19 エミリアーノ邸へ
今日はエミリアーノの夜会に参加する日だ。
ジラウドは舞踏会用ドレス一式の他、道中用のデイドレスまで用意してくれていた。
後ろの手が届かない部分と髪の毛の仕上げだけオルガに手伝ってもらって、完成した姿を見てオルガが一言。
「まぁ、思った以上には似合ってる」
「どの程度を想像してたって言うんです」
鏡越しのオルガはため息なのか感嘆なのか分からない息を吐いて、改めて鏡越しにエレインを眺めた。
「エレイン。あんたはこのあたしに育てられたわりには育ちの良さみたいなものがあったね。年相応の子供かと思うこともあれば、あたしのひいばあさんでも知らないような知恵を持っていたりするし、教えた覚えもないダンスも踊れる。あんたの前世がお姫様だったと言われても、あたしは驚かないね」
オルガの言葉にエレインの心臓が跳ねる。思わずいつもの癖でロケットペンダントを握ったら、せっかくの服がしわになるとオルガに叱られた。
「私がお姫様なわけないですよ」
「そうだね。観葉植物を相手にダンスの練習をするお姫様はいない」
「ちょうどいい背丈だったんです」
「風呂に入らない不潔なお姫様もいてたまるか」
「ちょっと研究に夢中になってお風呂を忘れてしまうだけですから!」
断じてお風呂が嫌いなわけではない。それに、二百年前のお姫様こそあんまりお風呂に入っていなかった。布とせっけんで身体を拭くだけだったのだ、と出かかった言葉を飲み込んだ。
「そうだね。あんたは一生懸命を通り越して、必死だったもんね。時々、どうしてここまで必死なんだろうと思うことがあったよ」
「師匠……」
「薬学にばっかり夢中で、年頃になってもおしゃれや恋愛には興味を持たず、風呂にも入らず」
「もうお風呂のことは忘れてもらっていいですか」
鏡越しに半目で睨むと、オルガは「くっくっく」と笑ってから言った。
「ようやく青春を謳歌する気になってくれたようで嬉しいよ、エレイン。本当によく似合っている。楽しんでおいで」
オルガの言葉と笑顔には揶揄いも皮肉も含まれていなかった。
返す言葉を失って視線を彷徨わせた後、エレインは赤く染まった顔を隠すように視線を伏せる。
「これはお願いされたからしかたなくであって、青春とかじゃないんですよ。仕事みたいなものですし、このドレスも支給された制服というだけで……」
「…………」
オルガは、尻すぼみとなる言葉を拾ってくれはしなかった。耳が痛いほどの静寂の後、オルガに問われる。
「エレイン。本気でそう思ってる?」
「……いえ……」
本当は分かっている。舞踏会でパートナーになってほしいと言われた意味も、用意されたドレスの意味も。ジラウドの気持ちははっきりと言われていないけれど、隠されてもいないのだから。
やがて、家の外から馬のいななきが聞こえてきた。時計を見れば、ジラウドが馬車でエレインを迎えに来る時間になっていた。
オルガに出迎えられて家に入ったジラウドは、普段とは違うデイドレスに身を包んだエレインを見るなり独り言のように呟く。
「綺麗だ」
「今からその調子では後から身が持ちませんよ、シャリエ先生」
「……確かに」
オルガに窘められて咳払いしたジラウドは、改まってエレインに腕を差し出した。
「行こう、エレイン」
「はい」
素直に腕に手を添える。頭上からほっとしたようなジラウドの息が聞こえて、むず痒い気分になる。
「それでは、エレインをお預かりします」
「ああ。行ってらっしゃい」
「師匠、行ってきます。留守をよろしくお願いします」
「心配するんじゃないよ」
馬車の側では、先日ジラウドの使用人となったモントレー夫人が控えていた。
「ごきげんよう、エレインさん。素敵な装いですね」
「ありがとうございます、モントレー夫人。お世話になります」
二人は目配せをして馬車に乗り込む。馬車が走り出すなりお茶だお菓子だとくつろぎ出す女二人を見て、ジラウドは不思議そうに首を傾げた。
「君たち、そんなに仲が良かったか」
「仲がいいわけではございません」
モントレー夫人は澄ました顔で即答した。
二百年前にエレインの侍女を務めたソフィことモントレー夫人は、前世の悲劇を繰り返さないためにジラウドを見張ると言ってジラウドの病院に乗り込んだのだ。
必要以上に親しくして怪しまれてはいけない。かといって、すぐ隣に座るジラウドと話すのも何だか気恥ずかしい。
結局、馬車の中は蹄と車輪が土を踏む音が響くばかりだった。
*
ベルカイムからエミリアーノ邸まで、休憩を挟みながら馬車で進んで約半日。
目の前に広がる大豪邸を見て、エレインは思わず口を開けてしまった。
「わー! すごいお屋敷ですね!」
「そうだな」
エミリアーノが貴族出身だということは知っていたが、これは大貴族と呼べるのではないだろうか。
馬車止めのある前庭も素晴らしい。この季節なのに色とりどりの薔薇が咲き誇っている。お金がなくて持て余すばかりだった前世の実家とは大違いだ。
薔薇のアーチや噴水を眺めていると、ちょうど湧き出た水の向こうに、見覚えのあるまるっとした影を見つけた。
「やあ、チミたち。久しぶりだね」
「司令殿!」
ブロンデル第七駐屯地の司令を務めていたエミリアーノだ。見慣れない礼服姿ではあるが、相変わらずの丸さなのですぐにそうだと分かった。
「ご無沙汰しております、エミリアーノ殿」
「お会いできて嬉しいです」
「うん、うん。ジラウド君もベルジュ君も元気そうで何よりだよ」
エミリアーノはジラウドとエレインを交互に見て、つぶらな瞳を糸のように細めて嬉しそうに頷いた。駐屯地にいたとき以上にふんわりとした空気をまき散らしている。顔色が良く、胃痛に悩まされている様子もない。
そんなエミリアーノの隣に、すらりとした長身の女性が立った。
「妻のミュリエルだ。ミュリエル、こちらは先の任務で一緒だった軍医のジラウド・シャリエ君と、薬師エレイン・ベルジュ君だよ」
「ようこそおいでくださいました。お二人とも、夫から話は聞いておりますの。今夜は楽しんでくださいませ」
ミュリエルもエミリアーノに負けず劣らず柔らかな雰囲気の女性だった。
似たもの同士でお似合いの夫婦に見える。貴族同士だから政略結婚なのだろうか。互いに目配せしては微笑みあって、恋愛結婚だと言われても驚かない仲の良さだ。
「積もる話もあるけど、他のお客様が続々到着していてね。客間に案内させるからチミたちは舞踏会まで休んでいてくれたまえ。後でゆっくり話そうね」
見れば確かに、エレインたちが乗ってきた馬車の後ろに次の馬車が止まっている。今夜はなかなかの規模の舞踏会になりそうだ。
「ありがとうございます司令殿、夫人。お言葉に甘えさせていただきます」
「それでは、後ほど」
使用人に案内された客間は隣同士の別部屋だ。
部屋の前でジラウドと別れ、モントレー夫人とあてがわれた部屋に入ろうとしたその時、後ろからエレインを呼ぶ声があった。
「エレイン!」
「え? あ、ロザリー!」
「ジラウド様にモントレー夫人まで! またお会いできて嬉しいです、エレイン!」
「私も嬉しいです。またロザリーに会えるなんて」
駆け寄るロザリーと両手を握り合っていると、ロザリーの後ろから男性が出てきた。榛色の髪をした、素朴な印象のある人だった。
そういえばジラウドが言っていた。ロザリーには婚約者がいるらしい。もしかして、とロザリーに視線を戻すと、彼女は淡々と言った。
「紹介します。この人はルシアン・ラモンド。私の幼馴染みです。ルシアン、こちらは薬師エレイン・ベルジュさんです」
「ルシアン・ラモンドです。薬師殿のことは婚約者のロザリーからよく聞かされておりましたよ。ジラウドさんもお久しぶりです」
「ん?」と声に出しそうになるエレインの前で、ロザリーが続ける。
「親同士が勝手に決めただけのことですから」
「僕はそれ以上に思っているんだけどな」
「なっ、何のことだか分かりませんね」
困惑して隣のジラウドを見上げると、そっと耳打ちして教えてくれた。
「あの二人、婚約自体は何年も前にしてるはずなんだが、ロザリーが頑なに婚約を認めない」
「どうして?」
「さぁな」
ルシアンを婚約者と認めない理由は分からないが、手紙で婚約者の存在を教えてくれなかった理由は分かった気がした。
しかし、見たところロザリーはルシアンを憎からず思っている様子だ。
(いいなぁ)
ごく自然にそんな感情が沸き起こる。
仲の良さそうなバルゲリー夫妻も。照れ隠しをしているらしいロザリーも、そんなロザリーを見つめるルシアンも。
今世のエレインにそんなつもりは一切なかったはずなのに、考えが変わってきてしまった。
視線をジラウドに戻す。
「なんだ? 顔に何か付いているか?」
「いいえ。いつもの素敵なお顔ですよ」
エレインの心境を変えた元凶は、顔を真っ赤に染めた。




