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第221話 『条約と朝廷とベッセマー転炉』

 安政五年六月十九日(1858/7/29) 


 歴史は、ハリスの思惑通りに進んだ。


 6月に入ってのアロー戦争の休戦を受け、日本に恫喝(どうかつ)とも予言とも、提案とも取れる条約締結の要求が示され、幕府は抗う事ができない状況となったのだ。


 しかし次郎はこれを見越して上書をしていた。

 

 領事裁判権を認めず、関税自主権を獲得し、双務的な最恵国待遇の条文はあったものの、和親条約の時と同様に、随時協議を要する事としたのだ。


 決して日本側に不利な条文とならぬよう、下田奉行井上清直と目付岩瀬忠震(ただなり)の2名と示し合わせていた。


 もちろん、全てが次郎の思い通りになった訳ではない。次郎にも、誤算があったのだ。


 この条約では公使の江戸駐在や領事の開港地駐在、5か所の開港や江戸と大阪の開市、自由貿易、協定関税制、領事裁判権、外国人居留地の設定等に関する規定などが取り決められた。


 ハリスの目的は日本との通商であり、将軍との謁見や親書の受け渡し、限定的ではあるが長崎での管理貿易から自由貿易への拡大と、着実に実績を重ねてきたのだ。


 ここでさらに、『ゴリ押し』をするとは思わなかった。


 江戸と大阪の開市については、今の段階で開市をしても国内情勢が安定しておらず、万が一の事があっては困るという事で撤廃を求めたが、ハリスは聞き入れなかったのだ。


 清直も忠震も懸命に説得を行い、何とかハリスを納得させようとしたのだが、無理であった。


 何がそこまで問題なのか?


 長崎は問題ないだろう。すでにオランダに門戸を開いている。箱館も新潟も、遠く離れた、いわば僻地(へきち)である。下田から神奈川(横浜)へ変わったが、それもなんとかなるだろう。


 しかし、神戸の開港と大阪の開市は、まずい。


 神戸は頑張ってなんとかなっても、大阪の開市はあと10年、いや5年は必要だったろう。


 内裏から、近いのだ。


 朝廷は次郎の根回しの甲斐(かい)あって、積極的に開国ではないものの、幕府を支持し、国民のためになるならば、と条約締結に前向きであった。


 しかし、大阪の開市となれば必ずや京都にも影響がでてくるだろう。外国人の往来を所定の場所以外で禁じたとしても、民心への影響は計り知れない。


 もちろん、天皇の宸襟(しんきん)(胸の内・心)を悩ますことが、朝廷にとっては一大事であったのだ。史実では条約締結の勅許を得ずに締結し、朝廷が幕府の敵になり、攘夷(じょうい)派が跋扈(ばっこ)する世情となった。


 今世ではそうはならず、消極的ながらも順序だてて物事を運べば、何の問題もなく締結、開国となるはずであった。





掃部頭(かもんのかみ)様(井伊直弼)、如何(いかが)なさいますか」


「……締結の内諾は得ておる。障りはないはずじゃ……。然れど、神戸の開港と大阪の開市については、別じゃ。これは子細を知らせた上でなくば、結べまい」


 そう、次郎のおかげで事後でも構わないから詳細を教えてくれれば良い、との事だったのだが、国民を惑わす事なく、という条件がついている。


 神戸は京都の近くであり、大阪はさらに近い。


 交易が始まれば不特定多数の外国人と日本人が交流することになる。

 

 言葉が違い文化も風習も違う。トラブルが起きないはずがない。下手をすれば刃傷沙汰になり、そうならずとも異人憎しの気運が高まる可能性が大である。


 天皇や朝廷の外国に対する忌避感や、幕府に対する不信感が増す可能性が大いにあるのだ。


「井上信濃守や岩瀬肥後守から、『やむを得ない際は調印しても良いか』との催促にございます」


「……その際は致し方ないが、なるたけ尽力せよ、そう申し伝えるがよい」


「はは」





 しかし、直弼が派遣した朝廷への使者が京都滞在中に、条約は締結されてしまった。直弼の言葉は『やむを得ざれば、是非に及ばず』と同意であり、勅許不要派の松平忠固の意向も強く反映されていたのだ。





 ■京都 御所


「政通よ、朕は確かに許した。彼の者、次郎左衛門とやらが勧める施策は真に(もっと)もにて、そちも岩倉も大いに同じておったの……。しかるに此度(こたび)の公儀の行いは何たることじゃ。神戸の(みなと)を開き、大阪の市を開くとは。朕は聞いておらぬぞよ」


 孝明天皇は静かに、ゆっくりと御簾(みす)の中から、鷹司政通へ問うた。政通は関白を退任してもなお、内覧として朝廷内で権力をもっていたのだ。

 

 岩倉具視もいたが、ただ黙して聞いているのみである。


 政通は頭を下げ、慎重に言葉を選びながら答えた。


「お上、誠に申し訳ございません。公儀の行いがお上の宸襟を悩ませる事となったことは、誠に遺憾でありましゃる」


 孝明天皇は静かに、しかし明らかに不満の色を(にじ)ませながら続けた。


「政通よ、朕は国を開くことを否とするものではない。そちたちの建言は尤もにて、臣民を安んじ国を富ますのであれば、ゆるりと進めるがよかろうと、勅も出した。然りとて事の順序が違うのではないか」


 政通は姿勢を正し、答える。


「お上のお言葉、誠にごもっともであらしゃいます。事の順序が違うことは、臣も深く憂慮しておりましゃる」


 孝明天皇は静かに、しかし声に力を込めて続けた。


「朕の言葉を伝え、神戸ではなく別の処、大阪を開くにしても今しばらくの刻をかける。……然様な事すら公儀は出来ぬのか。公儀への処し方も……改めねばならぬやもしれぬの」


 政通は身を固くし、さらに深く頭を下げた。


 より一層丁寧に、しかし緊張がにじみ出ている。幕府にただ恭順するのではない。敵対もせず、朝廷を尊びながら政治を行ってくれればいい、それが政通の考えだったのだ。


 ここで天皇の心証を悪くするような事があってはならない。この件は厳重に幕府に抗議し、できるならば開港場所の変更と大阪の開市の延期を要求しようと考えた。


「恐れながらお上のご憂慮、麻呂も痛いほど承知しておりましゃる。この儀は早急に公儀へ伝え、お上の意に沿うよう尽力いたしましゃる」


 すでに直弼からの使者は到着していたが、その使者も寝耳に水であった。政通はきつく使者に申し渡し、幕府に対して再考するよう要求したのであった。





 ■大村 精(れん)


「御家老様! 御家老様!」


「なんじゃ騒々しい」


 高島秋帆が次郎へかけより、息を切らせながらしゃべり始めた。


「炉、新しき炉にございますが、ついに、ついに完成いたしましてございます!」


「おおお! 然様か! 良くやった! 大儀である。さっそく見に参ろう」


 次郎はベッセマー転炉が完成したとの報告に小躍りするが、続いて別の者が同じように息を切らせながら入ってきた。


「なんじゃなんじゃ今度は? 良い報せなら聞くぞ」


 転炉完成に機嫌が良くなった次郎は笑顔でそう答えたが、報告の内容に表情が一変した。





「公儀が、公儀が米利堅と条約を結びましたが、調印の内諾を得ているとは言え、その中身を一切朝廷に知らせずに調印したとの由にございます」


「なん、だと……?」


 井上清直や岩瀬忠震はどうしたのだ? 井伊直弼は勅許必要派だったろう?


 史実ほど強烈ではないが、次郎の脳裏に嫌な未来がよぎったのは間違いなかった。





 次回 第222話 (仮)『違勅』

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― 新着の感想 ―
[一言] 「俺聞いてねぇぞ!?」は現代でも人間関係を拗らせる原因になるというのに、メンツが更に重い時代だと尚更厄介になる
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