表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

324/357

第322話 『国外退去ならびに臨戦態勢』

 文久四年三月四日(1864年4月9日) 


「急ぎなさい。私が戻るかオールコック前公使が戻るか分からないが、正直なところ良い思い出がない。できればあまり関わり合いたくない国だがな」


 駐日イギリス代理公使のエドワード・セント・ジョン・ニールは、執事たちに命じて公使館を退去する準備を進めるとともに、日本に滞在しているイギリス人すべてに退去勧告を出していた。


 ニールの命令は迅速に広まり、横浜、長崎、箱館のイギリス居留地では商人や外交官、技術者たちが慌ただしく荷物をまとめ始めている。しかし予想していたとはいえ、多くの者が退去勧告に困惑していたのだ。


「閣下、これは戦争になるということでしょうか?」


 港で荷を積む船主の問いに、ニールは表情を硬くした。


「戦争? 日本の馬鹿な指導者のせいで、私までこんな目にあったのだ。しかし心配するな。大英帝国が負けるはずはない。すぐに日本の貧弱な海軍など粉砕して、堂々と横浜へ入港するはずだ。せいぜい1か月程度の上海旅行とでも思えばいい」


 ニールはそう言って、うんざりしながらも指示を出す。


 



 ニールの元に日英開戦のための訓令が届いたのは間もなくであった。





 ■江戸城


「とうとう来ましたな」


 筆頭大老安藤信正は、全文英語で書かれたイギリスの公式文書を前に、通訳が翻訳した内容を聞いて、静かに言った。



 


 ヴィクトリア女王陛下の政府より日本国政府へ


 我々はここに日本国に対し、重大な懸念を表明するとともに、以下を要求する。


 大英帝国は1854年10月14日、日英和親条約を締結して以来、日本との友好関係の維持に努めてきた。


 しかるに1862年8月26日に発生した生麦事件において、薩摩藩士による帝国臣民への暴挙が発生した。


 この事件に対し、我々は日本政府に厳正な処罰と十分な賠償を求めてきたにもかかわらず、日本政府は満足のいく回答を提示せず、事態の解決に向けて誠意ある努力を欠いている。


 この状況は、国際法の定める義務を(はなは)だしく蔑ろにするものであり、大英帝国の威信を著しく傷つけるものであって、断じて看過することはできない。


 よって、我々は日本国政府に対し、以下を要求する。


 第一に、生麦事件の責任者を速やかに特定し、厳正に処罰すること。また、被害者およびその家族に対し、十分に賠償すること。


 第二に、不当に拘束された帝国臣民を即時かつ無条件で解放すること。


 第三に、今後、大英帝国臣民の安全を保障し、全ての条約に基づく通商上の権利を尊重すること。


 第四に、日本政府は、生麦事件に対する賠償金として12万5千ポンドを支払うこと。


 我々は、1864年4月30日までにこれらの要求に対する満足のいく回答が得られない場合、大英帝国は日本国に対し宣戦を布告する。我々は、日本政府が事態の深刻さを理解し、賢明な判断を下すことを強く期待する。


 1863年12月10日


 ヴィクトリア女王陛下御名において


 大英帝国外務大臣


 ジョン・ラッセル(きょう)





 女王自身がこれほどの鉄の意志を持っていたかは分からない。


 対米戦争を回避するために動いた女王であったが、イギリスが善で日本が悪という情報を真に受けていたか、もしくはパーマストンらに情報統制されていたのかもしれなかった。





「なに、どうという事でもございますまい。方々、予想どおりのことにございます。この上は粛々と為すべきことを為しましょう。まずは他国に害の及ばぬよう、念のためアメリカ・フランス・オランダ・ロシアの公館を山の手へ移設し、ならびに在留外国人の避難を執り行うべきにございます」


 大村純顕は淡々と大老院の面々に話した。この辺りは事前に次郎と打ち合わせていたのだろう。次郎は大村にて海軍の指揮にあたっているが、その間の中央の裏からの差配は純顕が買って出ていたのだ。


「イギリスは馬関へ、馬関を狙ってくるのだろうか……」


「イギリスの艦隊が江戸へ来ることはないであろうと、そういう話であったが、奄美の島々を通り抜けてくるのだ。鹿児島は……」


 安藤信正の対応とは裏腹に、毛利敬親と島津忠義は気が気ではなかった。


 自らの領地が戦場になるかもしれないときに、自分だけぬくぬくと江戸にいては藩士の士気も上がらないからだ。





「中将(毛利敬親)殿、大隅守(島津忠義)殿、国許へ戻られるか?」


 敬親も忠義もハッとしてお互いの顔を見るが、おおっぴらにそれを言う事は(はばか)られた。


「……では公儀筆頭大老して命ず。毛利左近衛権中将、島津大隅守、命により国許へ戻りイギリスと相対しては、見事敵をうち倒してみせるがよい」


 信正のその発言に2人は居住まいを正して直視した。


「ははっ」


 敬親と忠義はそう言って退座した。





「さすがでございますな」


「なに、御家中の誰かより、腹芸は苦手にござるよ」


 純顕の冗談めかした問いに対して信正も冗談で返した。信正はふふふ、と笑った後に声を上げる。


「土佐守(山内容堂)殿、中納言(伊達斉泰)殿、陸奥守(伊達慶邦)殿、お三方はこれまで通りでお願いいたす」


「 「 「無論の事」 」 」


 



 江戸城での会議は続いた。





 ■大村藩


 どおん、どおん、どおん……!


 完成したばかりの2,500トン級新鋭軍艦『知行』の試験航海、ならびに海上試射に立ち会っている次郎は、感嘆の声をあげた。


「これで……何メートルだ? 速度は?」


「はい、約3,900メートル、速度は16ノット出ております」


「おお! 大砲は『大成』とほぼ同じ射程、新型機関を積んで速度は上がっておるな!」


 大村藩海軍は、全艦艇を運用した艦隊運動ならびに作戦行動の訓練を、休みもなく行っていた。





「ご、御家老様! 大変です!」


 港に戻った次郎に急報が入った。


「何事じゃ?」


「て、敵が……」





 上海からイギリス艦隊が出港したとの報せであった。





 ■鹿児島城


「な、なんじゃと?」





 -発 琉球在番奉行 宛 御殿


 英国艦隊来航にて首里城下へ進み留まり候。琉英条約締結を求め、艦隊は北上する模様に候間、大島の備えの要ありと認め候。-





「こ、これはいったい……如何(いか)にすべきか?」


 久光は苦悩した。


 前回の次郎との会談では、鹿児島にイギリス艦隊が襲撃した時の事を踏まえ、防備に徹して待ち構え、艦艇はそれを補うべく行動すべしと決まっていたのである。


 しかし今、琉球を介した清国との貿易が危ぶまれる事態となっている。しかも沖永良部島以北は薩摩藩領となっていて、沖永良部・大島・徳之島・喜界島に番所があるのだ。


 琉球は清国に冊封され、薩摩との二重支配下にあるとはいえ独立国である。そのためイギリスといえども何の名目もなく、軍隊の長期駐留は許されることではない。


 しかし薩摩藩領となれば話は別である。開戦となれば占領されても文句は言えないからだ。


「上海から直に鹿児島にくるのではなく、琉球からくるか……。しかも本国の支援を待たずにとは」


 情報収集のために上海(フランス租界)に滞在している藩士からは、援軍到着の連絡はまだない。

 

 情報はまず長崎へ到着するフランス(もしくはイギリス以外の)船籍の船によって次郎に知らされ、長州ならびに鹿児島など、重要拠点へ伝達されるからだ。


 奄美群島を見殺しにして引きこもるか、それとも艦隊兵力では半数にも満たない薩摩艦隊で南下するか? しかし南下したとして、どう戦うというのだ?


 久光は考えに考えている。


 次郎は通信網の敷設は提案してきたが、琉球から奄美群島の防衛に関してはまったく言及していなかったのだ。そのため島々には多少の小火器はあるものの、大砲の備えなどは存在しない。


 しかもその小火器は、火縄銃である。


「く……」


 久光には苦渋ではあったが、いますぐに動くことなどできない。重臣と協議した後、江戸の純顕へ電信を送った。





 -発 島津少将 宛 丹後守


 琉球在番奉行より報せあり候処(そうろうところ)(あったのですが)、英国艦隊来航にて条約締結の見込みあり候。北上の後、奄美大島などに攻め込む恐れ大いにありと存じ候得共(そうらえども)(思うのですが)、誠に遺憾なれどわが海軍のみでは抗し能わぬと存じ候間(そうろうあいだ)(思うので)、御家中の助力願いたく存じ候。-





 いよいよ、開戦の火蓋が切られようとしていた。





 次回予告 第323話 『イギリス東インド・清国艦隊』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>女王自身がこれほどの鉄の意志を持っていたかは分からない。 この頃のビクトリア女王は、王配のアルバート大公の死を悼んだ服喪中(1861-1868)で対外膨張政策には一貫して反対(孤立主義ではない)し…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ