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37.執事はこの世界を生きる

 私達が〝気晴らしの外出〟から戻った翌日。私は朝からヘンリーのじっとりとした視線に耐えている。

 彼がそのような視線を向けてくることに対して、仕方がないとは思うものの、居心地が悪いことには変わりなく、私はいつもとは違う紅茶が注がれたカップに口を付ける。

 ちなみに、その紅茶を淹れてくれたのはルークではない。そのことから、私の口からは何も話していないにもかかわらず、今回の家出騒動に関してヘンリーが何かを察しているのだろうということが読み取れる。


「……昨日はごめんね。心配掛けたよね。もっと早くに帰るつもりだったんだけど」

 部屋を満たす重々しい空気に耐えられずにそう言うと、ヘンリーからは「ええ、お説教は後でたっぷりとさせていただきます」との言葉が返ってきた。ちなみに、この時のヘンリーは真顔だったから、後のことは考えたくない。

「それで、昨日は何があったのですか?」

 ヘンリーはそう言うと、視線をさらに鋭くした。


 今回の件についてどうするか……つまり、全てを包み隠さず打ち明けてルークを処罰してもらうか否か、私は一晩中悩みに悩んだ。

 ルークがしようとしたことは、聖女の誘拐と軟禁だ。嘘を吐いて私を王宮から連れ出したことも、私を軟禁するための家を用意していたことも事実。結果的に何もなかったとはいえ、客観的に見た時に、ルークの行動が処罰の対象になることは明白だ。

 けれども私は、そんな状態であるにもかかわらず、ルークのことをもう一度信じてみたいと思っている。

 ルークが自分の意思で軟禁を中止し、自分の力で私を王宮まで連れ帰ってくれたから。王宮に戻れば、同じことを成し得る機会はぐんと減るだろうということも、今回の件で重い処分が下される可能性があることも、わかった上で私の意思を尊重してくれたから。


 そもそもルークと二人でいる間、私は脅迫されることも、暴力を振るわれることもなく、軟禁場所に入ることを強制されることすらなかった。昨日ルークから掛けられた言葉は、自分と二人きりの生活がいかに良いものであるかのアピールにとどまっていた。……だから。

「何もないよ。ただ、気晴らしに外に連れ出してもらっただけ」

 私は、昨日の出来事を〝気分転換のお出掛け〟にすることに決めた。

 それは何も、「私が犠牲になれば丸く収まるから」という考えによるものではない。昨日の彼の行動が、私にとっては処罰に値するものではないと考えたから。そして、おそらくルークは二度と同じ過ちを犯さないだろうと思ったから。

 それはもちろん、今まで築いてきた私とルークの関係性も踏まえての判断だ。


 当然ながら、私の答えを聞いたヘンリーはわかりやすく顔を顰めた。

「『不要な外出は避けるように』という、私の言いつけを破ってまで出掛けたかったのですか?」

「うん、ごめんなさい。でも、出掛けたことに後悔はしてないよ」

「『ありがとう、楽しかった』という書置きは?」

「……たまたま、書きかけのものを出しっぱなしにしちゃってたみたい。驚かせてごめんね」

「……無理があるように思うのですが?」

「そう? でも、あり得ない話ではないでしょう? 魔法のない世界で、異世界から聖女が転移してくるよりも、よっぽど現実的だと思う」


 そう言ってにっこりと笑った私を、ヘンリーはしばらく厳しい表情で見つめていた。

 けれども、おそらく私の意思が変わらないことがわかったのだろう。彼は遂に私から目を逸らして、大きく息を吐いた。

「……それでいいのですね?」

「うん。だって、それが事実なんだもん」

「わかりました。……ですが、しばらくルークにはレイ様と直接関わる業務からは外れてもらうことになるでしょう。彼が報告を怠ったせいで、レイ様の所在が長時間わからなかったのですから」

 その言葉に「わかった」と返すと、ヘンリーはほっとしたような表情を浮かべた。


 そんな彼に、私はどうしても聞いておきたいことがあった。

「ねえ、一つだけ聞いてもいい?」

「なんでしょうか」

「私が全てを捨てて逃げ出したとは、思わなかったの?」

 私は一度、ヘンリーの前で「全てを捨てて逃げようかな」と発言したことがある。私としては本気で言った訳ではなかったけれど、ヘンリーはそれを〝あり得ること〟として受け止めていた。

 だから、「もしもこのままルークと二人で暮らすことになったら」という考えがよぎった時に思ったのだ。ヘンリーが傷付きはしないか、と。「自分には何も告げずに出て行ってしまった」と、「自分はレイ様にとってその程度の人間だったのか」と、考えてはしまわないかと。


 しかしヘンリーは、私の問い掛けに僅かに目尻を緩めた。

「まあ、『絶対にない』とは言い切れませんでしたよ。いくら恋人であっても、相手の全てを知り尽くすことはできませんから」

「すぐに追いかけようとは、思わなかった?」

「思いませんでしたね。たとえ逃げ出したにせよ、レイ様は必ず一度は戻って来られるだろうとは思っていましたから」

「どうして?」

「これを、置いたままでしたから」

 ヘンリーはそう言って私の首元に手を伸ばすと、濃灰色のペンダントを優しく撫でた。その指先は私に触れることはなかったけれど、まるでそれを私の身体の一部と考えているかのような、優しく丁寧な手つきだった。


「どんなことがあろうとも、これだけは手元に置いておいてくださると信じていたので。……自惚れですかね?」

「ううん、全然」

 私の返事を聞いたヘンリーは、満足げに微笑んだ。それは、安堵の表情とは違う、「そうでしょう?」とでも言いたげな、自信に満ちた表情に思われた。

「心配はしましたが、傷付いてはいません。私がレイ様からの愛情を、疑うことはありませんよ」

 ヘンリーのその言葉を聞いた私は、いつのまにか彼の右手を両手で包み込んでいた。

 久しぶりに触れたその手は、いつも通り温かかった。


 ◇◇◇


 ルークと直接話ができたのは、そこからさらに二日後のことだった。

 当然ながらその場にはヘンリーも同席していて、彼から放たれるぴりついた雰囲気に、私はおろおろとしてしまう。

 けれども、部屋に現れたルークは堂々としていて、何かが吹っ切れたような顔つきをしていた。


「僕、カウンセリングを受けることに決めたんです」

 部屋に入るなり、ルークの口からそんな言葉が発せられる。

「カウンセリング?」

「はい。今回の件がきっかけで、自分の愛情が普通ではないって気づいたんです。……わざわざお伝えすることではないのかもしれませんが、レイ様には知っておいていただきたくて」

 ルークはそう言って、大型犬のような人懐っこい笑みを浮かべる。


「そう……。仕事はどうするの?」

「仕事は続けますよ。でも、レイ様と関わる機会は減るでしょうね。処分も下りましたし、僕としても、一度レイ様からは離れなければならないと思っていましたから」

「そっか」

 私の所在が一時不明になった件でルークが処分を受けることには納得しているし、今まで通りという訳にはいかないこともわかっている。

 なにより、ルーク自身が「自分のために」私と距離を置くべきだと考えているのだ。だから私は、喉元まで出かかった「寂しくなるね」という言葉をぐっと飲み込んだ。


「レイ様のおかげで、僕は自分の弱さに向き合うことができそうです。本当に、感謝してもしきれません」

「ならよかった。ルークがまた『大丈夫だ』って思えたら、戻ってきてね」

「……どれだけお人好しなんですか」

「だってさ、ルークがこの世界で最初に私を受け入れてくれた人であることには変わりないんだもん。私にとってルークは、やっぱりお兄ちゃんみたいな存在だよ」

 そう言って笑うと、ルークは一瞬泣きそうな顔をした。けれどもそれはほんの一瞬の出来事で、彼はすぐに「ヘンリー様より先だなんて光栄だなあ」と、おどけたような口調で言ったのだった。

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