22 中庭の舞踏会
エレインは図書室でブロンデル史の書籍を漁ったが、二百年前の真相にたどり着けるような資料は見つけられなかった。
どの本にも書かれているのはわずか数行。当時の領主が妻に毒を盛られて、妻はその夫に殺されたこと。そして、夫はその後すぐに死亡したこと。
反対側の本棚から確認していたモントレー夫人も首を横に振っていた。
(やっぱりあの毒では生き延びられなかったんだ……しかも、あの後わりとすぐにブロンデル城が焼け落ちていたとは知らなかった……)
歴史の勉強を避けてきたエレインが当時のことを史実として目の当たりにするのは初めてで、想像できていたはずなのにやはりショックを受けたのだった。
それからすぐにジラウドが迎えに来た。差し出された手を取り図書館を出る。
「もうダンスの時間ですか?」
「ああ」
会場に向かって歩きながら、エレインはジラウドの体温を感じていた。
(前世は前世。今を大事に生きてもいい……よね?)
記憶があるからといって過去を避ける必要はないし、前世に囚われる必要もない。ジラウドと再会して、ようやくそう思うことができるようになってきた。
「図書室はどうだった?」
「素晴らしい蔵書でした。できればまた来たいです」
「頼んでみよう。きっと歓迎してもらえる」
「ジラウド様は? お話は楽しかったですか?」
「ああ、いい話を聞くことができた」
エレインの言葉に頷いたジラウドは、廊下を左に曲がった。会場となっている広間へは廊下を真っ直ぐに行けばよかったはず。
「会場に戻らないんですか?」
「司令殿に勧められた場所があるんだ。そこに向かう」
突き当たりまで歩いて、扉を開ける。
夜の風が吹き抜けた先には、ホールから漏れ出た灯りで照らされた小さな中庭があった。
「素敵なお庭ですね。ここにもお花がたくさん」
「そうだな」
隣のホールから音楽が零れ聞こえる。しかし庭木が目隠しになっているためか、庭に人の気配はない。
ジラウドは迷うことなく庭の真ん中まで来ると、そこでようやくエレインと向き合った。
「エレイン。俺と踊ってもらえるか?」
「えっ、ここで?」
差し出された手を見てエレインは思わず声を上げる。
「君を誰にも君を見せたくないと言っただろ」
「え、あ、え……」
「でも君は踊りたいんだろう。ここなら人目を気にせず踊れる。何曲でも」
改めて差し出された手とジラウドの顔を交互に見比べて、エレインはおずおずとその手を取った。ジラウドが安心したように表情を緩める。
一度手を離し、少し離れて二人同時にお辞儀をする。それからまた手を取り合い、音楽に乗ってステップを踏んだ。
石畳がコツコツと音を奏でる。夜風に草木が揺れている。会場からこぼれる光と影が、エレインたちと一緒に踊っていた。
ジラウドのリードに合わせて回ると、エレインのドレスがふわりと円を描いた。今世でちゃんと踊るのは初めてなのに、思った以上に身体が動く。観葉植物相手に練習したかいがあった。
(今世のジラウド様はダンス上手なのね)
前世の夫のダンスはぎこちなかった。持ち前の運動神経の良さで動けてはいたのだが、照れが勝っていたからなのか、ここまで上手ではなかったと思う。
「ふふ」
「疲れてきた?」
「いいえ。楽しくて」
「よかった」
誰の視線もないもない中で、二曲、三曲と二人は踊り続ける。
――同じ相手と二曲連続で踊る意味は、他人以上に興味を持っているということ。
――同じ相手と三曲連続で踊る意味は、相手と特別な関係を築いているということ。
他人に見せつけるわけでもなく、エレインにその意味を伝えるように。
やがて、三曲目を踊り終える。四曲目の音楽が奏で始められる中、ジラウドは手を離さないままエレインの顔を見つめていた。
二人の間に沈黙が流れる。自分の鼓動がやけに気になるのは、決して踊り疲れたからだけではない。そうと分かるのに逃げ出すこともできず、エレインもジラウドをじっと見つめていた。
視線が唇に引き寄せられる。薄くて形のいい唇が近づいてくる。目がそらせない。逃げられない。
まるで二人以外の時間が止まったかのような気さえした、その瞬間――
「きゃあっ! 火事よ!」
どこからか、つんざくような悲鳴が聞こえた。
パッと身体を離した二人は、まとっていた雰囲気を散らすように声の出所を探した。顔を上げるとすぐに、会場となっているホールのさらに向こうに立ち上る煙を見つける。
「あっ。あそこから煙が出てます」
「……何事だ?」
ジラウドが不機嫌そうに呟くのと同時に、隣のホールがにわかに騒然とし始めた。
この時間にあの量の煙はおかしい。しかも、煙の上がった位置を見るに火元はエミリアーノ邸のどこかだ。この屋敷の主であるエミリアーノが招待客をホールに残し、火元を確認しに向かった。
一度ホール内に戻って状況を確認していたエレインとジラウドは、再び中庭に出て空を見上げた。煙はもう見えない。
「ボヤ程度の火だったらしいな」
「火事にならなくて良かったです」
エレインがほっと息を吐いた。次の瞬間、パン、と乾いた音が聞こえた気がした。
(あれ、今の音って)
少しして、再び悲鳴が響いた。
「いやぁ! エミリアーノ! エミリアーノ、目を開けて!」
喉が張り裂けるほどの、ミュリエルの泣き叫ぶ声だった。
一瞬顔を見合わせて、エレインとジラウドは声の元へと駆け出す。煙が上がっていた方向に廊下を走り、慌てふためく使用人たちを追い越してたどり着いたのは前庭だ。
すぐに、外灯の炎に照らされるエミリアーノを見つけた。
「司令殿……?」
雨も降っていないのに、芝生が濡れていた。外灯の炎が揺らめく度にぬらぬらと赤く光っている。
「司令殿!」
仰向けに倒れたエミリアーノの腹部もまた、真っ赤に染まっていた。
*
その場に居合わせた外科医ジラウドの素早い対応により、エミリアーノは一命を取り留めた。しかし意識は戻らない。油断を許さない状況だ。
「ジラウド様。エレインさん。バルゲリー家の主治医の先生が到着されたそうです。少しお休みください」
一晩中付き添っていたジラウドとエレインの元に、モントレー夫人がやって来た。
主治医との申し送りの後、応接室に案内される。窓から柔らかな朝日が差し込む応接室には、不眠不休で対処に当たっていたエレインたちのための朝食が用意されていた。
部屋にいるのはモントレー夫人、ロザリーとルシアン。軽食を配膳中の使用人が数人。
ミュリエルは部屋で休んでいるそうで、ここにはいなかった。夫が撃たれて重体となっていることにも、撃たれたエミリアーノをいち早く発見したにもかかわらず犯人の姿を見ていないことにも気に病んでいるのだという。己を責める必要は何一つないというのに。
配膳を終えた使用人が部屋を出る。五人で朝食をとりながら、ロザリーが上官への報告のようにキビキビと話しはじめた。
「あの後すぐ私とルシアン、バルゲリー家の使用人数名で現場の整理を行いました。エレインたちのような遠方の方は一泊してますが、それ以外の方々はお帰りになられました」
「帰った招待客については、犯行が不可能だったことを確認しているよ。念のため、聞き取り調書もここに」
ルシアンがロザリーの言葉を引き継いで、懐からメモ帳を取り出した。エミリアーノの治療中、二人は混乱する招待客の整理をしながらアリバイの確認もしていたようだ。
「ですが、確認する前に帰られてしまった方が二組いるようです」
「使用人たちもそれぞれ動き回っていた。どうしても無実を証明できない人間が数名いるようだけど」
「大丈夫だ」
熱い紅茶に角砂糖を落としながらジラウドが言った。
首を傾げるロザリーとルシアンに、キュウリのサンドイッチを手にしたエレインが説明する。
「司令殿は魔法銃で実弾を撃ち込まれていました。ジラウド様の見立てによると、犯人は正面から、そんなに距離を空けずに撃っただろう、と」
「昨夜は満月で、外灯も付いていた。周囲の明るさは十分だったと思う」
「それって」
「つまり」
エミリアーノは自身を撃った犯人の顔を見ている可能性が高い、というわけだ。
犯人が使用人であれ招待客であれ、エミリアーノならば顔が分かるはず。だからアリバイを確認できずに帰ってしまった客がいても、エミリアーノさえ目覚めれば犯人を捕らえられる。
「もしかしたら、まだこの屋敷の中に犯人が残っているかもしれない。帰ったと思わせて戻ってくる可能性もある。司令殿の護衛は付けておいた方がいい。ルシアン、頼めるか?」
「お任せあれ」
ちゃちゃっと朝食を平らげたルシアンは、ロザリーの手の甲に口づけを落としてから応接室を出た。
それに怒った様子のロザリーが「ああ見えてルシアンは要人の身辺警護の任によく就いておりまして。アリバイの聞き取りの後はしっかり寝ていたようですし、任せておいていいと思います」と早口で言う。それは心強い。
「お茶にいたしましょうか」
残った四人も朝食を終える。疲れすぎて眠る気にもなれずにいると、モントレー夫人が提案した。ジラウドとロザリーが頷いたのを見て、エレインはぽんと手を叩く。
「それでしたら、お茶は私が用意します。実は、夜に飲もうと思って持ってきた茶葉があるんです」
過労と寝不足でフラフラしていたジラウドに飲ませたものだ。長時間の移動と二百年ぶりの社交で疲れることを見越したエレインは、荷物の中に茶葉を忍ばせていた。
お茶を飲んでから一眠りしたジラウドが『寝て起きたらすごく身体が軽い』と感動していたので、疲労回復効果はお墨付きである。
「手伝いましょう」
モントレー夫人の申し出をありがたく受けて、エレインたちはお茶の準備を始めた。




