24 毒のありか
ジラウドの口から赤いものが――血がにじみ出ている。
息を吸おうとして開いた口から鮮血があふれ咳き込む。立ち上がろうと椅子を引くも、力が入らないのか床に崩れ落ちた。
そのまま立ち上がれずにいる。呼吸が荒い。どんどん顔色が悪くなっていくジラウドを見て、エレインの足が竦む。
あの日の光景が脳裏に浮かぶ。刺された胸が焼けたように熱い、気がした。
「ジラウド様! お嬢様、ジラウド様が!」
ロザリーの声で我に返ったエレインは、倒れたジラウドの元に駆け寄った。
(しっかりしなきゃ。前の私とは違うんだから)
見たところ、症状は前世のものとよく似ている。エレインは首から下げたロケットペンダントをたぐり寄せた。
両親が死んだとき、形見として唯一残したものだ。毎日肌身離さず身につけていた。
震える手で、しかし素早くロケットペンダントを開ける。中には薄紙に包んだ小さな丸薬が何粒か入っている。
「解毒剤です! 飲んで!」
「く……かふっ」
丸薬を手のひらに出し、血に濡れた口元に近づける。
しかしジラウドの呼吸もままならず上手く飲み込めないのを見ると、エレインは薬を自分の口に放り込んだ。そして、迷うことなくジラウドの唇の自分のそれを重ねた。
「っ!」
抵抗の気配は感じたが、ジラウドは送り込まれた薬を飲み込んだ。
信じられないようなものを見る目でエレインを凝視している。
「エレ……馬鹿、な、ことを……」
文句を言えるなら何よりだ。
エレインは血の付いた口元を拭いながら、ジラウドを安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。今の薬がすぐに効きますから。絶対に助かります」
「あとで……覚えていろ……」
物騒な台詞の後、ジラウドは疲れたように目を閉じた。心なしか先ほどよりも呼吸が穏やかになったようだ。手首から取った脈も安定している。
安心した途端、喉や胃のひりつくような痛みを感じた。
「ごほっ」
口移しの際、間接的に毒を摂取したらしい。ジラウドに飲ませたものと同じ丸薬を素早く口に含み、ほっと息を吐く。
(前世のものと同じ毒だ……よかった)
ジラウドに飲ませ、自身も服用した丸薬。これは、この毒の解毒剤だ。
薬師となったエレインは、覚えている限りの症状と、生まれ変わってから得た薬学の知識を照らし合わせ、何の毒が使われたのかあたりをつけていた。
そして、その毒に対する解毒剤も作って、形見のロケットペンダントに入れていたのだ。
毒の特定を繰り返しながら、常に新しい解毒薬を作り続けてきた。解毒剤を作った分だけ、自分の身体でも試して、ロケットペンダントの中身を入れ替えていた。
口移しでもすぐに症状が現れるような強い毒だが、今のエレインは軽症で済んでいるのは、エレインの身体がこの毒に慣れていたからである。
(まさか役に立つ日が来るとは思ってなかったけど)
執念深く毒を探り、身体が慣れるほど実験してきたのは、またこの日を迎えるためではない。
あくまで前世の後悔と執念、そして今世で得た知的好奇心だ。
(でも……よかった……)
血まみれではあるものの穏やかな呼吸を繰り返すジラウドを見て安堵の息を吐く。
その時、バタバタと音を立ててロザリーが駆け寄ってきた。
「お嬢様、お水を! すぐに口をゆすいでください!」
「ありがとう」
ジラウドに薬を飲ませることに必死で周りが見えていなかったが、いつの間にかロザリーが水を取りに行っていたようだ。
グラスに注がれた水で口をゆすぎ、ロザリーがサッと差し出したボウルに吐き出す。何度か繰り返して、口の周りを清潔な布で拭き取ってようやく、エレインは人心地ついた。
「ふう……ジラウド様の血も拭かないと」
「これを。布を濡らしておきました」
「ありがとう、ロザリー」
「――お待ちなさい」
ロザリーから受け取った布で、血まみれになったジラウドに手を伸ばした時、鋭い声が響く。
「坊ちゃま……いいえ、ジラウド様に触れないで。今すぐに離れなさい」
「ですがモントレー夫人。解毒剤を飲ませましたが、このままにしておくのは危険で……」
「ジラウド様に毒を盛った身で何を言いますか」
モントレー夫人がエレインを睨み付けながら、ぴしゃりと言葉を遮った。エレインは目を見張る。
「私が……ジラウド様に毒を盛ったと?」
「言い逃れできると思いますか? お茶を淹れたのはあなた。そもそも、茶葉を持ってきたのも、茶葉を作ったのもあなたなのでしょう。あなた以外の誰がジラウド様に毒を飲ませられますか」
絶句するエレインに構わず、厳しい声はさらに続いた。
「折良く解毒剤とやらを持っていたのが決定打ではありませんか。薬師の立場なら、毒なんて簡単に手に入れて、簡単に隠すこともできるでしょう。このような自作自演などして、一体何が目的なのです。そもそも、ジラウド様に飲ませたものは本当に解毒剤なのですか?」
「ち、違います。毒を盛ったのは私じゃない」
「罪を認め、償いなさい」
まるで出来の悪い子供を諭すような言葉だった。エレインはぎゅっと唇を引き結ぶ。
前世でもこうやって、エレインは無実の罪をなすりつけられた。
私じゃない。そのたった一言が届かなかった。
信じたくない悪夢のような現実が、また目の前に広がっている。
(ソフィも以前、そう思っていたのかしら)
主人の無実の罪に巻き込まれて死んだだろう侍女を思い、エレインは静かに前を見据えた。
「……その言葉、そのままお返しします。モントレー夫人」
「確かに、私にも罪はありましょう。あなたにお茶の準備を手伝っていただいたことで、恐ろしい毒を仕込む機会を与えてしま――」
「言葉遊びは結構です」
エレインの強い言葉に、モントレー夫人が息を呑む。
「もし私がジラウド様に毒を盛るなら、一目で毒だと分かるような毒は使いません。自然死に見せかけるようにします」
「一目で毒だと分かる毒を使ったのは、誰かに罪をなすりつけるつもりなのでしょう?」
「はい」
エレインは素直に頷いた。そして続ける。
「どうしてわざわざ、毒だと大騒ぎするような毒を使ったのか。犯人捜しが始まれば、自分だって疑われるかもしれないのに」
その結果、前世のエレインが犯人とされてしまった。犯人の思うまま、犯人に罪をなすりつけられてしまったのだ。
「……何が言いたいのです。ジラウド様はお茶を飲んで血を吐いた。そのお茶を用意したのはあなた。茶葉を持ってきたのも、茶葉を作ったのも、すべてエレインさん、あなたでしょう」
「茶葉なんて、どうでもいいんです」
「どうでもいいですって?」
いきり立つモントレー夫人に向かってエレインは再び頷いた。
言葉通り、お茶なんて何でもいい。エレインが作ったものでなくても、エミリアーノ邸にあるお茶でだって、きっとジラウドは同じように血を吐いて倒れただろう。
毒は、お茶ではないのだから。
「落ち着いて考えてみてください、モントレー夫人。そうだ、甘いものを口にすると気分が落ち着きますよ」
エレインはテーブルを見渡した。
倒れた茶器カップ。ずれたクロスに染みこんだお茶に、皿から落ちてテーブル中に転がっているクッキー。
この騒ぎですっかり荒れたテーブルセットの下に、目的のものを見つけた。
「あった。こんなところに落ちていたんですね、角砂糖」
「…………」
砂糖壺を手に取る。幸いにも、中身は半分以上残っていた。
一緒に拾ったトングで角砂糖を一粒つまむ。落とさないように反対の手を添えながら、モントレー夫人に差し出した。
「この砂糖、食べてみてください。この粒の大きいものがおすすめです。甘いものは考え事にも必須ですし」
「犯人に言われて素直に口にできるとでも?」
「でも、毒はお茶に入っているのでしょう? なら、角砂糖の一つくらい召し上がれますよね」
あの日のお茶会で、エレインとジラウドの運命を分けたもの。
今にしてみれば、どうしてもっと早く気付かなかったのだろうと思う。
「――毒は、この角砂糖に仕込まれています」
お茶には必ず砂糖を入れるジラウド。お茶には砂糖もミルクも入れないエレイン。
二人の違いは、確かにあったのだ。
「そしてこれは、あなたが用意したものですね。モントレー夫人」
モントレー夫人の顔が、醜く歪んだ。




