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第26話 『佐賀藩、大村藩に遣いを送り、探りを入れる』(1837/11/12)

 天保八年十月十五日(1837/11/12) 佐賀城


 次郎左衛門が藩主大村純(あき)にゲベール銃の複製を申請し、硝石と火薬の藩内での大規模な製造を進言している頃、肥前一の大藩である佐賀藩、佐賀城で会見が行われていた。


 会見、といっても仰仰しいものではない。


 当主である鍋島直正(当時の斉正)と義兄である武雄鍋島家の当主茂義の会談である。それに部屋には2人しかいない。


「して義父上はいかがか」


 武雄鍋島当主の鍋島茂義が聞く。


「相も変わらず。過日よりはましになったとはいえ、それでもまだ足りませぬ」


「お歳ゆえ、今まで以上に華美にはならぬと思うが……お主の一昨年の倹約令は効き目があったが、それでも筋が通らぬようになるの」


「困った事です」


 ふふふふふ、と2人して苦笑いだ。


「義兄上がオランダより洋式の火打ち石銃を輸入され、オランダ人の教官を招いて軍制を洋式に改められて、はや六年になりますな。その間長崎の高島秋帆に郎党を弟子入りさせ、ご自身も入門されて一昨年には皆伝をとられた。日ノ本で義兄上以上に西洋事情に通じておる者はおらぬのではありませぬか」


「ははは、世辞を言うてもなにも出ぬぞ。ときに直正よ、いささか気になる噂を耳にしたのだが、聞いておるか?」


如何(いか)なる噂でしょうか」


 茂義の問いに、直正が問いで答える。


「うむ、今年の六月末に浦賀に異国船が来たのは知っての通りじゃが、その二月前に、大村藩が異国船打払令について幕府に建白書を出しておったのじゃ」


「それは初耳にござる。如何なる内容なのですか?」


「つぶさには知らぬが、すべて一様に打払うのではなく、まずもってその目的を問いただし、害のある者のみ打払うべしとあったようだ」


「ほほう……それは確かに、理には適ってはおりますな。異国の者が何を考え、何を求めているかわからねば、何も出来ませぬ。解せぬ事、得心いかぬものはすなわち恐れとあいなりますからね」


「左様。それゆえ幕府は異国船はすべからく打払うべしとしたのだ。しかし、いずれは開国もやむなし、であろう」


「義兄上もそう思われますか?」


 佐賀武雄家は幕末に佐賀藩の軍事・科学技術の礎となった分家である。


「世の中の流れには逆らえぬよ。今はよくても十年先、二十年先には武力でもって開国を迫ってくる異国も出てこよう。そうなってからでは遅いのだ。今より備え、異国のなすがままにされぬよう、わが国も強くならねばならぬ」


「仰せの通りかと存じます。して、大村藩は我が藩と同じように長崎聞役を置いてはいるが、これは夏詰めのみ。警護は福岡藩と我が藩が担っておりますれば、なにゆえにそのような建白を今さらしたのでしょうか」


 直正の発言に茂義は少し驚いた顔をした。


「なんだ、知らぬのか? 大村藩は八月より夏詰めを定詰としておるぞ。いちいち幕府の許しを得るものではないゆえ、大事にならなかったからやも知れぬな。とるに足らない事として、報せもなかったのやも知れぬ」


「左様にございましたか。義兄上はよくご存じで」


「いやいや、たまたま知っただけの事、お主は当然知っておるものとして、あえて知らせはしなかったのだ。それはそうと、大村藩といえば、長崎の大浦屋は存じておるか?」


「……。はい、存じております。確か油問屋だったと思いますが、直に会った事はございませぬ。長崎の在番の役人から人づてに聞いたのみにございます」


 直正は少し考えた後に答えた。


「左様か、その大浦屋が近ごろ大村領から仕入れたものが、随分と評判がよくてな。そうだ、少しまってくれぬか」


 茂義は直正に見せようと持ってきた木箱を用意させ、蓋を開けて中身を見せる。


 石けんである。


 最初に次郎左衛門が大村純(あき)に献上したのと同じ物で、ミカン・クロモジ・樟脳の三種類の香りの石けんが未使用のまま入っていた。


「こ、これは……しゃぼんではございませぬか。義兄上もこれを……しかしこれはオランダ製の貴重品とばかり思っておりましたが、格安で手に入れられると聞いて手に入れましてございます。まさか……」


「そう、そのまさかじゃ。大浦屋から聞いて驚いたのだが、なんと大村藩で、いや大村藩が作ったわけではないが、大村藩領から仕入れて売っているのだそうだ」


「なんと!」


 直正の驚きは尋常ではなかった。


 日本で唯一のヨーロッパである出島がある長崎、しかもその長崎の警護をしている佐賀藩は、西洋とのつながりという点で日ノ本一と自負していたのだ。


 もちろん幕府と同等か、もしかするとそれ以上である。聞きかじりの伝聞ではなく、生きた情報が手に入るからだ。


 それが大村藩に先を越された?


「では大村藩、藩ではなくとも、大村藩内でオランダのしゃぼんが作られ、売られているという事になるのでしょうか」


「そうとしか考えられまい」


「義兄上これは……」


「うむ、人をやって確かめねばなるまい。それも相応の人物を。事と次第によっては大村藩との関係を、より密にいたさねばならぬやもしれぬ」





 ■玖島(くしま)城下 某所


「ええいまだか! まだ見つからぬのか?」


 石けんの製造工場は、上等なものではない。雨風をしのげればいい程度のものなので、簡素である。すでにできあがって製造が開始されていた。


 管理運営は家老の大村治郎兵衛に移り製造が行われている。


 初回の仕入れはすでに終わっていて、支払いのみが残っていた。


 しかし当の石けんを売りさばかないと、油を仕入れた大浦屋や、その他の業者への支払いが間に合わない。


「申し訳ありませぬ。見たことも使った事もないものを商う事はできぬ、との商人ばかりにて」


 大浦お慶は石けんの良さを知っている。


 大名や上級武士の見栄や自己顕示欲を煽れば売れると確信していたのだ。先見の明と商才において大いに違いがあった。


 現に史実でも油問屋の将来に見切りをつけて、茶の貿易に切り替えて財をなしている。


 片や商売などやったこともなく、プライドの高い人間との差は明らかであった。





 次回 第27話 『高島秋帆の一番弟子、平山醇左衛門との出会い』(1838/1/10)

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