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私を殺した前世の夫が迫ってくる  作者: 三糸べこ


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05 薬師の初仕事

「やあ、マリネル少尉。それにベルジュ君、調子はどうかね?」

「司令官殿。おはようございます」


 ベルを鳴らし天幕に入ってきたのは司令エミリアーノだった。昨日説教された時は部下や護衛を引き連れていたような気もするが、今日は一人だ。

 見た目も雰囲気もまるで軍人に見えないエミリアーノは、挨拶をするようにひょいと片手を上げると、その手を下ろしポンポンと腹を叩いた。いい音が鳴った。


「天幕の夜はどうだったかね? 砦や城なんかとは違って底冷えがひどいだろう」

「なんとか眠れました。すぐに慣れると思います」

「それはよかった。ブロンデルは夏の終わりから寒いからね。寒くなると腹が冷えていけない。チミも気をつけなさい」

「はい、お気遣いいただきありがとうございます」


 言いながら、エミリアーノは叩いた腹をさすった。


「本当はもっと温かくしてあげたいんだけどね。暖房も燃料も限りがあるから、寝起き用の天幕まではどうしても行き届かない」


 しかし、寒いが凍え死ぬほどではないのがブロンデルの冬だ。

 ブロンデルの住人にとっては「薪代を節約し耐える寒い冬」なのだが、薪がなくても越せる冬というのも北の山国にとっては戦争を仕掛けたくなるほど魅力的なのだろう。


(それはそうと……)


 エレインはエミリアーノの腹に視線をやった。

 ゴシゴシとさすって温めているようにも見えるが、寒さの為に腹を温める場合、一般的にはへそより下を温める。

 肉が多いので目視では若干分かりにくいが、エミリアーノが擦っているのはへその上、おそらくみぞおちの辺りだ。

 念のため、作業を再開しているロザリーにも聞こえないよう、声を抑えて耳打ちした。


「司令官様。もしかして、胃が痛むのでしょうか? よろしければ診察いたします」

「やあ、バレてしまったか。いい薬師が来てくれたようでよかったよ」


 ほとんど同じ高さにあるエミリアーノの目が細められる。


「実は、チミの言うとおりでね。せっかくだから診察をお願いしようかな」

「はい、もちろんです。人払いをいたしますか?」

「いや、チミとマリネル少尉以外に口外しなければ、構わないよ」

「薬師には守秘義務がございますから、ご安心ください」


 まだ整っていない薬剤室の一番いい椅子にエミリアーノを勧め、エレインはその正面に小さな丸椅子を置いて腰を下ろした。


「ではさっそくですが、胃痛はいつ頃から始まりましたか?」

「うん。胃痛の時期はこの駐屯地に赴任されてからしばらくした頃で――」


 問診や触診の結果、エミリアーノの胃痛は心労によるものだと判った。

 貴族は有事の際に真っ先に戦う身分だ。それなりの家に生まれたからには、従軍はある種の義務となる。

 前線とも言えるブロンデルの駐屯地を預かり、その後ろにあるたくさんの命を守るのは大変な名誉だが、気苦労が絶えることはない。


(まぁこれは、ジラウド・シャリエの言うとおりよね)


 大の男でも疲弊する。エミリアーノの場合はそれが胃に来ているようだった。


「すぐにお薬をご用意いたします」


 エレインはベルカイムから持参した薬箱の中から必要な素材を取り出し、小さなはかりで計量した。

 一回ずつの分量に小分けされた薬袋があっという間に積み上がっていくのを見て、エミリアーノは感嘆の声を上げる。


「おお、早いね」

「量って混ぜるだけのお薬ですから。お茶のように淹れて三分ほど蒸らしたものを、一日に一回お飲みください。軽いお薬ですから急な変化はありませんが、お身体への負担も少なくて済みます。二、三日ほど様子を見て飲む回数を増やしてもかまいません。効かないようであればもっと強いお薬もご用意できます」


 封筒大の袋にまとめて入れた薬を、エミリアーノは嬉しそうに受け取った。


「まずは二週間分ご用意しました。お薬がなくなる頃にまたお越しください」

「助かるよ」

 

 司令としての立場上、不調を見せないよう振る舞っていても、限界はあっただろう。

 少しでも楽になるよう祈りながら、司令室へ戻るエミリアーノを見送った。


 *


 昼休憩を挟みながら荷解きを続け、一通り薬剤室が片付いた頃にはすっかり日が傾いていた。

 これから訓練に参加するというロザリーを見送り、エレインも天幕を出る。


(やっぱりこの寒さは堪えるわ)


 ジラウドにはああ言ったが寒いものは寒いし、実は、啖呵が切れるほど寒さが得意というわけでもない。要は、売り言葉に買い言葉だったわけだ。

 昨日はしっかり湯船に浸かったのだが、湯冷めも早かった。

 夕食による体温上昇も、温かいものといえばお茶程度の食事内容であれば推して知るべし。


(これでは体調を崩してしまう人が出てもおかしくないわ)


 そんな人を診るのが薬師の仕事ではあるのだが、そうならないように気を配るのも仕事のひとつだ。

 もちろん鍛えている軍人は平気なのかもしれないが、「平気」と「過ごしやすい」は違うものだろう。


「うー、寒い」


 中心部を背に、駐屯地を囲う柵を目指す。

 それから柵沿いにしばらく歩くと、ちょうど良い大きさの石が何個か集まった。形はあまり良くないが、ないよりましだ。


 急ぎ薬剤室に戻り、天幕に設置されている薪ストーブの中に石を放り込む。

 寝起きする宿舎用の天幕にストーブはないが、司令室をはじめとした事務処理を行う天幕、食堂、医務室などにはストーブが設置されていて、日中からの使用を許可されている。もちろん、薬剤室にも。

 エレインはこのストーブで温石を作り、寝台の中に忍ばせようと考えたのだった。


 石を温めている間、傍らで縫い物を始める。布と布の間に綿を詰め、気合いで縫い合わせていく。やがてできあがった簡易的なキルト生地を袋型に縫えば、温石入れの完成だ。

 拾ってきた石はゴツゴツとして形が悪い。寝ている間に痛い思いをしないよう、キルトには綿をたっぷり挟んでいる。


 引き続き石を温めつつ、ストーブの上に浅鍋を置く。乾燥させた薬草を数種類、目分量で入れて乾煎りにした。温石入れと一緒に作っておいた目の粗い麻袋に詰め込めば入浴剤の完成だ。

 エレインが地元でよく使っていた入浴剤と同じような殺菌効果と、身体を温める効果のある薬草を使っている。さっそく、お湯を用意し始めている女湯の方に入れておいた。


「わあっ!」


 その日の夜、ほのかに良い香りを漂わせるロザリーが寝台に入った途端に声を上げた。


「エレイン、これは……!」

「健康は体温の上昇からと思って、温石を用意してみました」

「も、もしかしてお風呂も」

「はい。身体を温め、殺菌作用のある薬草で作った入浴剤です。少しですが、香りがあるのもいいかなって」


 戦時中の女兵士たちに香水のような香りものを使うわけにはいかないが、薬草の香りはほんわずかなものだ。

 けれど、そのわずかな香りも心身に作用する。女性ならなおのこと喜んでもらえるかと思ったのだ。


(思ったんだけど……)


 ロザリーは唇を噛みしめ、ぷるぷると震えていた。

 勝手に温石や入浴剤を用意するのは良くなかっただろうか。心配していると、ロザリーは胸の前に片手を当てた。

 軍人が挨拶や感謝、謝罪などを表すときに使う挙手の礼だ。


「薬師エレインが来てくださったこと、このロザリー・マリネル、改めて感謝の念に堪えません!」

「喜んでもらえて良かったです。じゃあ皆さんの分の温石も用意してみようかな」

「みな喜びますよ!」


 *


 翌日、ロザリーの呼びかけもあり、入浴剤は男湯の方にも入れられることになった。

 湯冷めしにくい上に、薬草の強すぎない香りは男性にも好評のようだ。


 また、有志の兵が河原へ赴き、丸みのある手頃な大きさの石を大量に持ち帰ってきた。これで駐屯地中に温石が行き渡る。

 各自、自分の温石入れは自分で作っていたが、石を温めるのは薬剤室だけでは補いきれない。そこで常に火を使っている天幕――風呂や厨房などでも分担して温めることが決まった。


「あんたが新しく来たっていう薬師さんだよね?」


 夕方、温めた温石を配っているエレインの元に、数名の兵士がやってきた。全員女性だ。


「はい。薬師エレイン・ベルジュです」

「ありがとうエレイン。お風呂がいい匂いで最高だったよ。しかも湯冷めしにくいんだってね?」

「温石もありがたいわ。懐炉は油が高いからって禁止されてるのよね。火器も扱っているし」


 喜んでもらえて薬師冥利に尽きる。

 嬉しくてにこにこしているエレインに、女兵士たちがさらに近寄ってくる。そして顔を寄せ、小さな声で言った。


「それとこの前、聞こえてたわよぉ。はっきり言ってくれてすっきりしちゃった」


 十中八九、ジラウドと言い争っていたことだろう。


「聞こえていましたか。おはずかしい」

「こっちこそ盗み聞きしたみたいで悪かったね。たまたま近くにいてさ」

「私たちだってそれぞれ覚悟を持ってやってるのに、ああ言われちゃねぇ……でも、好きなのよね?」

「すっ!?」


 思わず声が裏返る。


「配属先の軍医が憧れの人だったのでは?」

「そうそう。あの人って有名らしいじゃない。エレインも知ってたんでしょう?」

「名前だけは知ってましたけど……」


 確かにエレインはジラウド・シャリエを知っていた。

 それは彼が医療の世界での有名人だからだ。前世の夫の生まれ変わりだと気付いて動揺したときの態度が彼女たちを勘違いさせてしまっているらしい。

 言われてみれば紛らわしかったかもしれないが、好きではないということだけはしっかりと伝えておかなければ。


 しかし女兵士たちは楽しそうに会話を続けている。

 

「あの、好きとかじゃなくてですね」

「まあ分からないでもないよ。いいところの出だし、医者としての腕も良いしね」

「えっ」

「でも怖くない? いっつも誰かを睨んでるわよね」

「顔が悪いわけじゃないと思うんだけどな。あれはあれでいい」

「ジラウド様は生まれつきあの目つきなのです」

「にしても、あんなこと言う人だと思ってなかったのにねぇ。エレインは軍医殿のどこが好きなわけ?」

「いえ、だから、好きとかじゃなくて」

「いいよいいよ、隠さなくても! やっぱこういう時だからこそ、こういう話も必要だと思うんだよ」


 女兵士たちはキラキラした目でエレインを見てくる。助けを求めて視線を向けたロザリーまで。


(なんだか良くない図ができあがっている気がする……!)


 高位貴族出身の軍医に憧れる、平民の薬師。そして、そんな薬師を疎ましく思う軍医。

 かつてのエレインは確かに、夫を好ましく思っていた。殺されるほど憎まれていたのだと知って、生まれ変わってからもしばらく落ち込んだ程度には。


 今だって、毒に侵された夫の姿を思い出すと胸が苦しい。

 信じてもらえずに殺された恨みより、あんな風に苦しんでほしくなかったという思いの方が強い。


(私も大概、ばかな女)


 いくら好ましく思っていたとしても、あんな態度を取られたら前世からの恋も冷めるというものだ。

 死んでから二百年。生まれ変わって二十四年。そこまで経てばとっくに他人だ。別人だ。もはや何の義理もないというのに。


「私、恋愛とかには興味が……」

「エレイン、エレイン。噂をすればですよ」


 ロザリーの声に視線を上げると、少し離れたところにジラウドがいた。

 温石の受け取りで兵士たちがごった返す中でも、相変わらずジラウドはエレインを睨んでいるようだ。


「温石、渡してきたら?」


 温めた石はまだたくさんある。自分で温石入れを縫えない人のために、せっせと作った袋もある。

 しばらくためらったエレインだったが、手早く石を袋に詰めて、ジラウドに近寄った。

 ジラウドは自ら近づくことも、遠ざかることもなく、エレインが目の前に近づいてくる様子を睨んでいる。


「どうぞ」


 ぽかぽかの温石を突き出す。反射でそれを受けとったジラウドは、今度は温石を睨みつけた。


「どうして」

「どうしてって……、軍医が風邪を引くわけにもいかないかと思いましたので」

「俺はこの程度の寒さで風邪など引かない。君とは鍛え方が違う」

「不要でしたらお返しください」

「……そうは言っていない」


 捨て台詞を吐きながらジラウドが立ち去る。けれど、温石は返されなかった。

 駆け寄ってきたロザリーたちはきゃあきゃあと楽しそうだ。


「やったじゃん!」

「受け取ってもらえて良かったですね」

「はい。職務ですから」


 翌日から、医務室でも石を温めてくれることになった。

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