第244話 『莫大な艦隊維持費と二個艦隊計画に樺太派兵増強』
安政七年一月二十日(1860/2/11)
次郎は川路聖謨と協議の上、ロシア側に慰謝料を払って貰う事と、今後の事件再発防止のために新たな条約を締結する事でゴシケーヴィチとの間で合意した。
慰謝料は1人あたり500両で30名分の1万5千両。施設の損害や作業中断の損失、外交上の損害等々は問わない事とした。
取り決められた条文は以下のとおり。
1. 日本の領域侵入:段階的に対応する。警告から始まり、最終的には武力行使も可能。
2. 明らかな主権侵害:日本は即時に武力行使を含む対応をとれる。
3. 国境周辺での示威行為や測量:日本が警告を発し、ロシアは従う。
4. 条約違反:日本がロシアに賠償を請求でき、ロシアは従う。
5. 領土・主権の範囲:固有領土、人口構成、土地所有、実効支配、経済依存度で判断する。(※詳細は活動報告に記載)
6. 国境:両国で定めた境界線に従うが、5の条件が優先される。(※詳細は活動報告に記載)
7. 不明確な地点:国境周辺とみなし、特別な規定を適用する。(※詳細は活動報告に記載)
8. 境界の明確化:合同調査委員会を設置し、詳細な地図を作成する。
9. 紛争解決:両国で協議し、必要に応じて第三者による調停または仲裁を受ける。
10. 実効支配地域の紛争:支配国の主張を優先する。
11. 非当該国民の権利:文化、言語、教育の権利を保護する措置を講じる。
(※全文は活動報告に記載)
次郎が将来のことを見据えて締結したのは言うまでもない。
■江戸 大村藩邸
「よし、では次の者、父親とともに中に入るが良い」
藩邸の門前に並ぶ長い列から、一組の親子が恐る恐る一歩を踏み出した。
父親は40代半ばといったところか、やや禿げあがった頭に心なしか汗が光っている。その隣には、まだあどけなさの残る十二、三歳ほどの少年が立っていた。
門をくぐると広々とした庭が広がり、そこかしこに西洋風の装置や、見慣れない機械が置かれている。父親は息をのみ、息子は好奇心に目を輝かせた。
案内役の藩士が二人を応接間へと導く。
障子や畳があり、椅子やテーブルが置かれた和洋折衷の空間に、二人は戸惑いながらも座った。
「ようこそ大村家中江戸屋敷へ」
穏やかな声に二人が顔を上げると、そこには和服姿ながらもどこか異国の雰囲気を醸し出す男性が立っていた。浅田千代治。大村藩の江戸元締役である。
次郎とは家老になってからであるが、昵懇の仲で、次郎不在の江戸での差配を、江戸詰家老とともに担っている。昵懇なので、思想や言動も幕末人らしくない。
「さて」
千代治は威厳を保ちつつも、やや柔和な表情で父子を見た。
「そなたたち、名を名乗れ」
父親が慌てて頭を下げ、震える声で答える。
「はっ。あっしは神田司町に住んでおります荷運び稼業の佐野弥助でございます。こちらは倅の佐助でございます」
千代治は軽くうなずいた。
「うむ。では弥助よ、この募りを何処で知った」
今度は少年・佐助が勢いよく答えようとしたが、父・弥助が慌てて制する。
「申し訳ございません。日本橋の高札場にて、『大村家中にて学び、給金をいただけると』の告知を見つけまして……」
もちろん、詳細は書いていない。書いていれば余計なところから茶々が入るからだ。ただの募集の立て札である。
千代治は少年の熱意と父親の慎重さを見て取り、わずかに表情を和らげた。
「うべな(なるほど)。然らば何故応じようと思った」
「はい……倅の将来を案じまして。江戸は混み合っておりますゆえ、このままでは……」
弥助は恐る恐る答えた。
千代治は静かにうなずき、さらに問う。
「では弥助、佐助は読み書き算盤は能うのか」
「はい、寺子屋に通わせておりまして、読み書きはそれなりに。算盤は商売柄、あっしが教えておりますので、かなり上達しております」
千代治の問いに、弥助は少し誇らしげな表情を浮かべて答えた。
「然様か。然らば中等部からの学びとなろうが、家中では給金も出すが易き事ではない。月に一度は試験問答があり序列が決まる。それによって給金が変わるわけではないが、一定の域に達せねば退学となり送り返される事となるが、よいか?」
千代治の言葉に弥助は一瞬たじろいだが、すぐに決意を固めたようにうなずく。
「はい、覚悟しております。佐助、お前はどうじゃ?」
「はい! どんなに難しくても頑張ります! 退学なんてされません!」
佐助は真剣な面持ちで答えた。千代治は少年の決意に満足げな表情を浮かべ、さらに説明を続ける。
「よかろう。では次じゃ。給金は初め月に二両二分。これは決して多くはないが、家中が衣食住を用立てるゆえ、そなたの学びと生活には十分であろう。そのうち一両は必ず親元へ仕送りとなる。そのまま海軍もしくは陸軍士官となれば、昇進もある。無論俸禄も増えよう。それでもよいか?」
「そ、それだけあれば十分でございます。ありがたい話で……」
弥助は驚きの表情を浮かべた。
「あい分かった。ではおって沙汰いたすゆえ、自宅にて待つが良い。次の者!」
次郎は陸海軍創設のおりから、大村藩の人口を考えて江戸・大阪・京都で同様の募集をかけていたのだ。
■大村藩庁
「倍ですと? 太田和殿、家中の財政については月に一度聞いておる故得心しておるが、海軍の船を倍にして陸軍も増やすとなれば、さすがに賄えぬのではないか?」
反対派、という訳ではないが、あまりの金額に慎重論が出るのも無理からぬ話であった。
「殿、恐れながら申し上げます」
次郎は純顕、利純に対して発言した。
「申してみよ」
「は、恐れながら只今、皆様方のおかげにて、わが家中の歳入は公儀をはるかに超えるものと成りましてございます」
「……うむ」
公儀を、超えた、だと? 万座がざわめき、次郎に注目した。
「歳入はおおよそ百六十万両。歳出は百二十万両となりまする。しかして海軍の維持費は約四十万両にて、倍になるとしても歳入にて賄えます。また来年倍になる訳でもございませぬゆえ、数年の後に倍になったとて、歳入も増えておりますれば、障りなし(問題ない)と存じます」
万座はまだ静まりかえったままだ。公儀を超えた、という衝撃が大きい。
「して、歳入はその海軍費の増加にあわせて、増える見込みはあるのであろうな?」
「は。まずは長崎にてオランダのみに限られておりました茶や石炭、生糸の貿易が、亜墨利加・英吉利・魯西亜・仏蘭西とも能うようになり、増加いたします。加えて横浜と箱館の開港で取り扱い量も増えまする。また公儀と金を出しあいて駿河の茶園の草分けを行い、加えて天領における灯油の生産も見込めますれば、海軍費の倍増ならびに造船費をもってしても余りあるかと存じます」
「ふむ、利純、如何思う?」
純顕は次郎の上書を受けて弟の利純に問うた。
「兄上、次郎の案は理に適っていると存じます。我が家中の取り組みにて斯程の歳入増加をなし得た事は、驚くべきことです。海軍の拡大も、我が家中の在り方を日本中に知らしめる事となりましょう」
純顕の問いに、利純はしばらく考えた後、答えた。
かくして、次郎の計画通りに進むのであった。
次回 第245話 (仮)『驚天動地』




