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私を殺した前世の夫が迫ってくる  作者: 三糸べこ


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26 時間の許し

(死ぬ……と、思ったのに)


 エレインは普通に目を覚ました。

 傷口が痛すぎて起き上がれないが、手足はわりとよく動く。首だけを動かして見渡した部屋には見覚えがない。


「ここ……どこ……?」


 少しかすれているが、声も出せる。あれからどれほどの時間が経ったのかは分からないが、そう長いこと眠っていたわけでもなさそうだ。

 手の前に手をかざして呆けていたら、突然部屋の扉が開いた。


「エレイン! ああよかった、目が覚めたんだね」


 血相を変えたオルガだった。

 オルガの手を借りてベッドの上に身体を起こし、身支度を手伝ってもらう。

 温かい布で顔や身体を拭き、髪を梳いてもらいながら聞いた話によると、ここはエミリアーノ邸に用意されていたエレインの客間で、エレインが撃たれてからまだ二日しか経っていないそうだ。


「まだ二日じゃない! もう二日だ! あたしは二日間、生きた心地がしなかったんだからね。それに二日間も知り合いに店番を頼んでる!」

「う、ごめ……」


 しゃべる度に胸が痛むが、銃で撃たれたにしては軽症すぎる気がする。


「あの、私、どうして……」

「どうして助かったのかって? ジラウド様が助けてくれたの、覚えてないのかい?」

「それは、覚えている、ような」


 気を失う直前、ジラウドと何やら会話をしていた記憶はある。夢か何かかと思ったが、治療を施しながら患者に声かけを行っていたのだろう。


「よりにもよって鉛玉を打ち込まれたのに、あんたは運がよかった。ジラウド様にもらった首飾り、ずっと付けてたんだろ。あれに銃弾が直撃したおかげで、あんたの傷は浅くて済んだのさ」

「なんと……」


 夜会用のドレスから着替えた時、星光石をチョーカーから外して革紐に付け替えた。いつものロケットペンダントと重ねづけしていたのだ。

 オルガの話が本当だとしたらものすごい偶然にものすごい奇跡だ。


「あんたの乙女心は綺麗に首飾りのしずく形に跡がついてるから、後で見てみなよ」

「くっ」

「跡の周りはものすごい痣になってるよ。それと、肋骨に何本かヒビが入ってる」

「分かり、ました……」


 弟子が死にかけたのに、師匠が傷をえぐってくる。文句を言いたくても胸が痛くて文句の一つも言えない。


「お嬢様っ!」


 最後に髪を適当にまとめてもらったところで、ロザリーが部屋に入ってきた。


「お目覚めになって、本当によかった……」


 起きているエレインを目にして、ロザリーはフラフラと床に座り込んでしまった。

 オルガに助け起こされたかと思えば、そのまま深々と頭を下げた。


「お守りできず……申し訳ございません……!」

「え、そんな」

「ロザリー様。あなたがモントレーの腕を蹴ってくれたから銃弾が反れたのだと聞いていますよ。うちのエレインを助けてくれたお礼を言えども、謝罪を受ける理由なんてありません」


 オルガが教えてくれた話によれば、モントレー夫人が銃を取り出した瞬間、ロザリーが駆け寄って夫人の手ごと銃を蹴ったそうだ。そのまま銃を取り上げ夫人を拘束し、駆けつけた警備隊にきっちり引き渡してくれたらしい。

 最近は文通をしたり、着替えを手伝ってもらったりの関係だったので忘れがちだが、ロザリーはジラウドの親戚で根っからの軍人なのだった。


「でも……私はまたお嬢様を……」


 エレインはロザリーの手を取った。驚いたように顔を上げたロザリーに微笑む。


「ロザリー。助けてくれてありがとう。それと、私を信用してくれてありがとう」

「当然です! お嬢様が誰かに毒を盛るなど死んでもあり得ませんから!」

「ふふ……」


「死んでもあり得ない」の言葉に思わず笑ってしまう。

 傷が痛むので上手く笑えなかったが、ロザリーには伝わったらしい。ロザリーも泣きそうな顔で笑い返してくれた。


「ところでロザリー。この頃、私のことをお嬢様と呼びますね」

「それは……」

「私たち、名前で呼び合うって約束したじゃないですか」


 ブロンデルの駐屯地に着いてすぐ、ロザリーと名前で呼び合ったあの寒い朝のことは忘れていない。


「またエレインと呼んでください」

「あの、でも、私は」

「前にも言ったじゃないですか。私、ずっとあなたと友達になりたいと思っていたんです」


 かつてエレインは、侍女ソフィに「友達になってほしい」と言ったことがある。真面目で職務に忠実なソフィには、申し訳なさそうに断られたのだが。


「今ならもう、いいですよね?」

「はい……はい……」


 ロザリーは目に大粒の涙を浮かべ、鼻声で頷いた。


「私も、本当は……エレインと友達になりたかった……!」


 取った手を握り合って、二人で泣いた。

 

 ロザリーは、「エレインが犯人なんてことは死んでもありえない」と言ってくれた。

 かつてのエレインの侍女ソフィもきっと、主亡き後も主の無実を信じていてくれたのだろう。

 だから、ロザリーは生まれる前からの一番の親友だ。


 少しして落ち着いた頃、エレインはロザリーに聞いた。


「ロザリー。司令殿は……」

「ご安心ください。昨日、一度目を覚まされました。話す間もなくまた眠ってしまいましたが、もう命の心配はないそうです」

「よかった……!」

「それと、モントレー夫人は警備隊に引き渡されました。彼女の荷物からも毒が押収されて、角砂糖に加工した痕跡も見つかっています」


 モントレー夫人の有罪は確実だろう。

 毒物をもって故意に他者を死に至らしめた場合、罰金や禁固刑が科される。毒物を無許可で所持しているだけでも重罪である。

 エレインやオルガは薬師としてきちんと国に届け出て、定期的に資格を更新しているから、好き放題に毒の研究に打ち込めたのだ。

 さらに言うと、解毒剤を併せて所持していない場合は刑がさらに重くなる。「自分も死ぬ」と言っていた彼女がはたして解毒剤を用意していただろうか。


(モントレー夫人……)


 前世ではエレインの侍女ソフィだと嘘をついていたが、本当は家政婦長のジョゼだった。

 ジョゼはエレインの夫ジラウドに恋をし続け、彼と結婚するのは当然自分だと思っていたのに、ジラウドは突然貴族との結婚を命じられた。

 そんな事情も知らないエレインをジョゼは憎み、エレインの夫となったジラウドのことさえ憎んだ。


(これ以上ないほどの政略結婚だから、多少のことは気にしないようにしていたんだけど……それが悪かったのかも……)


 ジラウド側の使用人たちはエレインを何もできない血統だけの年増だと思っていたし、エレイン側の人間もジラウドたちのことを見下していた。

 誠意を持って夫と過ごし、城のことも少しずつ覚えてできるようになっていけたらとのんきに構えていたエレインが悪い部分もあったのだろう。

 もちろん、だからと言ってジョゼのことを理解し、許せるかといえばそうでもない。


 ――あの人があたしのものにならないなら、あの人を殺してあたしも死ぬ。


 ジラウドが自分のものにはならないと悟ったジョゼは、こともあろうにジラウドに毒を盛った。

 エレインをその犯人に仕立て上げて二人とも消し、そして自分も死ぬつもりだったのだろう。


 前世はそれが成功し、ジラウドもエレインも死んだ。身勝手な思いに巻き込まれて命を落としたのだと思うと、あまりにもやるせない。


 ぼんやりし始めたエレインを気遣って、オルガとロザリーは部屋を出た。


 *


 しばらくすると、何となく邸宅内が騒がしいことに気がつく。何事かと思っていると、突然ベッド脇の窓が開いた。

 びくりと肩を奮わせるエレインの視界に、のっそりと女の姿が映る。


「……モントレー夫人?」


 最後に見たときに着ていたものと同じ落ち着いたドレスはすっかりくたびれ、きっちりまとめていたはずの髪も乱れているが、確かにモントレー夫人だった。

 見ている側からはらりと一筋落ちた前髪の向こうで、血走った両目がエレインを見つめている。


「警備隊に引き渡されたはずじゃ」

「ええ、カビ臭い牢に入れられましたとも」

「脱獄したんですか?」

「少しばかり苦労しましたけどね」


 とどめを刺すために脱獄してきたのだろうか。

 身構えるエレインを鼻で笑いながら、モントレー夫人はその横を通り過ぎた。


「あなたのことはもう、殺しませんよ」


 モントレー夫人は扉の前でエレインを振り返る。


「でも、エミリアーノにはとどめを刺さなければ」

「とどめ……? もしかして、司令殿を撃ったのは」

「私ですよ。あなたといいエミリアーノといい、一発で仕留められないほど私は衰えてしまったようです」


 悪びれのない声だった。どうして、と呟くと、モントレー夫人はため息交じりに答えた。


「こちらの邸宅の図書室であなたと資料をあたっていた時、新しい論文を目にしたものですから」

「論文?」

「ええ。二百年前のブロンデル領主が妻に毒殺された事件、あれの定説が覆ってしまうようなことが書かれていました。あのように歴史を探る人間がいてはいけません。いつかあの時の毒が、妻の仕業ではなかったことが明らかにされてしまう」

「そんなことのために司令殿を殺そうとしたんですか?」

「大事なことです。未来永劫、領主を殺したのはその妻……あなたでいてもらわなくては。そうでなければ、生まれ変わった次の世でも私とジラウド様が結ばれないではありませんか」


 絶句するエレインに構わず、モントレー夫人は機嫌良さそうに続ける。


「エミリアーノを殺した後、ジラウド様を殺します。最後に私も死にます」

「夫人。過去に起こった事実はもう変わらないんです。いつか誰かが真実を見つけます。司令殿を殺すだなんて、そんなことは止めてください」


 先ほどから周囲が騒がしいのだって、きっと警備隊がモントレー夫人を探しにここまで来ているからだ。

 彼女にもそれが分からないはずがないのに。


「いいえ、止めません。私とジラウド様は死んで、また生まれ変わるのです。今回は私だけがずいぶん早く生まれ変わってしまいましたけれど、ほぼ同時に死ねば同じ年頃に生まれ変われるはずですから。あなたが悪女だったと伝わる未来で、今度こそあたしはあの人と一緒になるのよ」


 そこで区切って、モントレー夫人は一切の表情を消した。


「お前は、ジラウド様のいなくなったこの世で孤独に生きろ」


 低い声で呟いた、次の瞬間。

 モントレー夫人の背後にある扉が音を立てて開いた。扉の向こうにはジラウドの姿がある。モントレー夫人がパッと振り向いた。


「ここにいたか、アレクサンドラ」

「ジラウド様! ああ嬉しい。私を探していてくださったなんて」


 嬉しそうに微笑んで手を組んだモントレー夫人だったが、ジラウドは避けるように一歩後ろに下がった。

 入れ替わるようにジラウドの後ろから現れた影を見て、モントレー夫人がびくりと肩を揺らす。


「憲兵……?」


 地方ごとに結成される自治組織が警備隊なら、憲兵は上位組織である軍人だ。

 その憲兵がジラウドの脇を通り抜けて、次々と部屋に入り込んでくる。全部で三人。モントレー夫人を取り囲んでいる。


「アレクサンドラ・モントレーで間違いないな」


 答えずに逃げようとしたモントレー夫人を二人の憲兵が両脇から押さえ、ひざまづかせた。

 残った一人が懐から一通の書状を取り出し読み上げる。


「アレクサンドラ・モントレー。貴様には重大な軍法違反の嫌疑がかかっている。罪状は以下の通りである。エミリアーノ・バルゲリー大佐及び、元軍医ジラウド・シャリエ、元軍属薬師エレイン・ベルジュへの殺害未遂。警備隊詰所からの逃走行為。さらに戦時中、冬眠中の熊を無益に刺激し、結果として味方および敵兵の命を危険に晒した愚行も報告されている」


 熊。確かにいつぞや、ブロンデルの森で熊に襲われたことがあった。

 穴持たずにしてはおかしいと思っていた。きっとあの時の少年兵が冬眠中の熊を起こしてしまって、そのせいで怪我をしたのだと。

 あの熊を起こしたのは、モントレー夫人だったのか。エレインとジラウドがバーチナイトの採取に夢中になっていたあの時間なら、彼女一人が姿を消しても誰も気付かなかったかもしれない。


「でも、モントレー夫人は私を馬と一緒に逃がそうとしてくれたはずじゃ……」


 ジラウドが苦い顔をした。


「クラージュは俺と一緒でなければ誰も乗せない、気性の荒い馬だと言ったのは覚えているか? それをアレクサンドラが知らないはずがない。熊をけしかけて、熊に襲われればそれでよし。失敗しても落馬事故と見せかけるつもりだったんじゃないか」


 あの頃にはすでに前世を思い出していたのだろう。

 再びエレインを憎み、前世を偽り近づいた。エレインを殺して、ジラウドと結ばれるために。

 そんなことのためにウルキアの少年兵は怪我を負ったのか。ロザリーだって毒を飲む寸前だった。


「これらの行為はいずれも重大な軍律違反であり、代償は軽くない。会議の場で貴様に弁明の機会を与えるが、すでに証拠は揃っていることをよく認識しておくように」

「違う! 私ではない! 私はやっていない!」

「アレクサンドラ」


 ジラウドの低い声が響く。暴れながら叫んでいたモントレー夫人が、すがるようにジラウドを見上げた。


「坊ちゃま、ジラウド様……あたしは、私は、いつだってあなたのために……」

「父からの伝言だ。アレクサンドラ・モントレー。お前は今日付でガルディ侯爵シャリエ家およびその一族からの雇用関係を未来永劫終了とする。今後、当家はアレクサンドラ・モントレーと一切関わることはない。お前のかけられた嫌疑についても同様、当家は一切関わりのないものとする」

「……そんな。どうして、どうしていつも私ばかり。昔からあなたに女として見られていなくて、今だってあたしだけ先に生まれてきて。思い出した時にはもうしわしわで白髪だらけで。あの女はまだ若く時間があるのに……どうしていつも私を選んでくれないの、あたしはこんなにあなたを愛しているのに!」


 充血した目から流れる涙を見て思う。

 モントレー夫人が気にしている時間は罰であり、もしかしたら慈悲でもあったのではないだろうか。


 年齢差がある。つまり、重なる時間が違えば築く関係性も、抱く感情も違うはずということだ。

 実際、今世でモントレー夫人は幼馴染みではなく、ばあやとしてジラウドを支えてきた。


 前世の記憶を取り戻したのは、過去を乗り越え罪を償うため。

 前世の感情に引きずられることなく、ばあやとしての役目を全うできていたなら。


 しかし、モントレー夫人は過去を乗り越えられなかった。

 もしまた生まれ変わることがあっても、モントレー夫人とジラウドの生が重なることはない。そんな気がした。


「聞け、アレクサンドラ。俺がお前を選ぶことは、死んでもあり得ない」

「いや、いやよ! 嘘だと言って! あたしと一緒に死んでよジラウド様、愛しているのよ……!」

「今までの働きには感謝している。生きて罪を償え」

「嘘よ……嘘よ……こんなこと……早く死んで、もう一度やり直さないと……」


 憲兵は今にも舌を噛みかねないモントレー夫人を見下ろして、容赦なく口に布を押し込んだ。


「これ以上は口を慎め、アレクサンドラ・モントレー。貴様の発言が許されているのは軍法会議の場のみである。連れて行け」

「はっ!」


「ご協力に感謝します」と敬礼した憲兵たちがモントレー夫人を引きずって部屋を出る。

 嘘のように静まりかえった部屋に、エレインとジラウドだけが残された。

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