきた。
声を聞かずとも皮膚に刺さる鋭い視線で誰か分かる。軍医ジラウド・シャリエだ。
「その様子では世界が滅びるまで畑などできないだろうな」
「お疲れさまです、軍医殿。お足元が汚れてはいけませんので、これ以上はご遠慮ください」
一度手を止めぺこりと頭を下げてから、返事も待たずに作業を再開した。
軍医が薬師の畑などに何の用があると言うのか。忙しいはずなのに、わざわざ嫌みを言うためだけに顔を出したのか。悶々としはじめたエレインに構わず、ジラウドは背後に声をかけた。
「お前たち、頼んだぞ」
「お任せください、軍医殿!」
「薬師殿、よろしくお願いします」
「ん?」
ジラウドの声を受けて、三人の男たちがエレインの畑予定地に入ってきた。
各々が手に農具を持ち、まだ固い地面に突き立てる。筋骨隆々とした上半身が振り下ろす農具は、固いはずの地面をまるで柔らかいもののようにえぐっていた。
「彼らは負傷兵だ。怪我により戦闘からは一時退いているものの、動けないほどではない。じっとしているのも回復に良くないから、適度に使ってやってくれ」
「え?」
ジラウドはそれだけ告げると、男三人を残し立ち去った。
軍医により派遣された男三人のうち、二人はよく働いた。背の高い方がギャリー、小柄な方がクリスという名前で、二人ともブロンデルの農村出身らしい。
「俺らってば食い扶持減らすために来たけど、争いごとって苦手でぇ」
「武器より農具の方が使い慣れてるんすよ。あっはっは」
しゃべりながらもよく働く二人のおかげで、せいぜい両手を広げた程度の予定だったエレインの薬草畑が、走り回れるほどの広さになろうとしている。
(もしかして、助けてくれた?)
ジラウドの行動の意味がわからずしばし呆然としていたエレインだが、呆然としているエレインより動かない男に気がついて顔を上げた。
(この人は……)
派遣された三人のうちのひとりは、どうやら貴族出身のようだ。
先ほどから手を動かさず、その場に立っているだけ。他の二人と作業の相談をしたり、エレインに指示を仰ぐこともない。
「ああ、信じられない。なぜ僕がこんなことを。畑仕事なんて農夫のやることだ。兵士よりよっぽど悪い」
ようやく動いたと思えば、文句を言いながら石ころを蹴るだけである。
「おーい、フェルナン様も手伝ってくださいよぉ」
「身体なまっちまいますよー」
「黙れ! 誰に向かって命令しているんだ!」
「別に命令じゃありませんよぉ」
「一緒にやりましょうよー」
「誰が農夫のまねごとなど! 僕を誰だと思っている! セドリクス伯爵家の人間だぞっ!」
怒った様子のフェルナンは、農具を地面にたたきつけた。
(あらら)
フェルナンの様子に前世を思い出した。両親のことだ。
前世の両親も、貴族であることに価値を置いていた。
「歴史ある貴族なのだからふさわしい装いを」と言って大金をかけて着飾るのに、働くこともしなかったから金を生み出す術を知らなかった人たち。
領地は年々痩せ細り、領民の流出も止まらなかった。訴状がたくさん来ていたはずなのに、父も母も何もしなかった。
最後には、「歴史ある貴族なのに元平民の野蛮人に娘を嫁がせるなんて」と口先で嘆きながら、その元平民の金で贅沢な食事をしていた。
前世のエレインは夫殺しの罪で死んだから、両親も無事だったとは思えない。間違いなく妻の実家への資金援助は打ち切られていただろう。
エレインの他に子供を持てなかった両親はどこからも金を得ることができないまま、しまいには領地を没収されて没落したに違いない。
ちなみに、名前も覚えていない前世の生家についてはあえて思い出さないようにしているので、正確なところは分からないのだが。
「だいたい、僕が一番重傷なんだぞ。こんな仕事をするのはお前たちだけで十分だ」
「でも、三人とも働けって軍医殿のご命令だからさ」
「知るかそんなこと!」
三人の会話を聞きながら、エレインは畑に向かってため息を吐いた。
(そんなこと言ってると、いつかうちの両親みたいになるんだから)
今日初めて見る顔だがなんとなく放ってはおけない気がしてきて、エレインは農具をざくっと土に突き刺した。
「フェルナン様とおっしゃるんですね。フェルナン様は耕すのが苦手そうだったら、二人が耕したところに種を蒔いてください。こんな感じで」
人手が増えたおかげで、薬草だけでなく新鮮な野菜も育てられそうなので、手っ取り早く二十日大根から試してみることにする。
しゃがんだエレインは指で畝に溝を掘り、二十日大根の種をパラパラと落とした。
「種を植えたら土を軽く被せて、たっぷり水をあげます。簡単ですから」
「ふんっ」
エレインが差し出した種袋を嫌そうに受け取ったフェルナンが、騎士のように畝の前に膝をつく。
すると、離れたところからクリスとギャリーが叫んだ。
「おっ、フェルナン様! なんの種蒔いてるんですかー!」
「知らん!」
「フェルナン様、その座り方じゃ膝が濡れちゃいますよぉ」
「膝は上げて尻だけ落としてー! 便所のときみたいにー!」
「ええいやかましいっ!」
フェルナンの声が一番大きいと思ったが、エレインは黙っていることにした。




