27 約束をもう一度
全ては、前世のジョゼ、今世のアレクサンドラ・モントレー夫人の愛が歪んだ結果だった。
自分と結婚するものだと思っていた前世のジラウドがエレインと結ばれた。自分のものにならなかったジラウドを殺し、その罪をエレインになすりつけ、おそらくはジョゼ自身も後を追うようにして死んだ。
今世でもジラウドとエレインは出会った。しかも、モントレー夫人はジラウドの祖母と変わらないような年齢差で生まれ変わっていた。
だからまたジラウドを殺し、自分も死んで、一からやり直すつもりだったのだ。ついでに憎いエレインも死ねばいいと思ったし、一人だけ生き残って孤独を味わうのもいいとも考えた。
しかし結局、今世では誰も死ななかった。
きっともう、モントレー夫人の望みが叶うことはない。これから先、何度生まれ変わったとしても。
(それはともかくとして……)
モントレー夫人が憲兵に連れて行かれた時の格好のまま、ジラウドが入り口付近に立ち尽くしている。
エレインに何か言うでもなく、部屋に入るでもなく、扉を閉めて出て行くでもない。
先に我慢できなくなったのはエレインの方で、棒立ちしたままのジラウドにそっと声をかけた。
「……ジラウド様?」
「…………」
返事はなかったが、ジラウドは黙ったままエレインの側に寄って、手を取り脈を測りはじめた。
それから「顔色を確認しています」とでも言いたいような顔でじっとエレインを見つめる。
先ほどは気付かなかったが、いつもきっちり整っている銀髪は乱れて、目には隈が浮かんでいた。強制的に休ませたあの日より顔色が悪くて、どちらが病人か分かったものではない。
「ジラウド様」
もう一度、名前呼ぶ。
するととうとう、張り詰めた糸が切れたかのようにジラウドはぐったりとして床に膝をついた。
「……エレイン……無事でよかった……本当に……」
エレインが休んでいるベッドに上半身を伏せて、くぐもった声で言う。
「ジラウド様も私を助けてくれたんですよね。ありがとうございます」
「…………」
しばらく突っ伏していたジラウドはゆっくりと身体を起こし、ポケットに手を入れた。小さな瓶を取り出し、エレインの手にそれを握らせる。
「これを身につけてくれていてよかった」
「あ、これ」
オルガ曰く、エレインの乙女心。ロケットペンダントと一緒に身につけていた星光石のペンダントだ。
砕けてしまっているが、輝きは変わっていない。瓶詰めの星光石もこれはこれで綺麗だった。
「着替えた後も身につけてくれていたんだな。嬉しかった」
「…………」
ジラウドの真っ直ぐな言葉にエレインは赤面した。誤魔化すように話題を変える。
「それより、ジラウド様もお元気そうで」
「あの毒に身体を慣らしていたんだ」
「慣らしていたんですか?」
「貴族だからな」
確かに貴族は、その地方で入手しやすい毒などに身体を慣らしておく習慣がある。家格や性別、出生順で慣らす毒の種類や程度は異なる。
前世のエレインも毒は慣らさなかったが、酒は幼い頃から慣らされていたものだ。
ガルディ侯爵家の直系の三男で、この能力にこの容姿ともなれば、毒への耐性も必須なのかもしれない。
「でも、解毒剤がよく効いたよ。ほとんど無症状ですぐに回復できた。ありがとう」
「どういたし、まし……て……」
真面目にお礼を言われていたというのに、その時のことを思い出したエレインはますます顔を赤くした。
解毒剤を飲ませる時、エレインはジルにキスをした。
あくまで薬を口移ししただけの医療行為ではあるのだが、エレインの様子に気付いたジラウドまで目尻を染めている。この様子では、ジラウドもその時のことを覚えているらしい。
「…………」
「…………」
再び二人を妙な静寂が包む。少しずつ冷静になってきたエレインは、死んだと思ったときに聞いたジラウドの声を思い出した。
(そういえば、『君を二度と死なせないために』って言っていたような?)
一度目がなければ「二度と」とは言わない。エレインが死んだと言えば、前世でのことしか心当たりはなかった。
(まさか、ジラウド様も前世を覚えて……!?)
赤かったはずの顔が白くなり、次に青ざめ始める。嫌な汗まで噴き出してきた。
当時の犯人とその動機は分かった。ジラウドだけに毒を盛った手口も分かった。
しかし、まだ謎は残っている。
(どうして私は、夫に刺し殺されたのか)
自身に毒を盛ったのが妻だと考えて、その報復として殺したのではなかったのか。
しかし、もしジラウドに前世の記憶があるのだとしたら。今世で再び出会って、重ねて来た時間は、一体何だったのだろう。
(あれが嘘だとは……思いたくない)
「……エレイン」
「うっ」
唐突に名前を呼ばれてびくりと震える。
その弾みで傷口が痛み、胸を押さえてうずくまると、医者であるはずのジラウドが気の毒なほど青ざめた。
「お、落ち着いてください。大丈夫ですから……」
「あ、ああ……」
ゆっくりと呼吸をして、胸の痛みと動揺を抑えていく。エレインが落ち着いたのを見たジラウドは、もう一度口を開いた。
「君は、ブロンデルの古い処刑方法を知っているか?」
「へ?」
突然の話にエレインは濡れた目を瞬いた。
今、絶対にそういう流れではなかったと思う。
「斧だ」
処刑台に連れて行かれる中で、処刑人の持つ大きな斧を見て恐怖に震えていたことは、エレインもよく覚えている。
「あの斧は刃を潰してある。重罪人用の処刑と拷問を兼ねたもので、決して楽には死なせないように、あれで首を何度も何度も叩くんだ。滅多に使われる処刑方法ではなかったのに……」
「……っ」
エレインの背筋に冷たいものが走る。そこまでは知らなかった。あれで首を切られたらひとたまりもないだろうと思っていた。
「だから……、だから、俺が君を殺した。君があんなものでなぶり殺されるより先に、なるべく楽に逝けるように」
人を刺したことがあると言っていた。今もその時の感覚が忘れられないのだと。
誰のことかはっきり言わないジラウドの話は、もしかしたら……。
「すぐに後を追った」
二度目の衝撃があった時、とどめを刺されたのだと思っていたのに。そうではなくて、自身をも貫いたジラウドの身体が覆い被さってきていたのだろうか。
「私……嫌われていたのかと……」
「一人では逝かせないと言っただろう」
「もう何も、聞こえなくて……」
あれは妻への恨み言ではなかった。夫の愛だった。
「守れなくて、すまなかった」
毒に侵されどうにもならない身体で、エレインを苦しませないために自身の手で妻を殺したのだとしたら。
刺し殺された時は、それほど憎まれていたのかと絶望したのだが、全てエレインの勘違いだったのだとしたら。
生まれ変わってもなお、記憶を持ったまま一人で罪悪感を背負っていたのだろうか。
そう思うと、涙がにじんだ。
「エレイン」
「はい」
「……今度、星海を見に行きませんか」
ジラウドの言葉にエレインは目を見張る。
(あの約束……忘れてなかったの……)
二百年前にも交わした約束。果たされることなく死んだ後、エレインだけが覚えているのだと思っていた。
まさかもう一度言われるとは思わず呆然としているエレインに、肩を落としたジラウドが言った。
「……すまない。今さらこんなこと」
「いいえ」
ジラウドの言葉を遮って、エレインは続ける。
「行きたいです」
「……野宿でも?」
「ええ。風が強くても、寒くても、行きたいです。温かい服を、用意しておくので……」
にじんだ涙がこらえきれずに頬を伝った。
恐る恐るエレインに触れたジラウドの長い指が、涙を掬う。
「海……絶対に連れて、行ってください……や、約束……っ」
「……必ず、お連れします」
今、ようやく分かった。
きっとこの約束を果たすために、二人で生まれ変わってきたのだ。
*
「これが海……!」
ブロンデルの東までやって来たエレインは、風が走る緑の丘の上で生まれて初めての海を見た。
ジラウドと星海を見る約束をしてから実に一年近く。エレインの完治や星海の時期を待っていたら、急患や季節風邪が重なりベルカイムからなかなか動けなかったのだ。
「もしかして、海は初めて?」
「はい」
エレインの肩を抱くジラウドを見上げて頷く。
前世では内陸生まれ内陸育ちで海を見たことはなかったし、生まれ変わってからも何となく避けて過ごしていた。ごくまれに客などと話していて星海についての話題が出ると、「海が光るなんてすごいですよね」と当たり障りないことを言ってやり過ごしていたのだ。
とは言え、前世でジラウドと星海を見る約束をして以来ずっと気になっていたので、とうとう光る海を見ることができるのが嬉しい。
「でも……光ってませんね……」
「光るのは夜だ」
太陽はまだ高い位置にある。日が沈むまでまだまだ時間がかかりそうだ。
「すぐにテントを張る。君は海を見ながら休んでいたらいい」
「手伝いますって」
ジラウドは手際よくテントを組み立てた。駐屯地で使っていた天幕よりはずいぶんと小さいが、大柄なジラウドが二人は足を伸ばしてくつろげそうな広さはある。
エレインは持ってきた敷物を何枚も重ねて、荷物を中に運び入れた。
今日はこのテントに一泊する予定だ。簡易寝具を並べていると、ジラウドも中に入ってきた。
「少し昼寝でもしておこう」
「そうですね」
ここ数日、移動と早起きを繰り返していたのでさすがに疲れが溜まっている。それに、夜は夜で海を眺めるために夜更かししなければならない。
並べたばかりの寝具に二人で潜り込み、温かいジラウドにくっついて目を閉じる。
思った以上に疲れていたのかすぐに眠ったエレインは――いつの間にか丘の上に立っていた。
『あれ? ……わっ』
海からの強い風に髪が煽られ、帽子が飛んだ。
海とは反対方向、振り向いた先にはテントが張ってある。帽子を捕まえた夫がこちらに向かって手を振っていた。
よく見る前世の夢だとすぐに気がついた。あの時訪れなかったはずの未来を、夢で見ているのだ。
テントの側に軽く地面を掘り、火を熾した。水でこねた土で簡単なかまどを作り、小さな鍋を二つ並べる。
片方にはスパイスや干し果物と白ワインを温めたヴァンショー。もう片方にはチーズと白ワインを混ぜてフォンデュを作った。
少し固くなったパンや腸詰めをフォークに刺してチーズを絡めていると、夫が感極まったように呟いた。
『あなたの手料理が食べられるなんて』
『手料理というほどのものではないと思いますけれど……』
確かに用意したのはエレインなのだが、混ぜて温めただけである。
夫はヴァンショーをおかわりして、朗らかに笑った。
『とても美味しいです。また作ってくれますか?』
『ええ、もちろん』
腹が満ちて身体も温まった頃にはすっかり日が落ちていた。
寒さに身を寄せ合っていた二人だが、空が暗くなるのと入れ替わるように光り始めた海を見て立ち上がった。月は細く、海の上には船もないのに、眼下に見える海は星のように瞬いているのだ。
『素敵……綺麗ですね……! ねえ、あの一つ一つが、この星光石なのかしら?』
以前夫にもらった星光石は、今日のためにペンダントに加工していた。胸元を飾る星光石と目の前の星海を見比べていると、ばつの悪そうな声で夫が言う。
『実は、ずっと黙っていたんですが、星光石の産出地はまた別のところなんです』
『え? なら、海が光っているのは何です?』
『あれは――』
『……ええっ!?』
夫がエレインの耳元に口を寄せて囁く。その内容に驚いたエレインの声は裏返っていた。
衝撃の答えと、裏返ってしまった自分の声でさらに驚いて目を丸くしていると、その顔を見た夫がこらえきれないように笑う。
なんだかおかしくなってきて、エレインも笑う。
その日、二人は空が白むまで海を眺め、笑い合っていた。
「エレイン、そろそろ日が落ちてきた」
「へぁ」
優しく揺り起こされて、意識が浮かび上がってくる。
思ったより深く眠っていたらしい。簡易寝具の中で手足をぐっとのばしてから起き上がり、テントの外に出た。
もう日が暮れようとしているところだった。エレインはジルと並んで丘の先端まで歩く。
眼下に広がる青い海は次第に黒くなる。灯りひとつない真っ黒な海は、少し怖い。
「寒くないか?」
「ちょっと寒いけど、大丈夫です」
「俺の側に」
「はい」
ジラウドにくっついて海を眺めていると、次第に海の底が淡く光り始めた。光は瞬く星のように遠くまで広がっていく。
初めての星海に、エレインは「きれい……」と息を吐いた。ようやく見ることの叶った光景には感動もひとしおである。
しかしそんな時、ジラウドがばつが悪そうに話し始めた。
「エレイン。ずっと黙っていたんだが、実は、あれは……」
「深海魚」
「え」
「なんですよね?」
エレインは光のひとつひとつが星光石なのだと思っていた。しかし星光石の山地はどこかの山で、海の底で光るあれは巨大な深海魚なのだそうだ。
宝石だと思っていたものが実は魚だったなんてロマンのかけらもない話である。
「……知っていたのか?」
「あなたが教えてくれたんじゃないですか」
ジラウドは目を見張る。それからふっと笑って、「それなら」と続けた。
「君の手料理が食べたい。作ってくれるか?」
「何がいいですか?」
「ヴァンショーとチーズフォンデュ」
「……それは、手料理と言うほどのものではないと思いますけど」
「また作ってくれると約束しただろ」
「そうでした」
二人は空が白むまで海を眺めてから、手を繋いでテントへと戻った。




