25 運命は繰り返す
「角砂糖は自分でも簡単に作れます。毒の核を砂糖で包んで型押しするだけ。私が持ってきたのは茶葉だけなので、この角砂糖はこちらの邸宅に元々あるものだと思っていましたが、事前にモントレー夫人が用意していたんでしょう」
毒入りの角砂糖を差し出して言うエレインから視線を逸らし、モントレー夫人は唇を引き結んだ。
知らぬ存ぜぬを押し通すつもりなのだろうか。それならばと冷めた頭で考えるエレインの手元から、ふと角砂糖が消えた。
「お嬢様。ひとまず、簡易的にですがジラウド様の血は拭っておきました」
ロザリーだった。モントレー夫人に止められてできなかったジラウドへの処置を代理で行ってくれていたらしい。
「ありがとう」
「それで、この角砂糖が毒なんですよね」
「ええ」
「これを食べて私が倒れたら……犯人が分かるということですね。エレインが犯人なんてことは死んでもありえないと、私が証明します」
言うやいなや、ロザリーは角砂糖を持った手を口元に近づけた。サッと血の気が引く。
「おやめなさい!」
エレインが止めるより早く、モントレー夫人がロザリーの手から角砂糖を取り上げた。
「ロザリー! 口に入れてないですよね? 口をゆすぎますか?」
「大丈夫です、摂取していませんかから」
べ、と舌を出すロザリーを見て、モントレー夫人はフラフラとその場に膝をついた。エレインも腰が抜けそうだ。
(ロザリーってば、なんてことをするの)
危ないったらない。しかし、モントレー夫人には効果てきめんだったらしい。
「止めたと言うことは、この角砂糖が危険なものであると知っていたんですね?」
「…………」
何も言わないモントレー夫人の目の前で、エレインはロザリーの手から取り返した角砂糖を砕いて見せた。
白い砂糖の中から、砂糖よりも細かい、黄色っぽい粉がこぼれ落ちる。
(やっぱり)
この黄色い粉は、前世の記憶を頼りに追い求め、研究した毒とまったく同じもの。即効性のある、非常に強力な毒だ。
「モントレー夫人」
エレインは床に膝をつき、モントレー夫人と目線を合わせた。その耳元で問う。
「あなたは誰ですか?」
「……以前も申し上げました。私はソフィ。かつてのあなたの侍女の」
お茶に砂糖を入れるか、入れないか。二人の違いはそれだけだった。
二百年前のあの時、ジラウドとエレインは同じお茶を飲んでいた。けれど倒れたのはジラウドだけで、エレインはなんともないまま拘束された。
エレインとジラウドの二人を殺したければ茶器や茶葉に毒を仕込んでいたはず。エレインだけを殺したければもっと別の方法を取っていたはず。
二人だけしか席に着かないお茶会で角砂糖に毒を入れたということは、ジラウドを狙っての犯行だったと思っていいのだろう。
つまり犯人は、ジラウドの甘党を知る人物。ジラウドの甘党は限られた人間しか知らない秘密だったから。
「違いますよね。あなたは私の侍女ではない」
「本人がそうだと言っているのに? 何の証拠があって否定するのです」
確かに前世の侍女ソフィはきっちりしていて、少々気難しいながらも忠義に厚く、常に付き従ってエレインを助けた。医者も薬も嫌いで、風邪を引いたエレインにはしっかり薬を飲ませるのに、自身が風邪を引いたときは医者も薬も断固拒否していた。
今のモントレー夫人によく似ていると思ったので、モントレー夫人が侍女ソフィの生まれ変わりだと言われたとき、疑うことはなかったのだが、しかし。
「ソフィは、私の夫の甘党を知らなかったんです。私が秘密にしていましたから」
「なんですって……?」
「あなたは前世で夫の甘党を知ることができた人物です」
あの日、あのときのお茶会にいたのは、エレインとジラウド。エレインの侍女ソフィ。そして、もう一人。
「あなたは、家政婦長のジョゼさんですね」
モントレー夫人の口の端がひくりと動く。
家政婦長のジョゼは、前世の夫にとって腹心と呼べる仲間の一人だった。元は騎士団の雑用を手伝っていた近所の子供で、騎士団に捨てられたジラウドにとっては幼馴染みだったそうだ。
夫が爵位を得て城に住処を変えたときもついて来た。元平民の主を嫌がった元々の使用人たちに代わり家政の一切を取り仕切る彼女は、夫の甘党を知る数少ない人物の一人だ。
「どうして、あんなことを?」
夫が砂糖を使うことを知りながら角砂糖に毒を仕込んだということは、ジョゼはジラウドに明確な殺意を抱いていたことになる。今世でも同じ方法で殺したいほど、ジラウドを恨んでいたのだろうか。
「……どうして……ですって?」
モントレー夫人が唸るような低い声で言った。
「一度ならず二度までも! あんたのそう言うところが、ずっと嫌いだったからよ!」
明確な憎悪が鋭くエレインを射貫く。
「あの人と結婚するのは私だったはずなのに、またお前が邪魔をする!」
「結婚って……ジョゼさんはもしかして、夫のことが……」
好きだったのだろうか。
まったく気がつかなかった。ジョゼはいつも明るく、年下ながら頼りがいのある女性で、嫁いできたエレインのことも家政婦長としておおらかに受け入れてくれた人だった。
当時のエレインが男女関係に機微だったかというとそうでもないが、今思い返してみても、言われなければジョゼの気持ちには気づけそうもない。
モントレー夫人はじわりと涙を浮かべ、その顔を手で覆った。
「あの頃はあんたの方が年増だったくせに、あたしなんか隣に並べないほど美しくて……せっかく生まれ変わったのに、どうして私だけこんなに早く生まれてしまったの。私ばかりしわくちゃで、寿命だって先に来てしまう……!」
何と声をかけていいか分からず黙っていると、やがてモントレー夫人は顔から手を離した。涙で化粧がにじんだ目をエレインに向ける。
「あの人があたしのものにならないなら、あの人を殺してあたしも死ぬ。何度でも」
抑揚のない声で呟いた言葉の意味をエレインが理解するより先に、モントレー夫人は素早く袖口から魔法銃を取り出した。女性の手のひらにも収まるほど小さいそれをしっかりと構える。
その銃口はエレインに向いていた。
「そして、お前も死ね!」
モントレー夫人の指が引き金を引く。魔法回路が繋がった証拠の光が浮かび上がり、弾が眼前に迫り来る。
「お嬢様!」
「エレイン!」
つんざくような悲鳴を聞いた直後。
エレインは、胸に重い衝撃を受けた。
(私、また死ぬのか……)
前世は胸を刺されて死んだ。今世は胸を撃たれて死ぬらしい。
もしかしたら、何度生まれ変わってもこうなる運命なのかもしれない。
(せっかく記憶を持ったまま生まれ変わったのに。ジラウド様が覚えていないならいいかな、なんて考えてしまったから)
きっとそれがダメだったに違いない。記憶を持って生まれ変わったのは、同じ運命を避けるためだったのだろう。
「エレイン! エレイン、目を開けろ!」
耳元で大声が聞こえてくる。エレインはその声に従って、重いまぶたを上げた。
「エレイン……!」
ジラウドだ。エレインを見下ろして泣きそうな顔をしている。
「ジ、ル……よかっ……た……」
もう起き上がっているということは、解毒剤が効いているということ。
エレインの記憶から特定した毒が合っていたのだ。解毒剤を肌身離さず持ち歩いていたことが功を奏した。
モントレー夫人がわざわざ前世と同じ毒、同じ状況を作っていたのも、ある意味展開が分かりやすくて助かった。
今回のジラウドは助かるだろう。エレインもジラウドに殺される訳ではないので、今回の人生は上々の出来なのではないだろうか。
(薬師になってよかった)
この人生に悔いはない、と安堵の息を吐こうとしたら、胸の痛みを思い出した。
「うっ」
「動くな。しゃべるな」
撃たれたところがものすごく痛い。痛みを思い出した途端、呼吸が浅くなる。あまりに痛くて涙が勝手に出てくる。
わけが分からないまま周囲を見渡すと、側にはジラウド、部屋の隅にロザリーとモントレー夫人が見えた。泣きわめきながら何かを叫んでいるモントレー夫人をロザリーが拘束しているようだ。
モントレー夫人の声とロザリーの怒号がキンキンと響く中で、ジラウドの言葉だけが耳に届く。
「心配しなくていい。俺が絶対に助ける。君を二度と死なせないために医者になったんだ」
そんな大げさな、とエレインは口元を緩めた。
(ジラウド様。今世ではお幸せに)
どうか前世のことは忘れたままでいてほしい。
そして。
(もう私のこと、嫌いにならないで)
心からの願いを胸に、エレインは意識を手放した。




