20 足りないネックレス
「お美しいです、お嬢様!」
「あの、ロザリー。お嬢様はロザリーの方ですから」
「はっ、つい」
婚約者ルシアンを引き剥がしたロザリーは、モントレー夫人と共にエレインにあてがわれた客間へと入ってきた。そのままエレインの着替えを手伝い、完成したエレインの姿を見て感嘆の声を上げたのだった。
「でもよくお似合いです、エレイン。どこのご令嬢かと会場中の噂をかっさらうこと間違いなしですね!」
「それはさすがに言い過ぎです」
「本当にお綺麗ですよ、エレインさん」
「モントレー夫人まで」
エレインも鏡の中の自分を改めて見る。確かに、鏡の中に映る自分はいつもとは全く違うのだ。
エミリアーノ邸の客間に入って、まずは入浴。薬師エレインがおののく高級素材がふんだんに配合された入浴剤を投入し、いい匂いのする石けんで全身を洗われた。風呂上がりにはマッサージを施され、肌はふわふわで内側から光り輝くかのごとく。
髪の毛は頂を飾る冠のような艶を放っているし、化粧を施した顔は品良く自然であるはずなのに、自分でもため息が出てしまうほどには印象が変わっている。
「ですが……」
「そうですね……」
「ううん……」
三人の視線がエレインの首元に集まる。
「首元が寂しいですよね」
ロザリーの言葉にモントレー夫人が頷いた。エレインもそう思う。
「ここまで用意したジラウド様がネックレスだけ忘れるなんて。全くもって信じられません。何という詰めの甘さでしょう」
デイドレス一式の他、夜会用のイブニングドレス、靴に手袋にイヤリングとドレス以外の小物もしっかりそろえてくれたジラウドだが、何故かネックレスは用意していなかったらしい。
かと言っていつものロケットペンダントを下げるわけにもいかず、胸元ばかりぽっかり開いている姿はほんの少し不自然だった。
「馬車の中まで改めたのですが」
「この輝かんばかりの鎖骨より美しい宝石など存在しない、ということでしょうか」
「たぶん、たくさんありますよ」
貴族の邸宅に招かれるために必要なものを何一つ持っていないエレインのために一から全て揃えてくれたのだ。何かひとつくらい取りこぼしがあってもしかたない。
「それよりロザリーも自分の準備をしないと。婚約者さんがお待ちでしょう?」
「幼馴染みですっ」
きっちり訂正したロザリーはベッドの角にぶつかりながら部屋を出て行った。
それから間もなくして、エレインの部屋のドアが叩かれた。ジラウドだ。
着替えたエレインを見るなり口に手を当てて何かをこらえようとしている。
「本当に持たない……」
結局こらえきれずにもごもごと呟いたジラウドは、たっぷり数秒溜めてから、後ろ手に持っていた小箱を差し出した。
「君に、これを」
「…………!」
ジラウドが開けた小箱の中身を見て、エレインは声を失った。
箱の中に敷き詰められた深紅の天鵞絨に映える紺色の石。内側から発するわずかな光が石自体の淡い遊色を照らし、複雑な色合いを見せるそれは、しずく形の星光石があしらわれた首飾りだった。
「あの……これ……」
「君に似合うかと思って用意した」
星光石はエレインにとって特別な宝石だ。
前世の夫が、かつてのジラウドが贈ってくれた石だから。
星光石の沈んでいるという海を見に行こうと、約束をしたから。
(約束だって言ったのに。絶対連れて行ってくれるって、言ったのに)
ジラウドが前世を覚えていなくてよかったと安心していた。
けれど、あの日の約束はもう二度と叶わない。そう思うと胸に穴が開いた気分になって、胸の前できゅっと両手を握った。
「……気に入らなかったか?」
星光石の首飾りを見つめていたエレインは、不安げなジラウドの声に顔を上げた。
すぐに首を横に振る。
「すごく綺麗です。ありがとうございます。あの……付けていただいても、いいですか?」
エレインはくるりと後ろを向いて、半分下ろした髪を持ち上げた。
髪の毛を上げたまま待っていると、少しして、冷たいものがエレインの首筋に触れる。
時折ジラウドの指先が肌を掠めてくすぐったい。
どんなに細かい外科手術も完璧にこなすのに、首飾りの金具を止めるのには手間取っているらしい。
「ふふ」
「い、痛かったか? すまない」
「いいえ、大丈夫です」
しっかり金具が留まったことを確認してから、鏡を覗き込む。
ドレスの共布で作られたチョーカーがエレインの首を飾っている。しずく形の星光石が煌めいていた。
前世ではもらったその日のお茶で事件が起きてしまったので、こうして身につけることは叶わなかった。もらったばかりの星光石もどこへ行ったのか分からないまま死んだ。
ツンと目の奥がしみたのを誤魔化すように笑って、エレインはジラウドに向き直る。
「似合ってる」
「本当にありがとうございます」
「ああ。行こうか」
間もなく舞踏会が始まる時間だ。エレインたちと同じように泊まりの客が他にもいるのか、客間から楽しそうな声がこぼれていた。玄関ホールからも到着した客人たちの喧噪が聞こえてくる。
そんな中、連れだって歩く二人は無言だった。どぎまぎしすぎて話題を見つけられないでいたエレインが意を決して口を開く。
「そういえば、馬は元気にしてますか?」
「ああ、元気にしているよ。覚えていてくれたんだな」
「一緒に熊に立ち向かった仲ですから」
「そうだったな。クラージュという名前なんだ。そのうちベルカイムに連れてくるから、会ってやってくれ」
「はい。にんじん持って行きます」
「ああ」
会話が途切れる。やがてジラウドがため息と共にがっくりと頭を下げた。
「すまない。うまい言葉が見つからなくて……その、ダンス、踊らなきゃ駄目かな」
「ダンスをするための舞踏会なんでしょう?」
心底嫌そうな声に、エレインはこらえきれずに笑ってしまう。
前世のジラウドは平民の生まれで、子供の頃から戦いに明け暮れていた。
エレインとの結婚により人前で踊ることは何度かあったが、ダンスは苦手だと毎回ため息をこぼしていたものだ。
今世では貴族に生まれたのだから小さな頃から習っているだろうに、苦手意識は変わらないのだろうか。
「でも、こんなに美しい君を誰にも見せたくない」
「えっ!? だ、だめですよ。一曲くらいは踊ってください」
顔を上げたジラウドの目尻が赤く染まっている。
エレインも赤い顔で手袋越しの指をモジモジこねてから、絞り出すように言った。
「私、実は、今日を楽しみにしていたので……一緒に踊りたいです……」
かつての夫はダンスを苦手としていたが、エレインはダンスが好きだった。
確かにぎこちない動きではあったが、戦いの日々で鍛えられた体幹とリズム感の良さが感じられたし、何より一緒に踊るエレインに意識を向けていることが分かっていたから。
かつてのエレインがダンスを共にした中で、夫が一番、安心して心地よく身を任せられる相手だったのだ。
「それなら、何曲でも踊ろう」
「……はい」
ジラウドはエレインの両手を取り力強く頷いた。
同じ相手と二曲連続で踊る意味は、他人以上に興味を持っているということ。
同じ相手と三曲連続で踊る意味は、相手と特別な関係を築いているということ。
婚約者もいないジラウドがエレインをパートナーとして舞踏会に参加し、続けて何曲も踊れば、周りが二人をどう見るかなど分かり切っている。
分かっていながら、エレインも頷いたのだ。
「エレイン……」
「…………」
ジラウドの青い瞳に熱が籠もる。どうしても視線を逸らせないでいると、エレインが逃げないことを知ったジラウドは握っていた手を解き、頬に添えた。
探るような力加減で引き寄せられて、ジラウド自身もエレインに近づく。心臓の音が相手に聞こえそうなほどの距離になった時――
「んっ、んんっ」
エレインの付添人であるモントレー夫人の咳払いが後ろから聞こえてきて、二人はさっと距離を取ったのだった。




