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私を殺した前世の夫が迫ってくる  作者: 三糸べこ


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21 歴史家の図書室

 後ろにモントレー夫人がいなかったら、何かとんでもないことになっていたような気がする。エレインは熱くなった頬を片手で覆い隠した。


「い、行こうか」

「はい……」


 もう片手は同じく顔を赤くしたジラウドの腕に添え、会場へと再び歩き始める。というか、先ほどから歩いていたはずなのに、いつ足を止めたのか分からなかった。


 やがて会場の入り口が見えた。

 惜しみない蝋燭、光を反射する水晶。みずみずしい切り花に、弦楽器の五重奏。きらびやかに飾り立てられた会場にはすでにたくさんの招待客が集まり、各々が談笑を始めている。


 入り口でジラウドとエレインの来場を知らせる声が上がると、視線が一気に集まる。

 緩んでいた意識が一気に引き締められて、エレインは背筋を伸ばした。ジラウドは視線などまるで気にした様子もなく、堂々と歩いている。


 すぐにロザリーとルシアンもやって来た。ダンスが始まるまでの間、モントレー夫人を含めた五人で会話しつつ軽食をつまんでいると、エミリアーノ夫妻が近づいてくる。


「ジラウド君、ちょっといいかい。チミにが前に気にしていたことなんだけどね、新しい資料が出てきたんだよ」


 脈絡のない話題だったが、ジラウドには通じたらしい。青い瞳が申し訳なさそうにエレインを見やった。


「エレイン、すまない。エミリアーノ殿と少し話しをしてきても?」

「ええ、もちろんです」

「ありがとう。ダンスが始まる前には戻るから」


 ジラウドと別れたエレインに、同じくエミリアーノと別れたミュリエルが言った。


「エレインさん。あの人たちが話している間、良かったら図書室をご覧にならない?」

「奥様。図書室ですか?」

「ええ。主人が本の蒐集家でね、当家の図書室はちょっとしたものなのよ。そこにわたくしの植物図鑑もあるの。あなたの知らない植物もあるかもしれないわ」


 貴族夫人の集めた植物図鑑。見たことのない本があるかもしれないと想像して、興味をかき立てられる。

 モントレー夫人を見れば、付添人である彼女が小さく頷いたので、エレインはミュリエルの申し出をありがたく受けることにした。


 ロザリーとルシアンは挨拶のため会場に残るそうだ。エレインとモントレー夫人、そしてミュリエルとその侍女の四人で廊下を歩きながら、ミュリエルは上機嫌そうに話し続ける。


「主人は若い頃から歴史のお勉強が好きでね。図書室から溢れるほど本を集めているのに、自分でも本を書いちゃうくらいなの。そうなるとわたくしが何を言ってももうダメなの。全然聞く耳を持たず、一日中ペンを手放さないんだから」

「司令殿は歴史研究家でもいらっしゃるのですね」

「うふふ、そういうものなのかしら? ジラウド様も戦記好きでいらっしゃるそうね。歴史には戦争がつきものだとか言って、よく手紙のやりとりをしているみたい」

「歴史を通じたご友人なのですね」


 となると、今頃は二人で戦争の歴史なんかを話しているのだろうか。医者の道を選んだとは言え軍人家系の生まれなのだし、男の子はいくつになってもそう言った話が好きなものである。


「さあ、ここよ」

「わぁ……!」


 会場の喧噪も全く聞こえなくなった頃、夫人が両開きの扉を開けた。

 その瞬間に鼻腔をくすぐる本の匂い、静謐な空気。そして視界いっぱいに飛び込んできた本に、エレインは感嘆の声を上げる。


「植物図鑑はこっち。主人に便乗して、わたくしも大陸中から集めちゃったのよね」

「素晴らしいです、奥様!」


 オルガの店を兼ねた家が一軒まるごと入りそうな広い部屋に、背より高い本棚が整然と並んでいる。

 その一角に夫人の植物図鑑が集められていたが、それも相当な数だった。

 エレインもオルガに師事しながらそれなりに本を読んできたが、国内のものがせいぜいである。

 夫人のコレクションは国外にまで及ぶようで、エレインも見たことのない背表紙がずらりと並んでいた。


「連れてきておいてごめんなさいね。あまり長く会場を空けられないからわたくしは戻るけれど、ここにあるものは自由に見てくださって結構よ。お貸ししても構わないわ」

「ありがとうございます。大切に拝読します」


 エレインは深々と頭を下げた。

 主催者だからと言って図書室を出ていった夫人だが、自分がいない方が読書が捗ると思って気を使ってくれたのだ。

 貴重な本も多いだろうに、信用してくれたことがありがたい。


「モントレー夫人にまで付き合わせてしまって申し訳ありません」

「お気になさらず。静かな方が結構です」


 それからしばらくは植物図鑑を開いていたエレインだったが、ふと他の棚が気になり手を止めた。

 歴史好きだという伯爵の集めた書籍。ぱっと見ただけでも、大陸中、どこの国、どこの年代の書籍もそろっているように見える。きっと、ブロンデルの歴史が記された本もあるのだろう。


「やはり、気になりますか」

「はい」


 前世の経験から薬学に邁進してきたエレインだが、歴史分野についてはからっきしだった。

 薬学に付随する歴史を必要最低限知っているのみ。それ以外はあえて避けていた。

 当時の領主が妻に毒を飲まされたとか、その報復で妻は殺されたのだとか書かれていたら、さすがのエレインも落ち込んでしまう。


(夫が領主だった時期は短かったから、たいしたことは書かれていないんだろうけど)


 当時のことが後世になんと伝わっているか、確かめたくなんてない。けれど、気にはなる。

 あの後ブロンデルはどうなってしまったのだろうか。子供のいなかったエレインたちの後、誰がブロンデルの領主となったのか。残された夫の仲間たちや領民は苦労をしなかっただろうか。


(あのことも、何か新しい発見があったり、とか……)


 例えば、あの事件の真犯人。

 夫の命を奪っただろう毒はエレインの罪とされたが、後になって本当の犯人が判明してはいないだろうか。後の歴史研究家たちによって当時の真実が明らかになっていないだろうか。


 薬学に夢中になることで、歴史からは目をそらしていた。

 それでいいと思っていたのに、今世でもジラウドと出会ってしまったから。


「司令殿は確か、ブロンデル領で生まれ育ったお方でしたね。ブロンデルの歴史書もたくさんお持ちだと思います。一緒に探してもらえますか?」


 エレインは過去と向き合うことを決めた。


 *


 図書室へ向かうエレインを見送って、ジラウドはエミリアーノに向き直った。


 まるで軍人らしくない風貌のこの男、エミリアーノ・バルゲリー。実は国内でも指折りの戦略家として知られている。

 幼い頃から戦記を読み漁り、軍人の家なら必ず置いてある戦争を模したボードゲームで遊び尽くしていたら、いつの間にかそう呼ばれるようになっていたのだとか。


 戦争はいつも歴史と共にある。

 戦記に詳しいエミリアーノはつまり、歴史にも詳しい。今でも新しい情報が出たと聞けば資料を取り寄せているそうだ。


 口減らしに捨てられてからというもの、前世のジラウドの人生は戦争に明け暮れたものになった。戦争を勝利に導いた功績で領主になった人物として、エミリアーノも前世のジラウドを知っているそうだ。


 しかし二百年前のことはジラウドの知る程度のことしか今に伝わっていない。

 曰く、当時の領主が毒を盛られた。犯人は領主の妻だと言われている。領主は報復のため妻を殺し、直後自身も猛毒に命を奪われた。


 前世の自分が不甲斐ないばかりに、妻に汚名を着せてしまった。事実は時の流れに埋もれ、彼女は夫に毒を盛った悪妻としてひっそりと歴史に刻まれている。

 生まれ変わったエレインに出会った今、ジラウドは当時の真実を求めていた。


「それで、新しい資料というのは」

「うん。チミ、二百年前のブロンデル領主のこと知りたがってたでしょ」

「当時のことで何か新しい発見が?」


 頷いたエミリアーノに一冊の雑誌を渡される。


「これボクの後輩が書いた論文なんだけど、当時の領主の毒殺について使用人らしき人物の日記が出てきたらしいよ。毒を盛ったのは別の人物ではないかと。今、日記の著者がどういう人物だったのか調べてるらしいんだけど、本当にブロンデル城の使用人だったら、定説が変わるかもしれないね」


 ジラウドはわずかに震える手で論文を開いた。しおりが挟まれたページに目を通す。

 ブロンデル城は、前世のジラウドとエレインが暮らした場所だ。二人が死んでしばらくの後に焼け落ちたが、近年の調査で地下室にあたる部分が発掘されていた。


「地下室……使用人……」


 必死で遠い昔の記憶をたぐり寄せる。

 確かに地下室があった。叙爵される前のジラウドも地下にはよく出入りしていた。当時、あの中に字を書ける使用人はいただろうか。地下室に日記を置くような暮らしぶりだとしたら使用人の中でも地位が低かったはず。


「司令殿、この論文」

「うん。ボクは二冊持ってるからね。それはチミにあげよう。あとでゆっくり読んでみるといいよ。発見された日記の複製も載ってるから。今はほら、もう少しでダンスの時間だよ」

「ありがとうございます。このお礼は必ず」


 エミリアーノと別れたジラウドはあてがわれた客間に戻り、論文を鞄の奥へとしっかりしまい込んだ。それから使用人に図書室の場所を聞き、エレインを迎えに行く。


「あ、ジラウド様。お話は終わったんですか?」

「ああ」


 本棚の陰からエレインが顔を出した。

 ジラウドを見て微笑んでいる彼女は、何も覚えていない。光を失った瞳も。冷たくなっていく身体も。止まらない血も、肉を貫き、刃が骨にぶつかる感覚も、絶望に染まる顔も。

 果たすことのなかった、約束も。


(俺は覚えている)


 今度こそ守り切りたいと思う。彼女の安全も、前世の名誉も。


(……二百年経ったからといって、許されると思うなよ)


 彼女に罪を着せた真犯人を許しはしない。必ず歴史上にその名を引っ張り出してやる。

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