34.真実の愛であれどそれは受け取れるものではなく
ありのままの私を良しとしてくれる、ヘンリーの瞳色の宝石がない。ヘンリーとの初めてのデートの日以来、常に私を見守ってくれていたペンダントが、ここにない。
けれども、不思議と「一人ではない」と思えた。ペンダントはないけれど、私の中にはヘンリーから貰ったたくさんの言葉や行動があるから。
そんなふうに考える私をよそに、ルークは内ポケットから何かを取り出した。
「これ、見てください」
そう言いながらルークが掲げたのは、何かの鍵だった。私の掌と同じくらいの、しっかりとした大きさのそれは、上の部分が花のようなハートのような形をしている。
……ルークルートのキーアイテムを、こんなところで目にすることになるなんて。
『ルークにとってはこの鍵が、ヒロインとの愛の証なんだよ。やってることは軟禁だし、ちょっと異常な重さではあるけど、ヒロインが受け入れてるならそれもありなのかもね』
友人はルークルートに出てくるそれついて、そんなふうに語っていた。
〝愛するヒロインを自分の手元に置いておきたい〟。『イセオト』のルークはそう考えていたし、彼と恋仲になるエンドでは実際にそうなるらしい。
だから目の前にいる彼も、同じような考えを有しているんだと思う。この世界はゲームの世界ではないし、私の知るルークはゲームの攻略対象者ではないけれど、全くの別人という訳でもないのだから。
きっと彼にとっても、愛する人と外界を唯一繋ぐその鍵が、愛の証なのだろう。
ルークルートのエンディングについて聞いた時、私は「いくらゲームでもそれは駄目だろ」と思った。けれども、友人は「ゲームの中なら、私はこれくらい重くてもいけるわ」と言って笑っていた。
だからきっと、ルークの愛情表現そのものが全く間違っている訳でもないのだろう。時と場合、そして相手によっては、それも一つの形なのかもしれない。対等な関係の二人がそれを良しとするならば、その愛の形を第三者が否定することはできない。……私にとって、受け入れ難い形をしているというだけ。
ルークの行動が愛によるものであることは、理解している。それは、この世界に来た時から彼を兄のように慕って過ごしてきた、私に対する家族愛。
私がうんと年下の他国の王太子に献上されないように、私が婚約者のいる王太子の側妃にされないように、私が待ち人のいない元の世界に送り返されないように、自分の手で守り続けるための愛の行動だ。
どこか虚ろに笑う彼を、このような行動に駆り立たせた一因が私にあることは間違いない。彼の行動は私を守るためのものなんだから。
けれども今の私の目には、ルークの愛は歪な形をしているように思われるし、なりふり構わないその愛情が恐ろしい。
少し前までの私なら、ルークの歪んだ愛情を目にして、「私のせいでルークがこんなことをしでかしてしまった」と思ったかもしれない。「原因である私がなんとかしないと」と思ったかもしれない。
けれども、今の私はそうは思わない。それが行き過ぎた自己犠牲であることに、気づくことができたから。
私が犠牲になることをルークは望んでいない。それを知っているから、私は彼にきちんと伝えなくてはいけない。
「ねえ、ルーク。ルークの行動が、私の幸せを思ってのものであることはわかるよ」
私がそっと声を掛けると、鍵を持つルークの手がぴくりと震えた。
「でもさ、それって私が望んだことじゃないよ? 今私がルークから向けられている愛は、私が求めている愛の形とは別物なの。私は、ルークからこんな形で愛されることを望んでない」
突き放すような言い方に聞こえるかもしれない。でもここで、耳障りのいい言葉を並べて説得するのは違うと思った。
「私の煮え切らない態度がきっかけで、ルークをこんな行動に駆り立ててしまったのかもしれない。けれども、そう行動すると決めたのはルークでしょ? だからこれは、あなた自身の問題なの。その責任を、私が負うことはできない」
ルークは私が犠牲になることを良しとしていない。ルークがただひたすらに私の幸せを願っていることはわかっているし、私だってルークの幸せを願っている。
だからこそ、私が犠牲にならないこと、ここではっきりと拒絶することが、私から彼へ与えられる愛なのだ。
〝私が犠牲になって彼の愛を受け入れる〟ことを、そして〝私が彼の行動の責任を負う〟ことを拒絶するのが、『イセオト』のヒロインのようには振る舞えない私から、彼にしてあげられることなのだ。
「ここにいれば、外からの不快な声は聞こえませんよ? ここにいれば、レイ様を物のように軽く扱う奴等とは顔を合わせなくて済むんですよ?」
これほど強い言葉で拒絶されるとは思っていなかったのか、そう言うルークはひどく狼狽えている。
「ここにいれば、絶対に安全です! 他の何を犠牲にしても、僕はレイ様を守ります!」
「……私はもう自分を犠牲にするつもりはないけど、だからって自分のために他者を犠牲にしたくもないよ」
「僕は、絶対レイ様を幸せにしますよ! 僕の残りの人生を賭けても!」
「大丈夫、私はちゃんと自分で幸せになるから。何かを犠牲にしなくても、ルークの人生を犠牲にしてもらわなくても、ちゃんと自分で幸せになるから」
「でも、でも……」
「ねえ、ルーク。聞いて?」
冷え切ったルークの手を両手で包み込むように握ると、ルークは肩を大きく震わせた。至近距離で覗き込んだ彼の瞳は、何かに怯えるかのように揺れている。
「私はこんなこと望んでない。こんな形の愛情を、私は受け取れない」
私がきっぱりとそう告げると、ルークの瞳に薄く膜が張るのがわかった。その表情は不安げで、幼い子どものようだった。
「ねえ、帰ろう? ルークが連れて帰ってくれないと、私はここに住むしかなくなっちゃう」
ここがどこかもわからない、帰る手段もない状況で、私はルークから逃げ出すことはできない。ルークが私の言葉を聞き入れて、そして自らの過ちを認めて、自分の意思で戻ってくれないと、私は帰ることすらできない。
「まだ今なら間に合うよ。まだ今なら、〝気分転換のお出掛け〟にできるよ」
まだルークは、私に何もしていない。私はまだ、ルークが用意した檻に足を踏み入れていない。今この瞬間が、私とルークが日常に戻れる最後の地点だ。
……自分の愛を押し付けて私をここに閉じ込めるか、私の言葉を受け入れて王宮に戻るか。ここが、ルークにとっての分かれ道だと思った。
「ね、帰ろうよ」
もう一度そう言うと、ルークは顔をくしゃりと歪めた。瞬きとともにぼとぼとと流れ出す大粒の涙を目にして、「こんなふうに泣くルークは初めて見るな」と思った。
けれどもそれは〝私の知らないルーク〟ではない。私が兄のように慕っている、私のよく知るルークの、初めて見る表情だっただけ。
ルークはそのまま、しばらく音もなく涙を流し続けた。私はただ黙って、その姿を見つめていた。
「……帰りましょう」
やがてルークはぽつりとそう言うと、乱雑に自身の目元を拭い、そして恐々と私の方へと手を伸ばす。いつもより力を込めてその手を握り返すと、ルークはまた泣きそうな顔をした。
「怖がらせてしまって、すみませんでした」
掠れる声でそう謝罪したルークに、私は「うん」と返事をする。「平気だよ」「気にしないで」とは、言わないでおいた。
◇◇◇
帰り道、休憩のために立ち寄った湖で、ルークは何かを水の中に投げ入れた。
ぼちゃんという大きな音に振り返った私に、ルークは弱々しく微笑んだ。その微笑みを見て、なんとなく「もう大丈夫だな」と思わされた。
「ねえ、ルーク」
「……どうされましたか?」
「お出掛けのおかげで、気分転換ができたよ。『私のために、ありがとう』」
私の言葉を聞いて、ルークは息を呑んだ後、小さな声で「はい」と答えた。
その後王宮に戻るまで、ルークが言葉を発することはなかった。そして、私も何も喋らなかった。




