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33/40

33.その日は嘘のように晴れ渡っていた

「レイ様、気分転換に出掛けましょう!」

 ルークがやけに明るい口調でそんなことを言ってきたのは、リチャード殿下への返答期日まで残り一週間というその日だった。

 まだ早朝と呼んでも差し支えない時間帯、眠気が残る状態ではあったものの、窓の外に見える空は雲一つなく晴れ渡っていて、正直に言うと困惑以上に「楽しそうだな」という気持ちが優った。

 けれども、今の私は城内を歩くことすら制限されている身。

「出掛けて大丈夫? ヘンリーはなんて言ってたの?」

 私がそう問い掛けると、ルークは大型犬のような人懐っこい笑みを浮かべて「もちろんです!」と答えた。


「とはいえ、あまり人目につかない方がいいですからね。急いで出てしまいましょう!」

 そんな言葉に急かされて、私は身支度もそこそこに厩舎へと連れて行かれる。

「馬車を使うと目立つので、今回は馬を使いますね。風を感じられて気持ちがいいんですよ!」

 明るい性格のルークではあるものの、その彼がいつも以上に浮足立っているように感じられて、なんだかおかしくなってしまった。小さく声をあげて笑うと、ルークが「どうしましたかー?」と間の抜けた返事をする。

「ううん。なんだかルークが楽しそうにしてるから、私まで楽しくなってきちゃった」

 私がそう答えると、ルークはぱあっと顔を輝かせ「ですよね!」と言って、満足げに頷く。


「覚えていますか? レイ様と初めて城下に出掛けた日のこと」

「ええ、もちろん」

「手を繋ごうかって聞いた時、『どうして?』って言われたの、びっくりしたなあ」

「だって、まだあの時は仲良くなってなかったし」

 そんな会話をしながらルークがすっと私へと手を差し出す。

「お一人で馬に上がることはできないでしょう? 今はもう、触れてもいいくらいには仲良しだと自負してますよ!」

 ルークの言葉に「ありがとう」と返して手を取ると、手袋越しでもわかるくらいに彼の手はひんやりとしていた。


 跨る方が安定するとは言われたものの、そのようなことができるような服装でもなく、私は横向きに馬に乗る。

「少し危ないですけれど、僕は絶対にレイ様を支えきりますから。安心してくださいね!」

 ルークはそう言って、私を後ろから抱え込むような形で馬の手綱を握った。傍から見ると童話の挿絵にもなりそうな体勢なのだろうけれど、私は馬上から地面までの距離が想像以上に離れていることに圧倒され、それどころではない。

「この辺り、ちょうど花が見頃なんです。王宮内の庭園とはまた違った、自然の美しさを感じられるでしょう?」

「あ、あの鳥! 〝幸福を運ぶ鳥〟と呼ばれる珍しい鳥なんですよ! きっと、今日という日を祝福してくれているんですね!」

 ルークはひっきりなしにそんなふうに語り掛けてくれていたけれども、馬上の高さに気を取られていたその時の私は、曖昧に相槌を打つことしかできなかった。


 ◇◇◇


 時間の経過は、それほど気にならなかった。相当な距離を移動していたのだろうけれど、その間ルークはひたすら私に話題を提供し続けた。

 私達が出会ってからの思い出話から始まり、「実は僕も家族とは疎遠なんですよねー」という少し重たいルークの身の上話が挟まれたかと思ったら、最近手に入れた異国の茶葉の話に飛んだり。

「レイ様にお出しすることはできなかったんですけど、いつか飲んでいただきたいなあ」

 そんなふうに言われて、それほど希少な茶葉なのだろうかと思ったりした。


 そんな中、最初に「あれ?」と思ったのは、燦々と輝く太陽が私達の真上にあるのを目にした時だった。

 それほど速度が出ている訳ではないけれど、ほとんど休みなく進んでいることを考えると、おそらく王宮からかなり離れたところまで来てしまっているだろう。

「ねえ、こんなに遠くまで来て大丈夫なの?」

「大丈夫です。僕がついていますから」

「ヘンリーには言ってあるんだよね?」

「ですから、大丈夫ですよ。もしかして、疲れちゃいました? もうすぐ着きますから、あと少しだけ頑張ってください」

 なんとなく噛み合わない会話に気づいた途端、背中にぞわりとした感覚が走る。その時になってようやく、私は城を出てから誰ともすれ違っていないことに気がついた。


 これまで、近衛兵であるウィリアムの都合がつかない時は、ルークが代役を務めることもあった。王宮の外に出ることは極稀ではあったけれど、だから今回もルーク以外に護衛がいないこの状況を、それほど疑問には思わなかった。

 こちらの世界に来てから、時に引いてしまうくらいに私を大切にしてくれているルークを、私は心の底から信頼しているし、おそらく周りもルークが私に向ける愛情を疑ってはいないと思う。

 けれどもこのタイミングで、これほど軽装でこのような人目につかないところに二人きりで出掛けることを、果たして本当にヘンリーは許可したのだろうか。


「ねえ、ルーク、戻らない? さすがにみんな心配してると思うし、騒ぎになったら大変だよ?」

 私の声は、少し掠れてていた。

 おそらくルークもそのことに気がついたのだろう。斜め後ろを振り返ると、そこには笑みを浮かべるルークの顔があった。それは、仄暗くどろりとした笑みだった。

「レイ様が気にすることなんて、何もありませんよ。何があろうとも、僕だけはレイ様の味方ですから」

 そう言うルークの濁った瞳を目にして、私は「見たことがある目だな」と思った。……私を自宅に閉じ込めようとした〝三人目の彼氏〟と同じ目だなと、そう思った。


 身の危険を感じるものの、後ろから抱え込まれているせいで逃げ出すこともできない。たとえルークの腕の中から逃れることができたとしても、ここがどこかもわからない、周囲に人の気配を感じることもできない状況では、逃げ出す方が危険だろう。

 身体の震えを押さえ込もうと両手を強く握りしめると、私を回されたルークの腕に力がこもるのがわかった。


「……ヘンリー様にならレイ様を任せられると信じていたのに、がっかりですよ」

 ぼそりと呟かれたその言葉に、思わず「え?」と聞き返す。恐る恐るルークの表情を伺うと、彼は全てを包み込むような、〝慈愛に満ちた〟としか表現できないような笑顔を浮かべていた。けれども、その瞳はまるで闇を閉じ込めたかのような暗さを纏っている。

「レイ様、昔言ってましたよね? 『元いた世界に帰りを待つ人がいない』って。そんな世界に帰ったところで、レイ様が幸せになれるとは思いません。そんなの、レイ様を想っての提案じゃない」

 それなのにヘンリー様は、と続けるルークに、私はヘンリーの真意を伝えたくて口を挟む。彼はそんなつもりで「元いた世界に帰る方法を見つけた」と言ったのではない、と。


 けれどもその主張は、ルークの耳にはまるで届かない。

「恋人であるヘンリー様を庇いたい気持ちはわかりますよ」

 ルークはそう言って、悲しげな顔をした。私を気遣うような、そんな表情だった。

「ですがこのままでは、レイ様は『国のために』と言って自分を犠牲にしてしまうでしょう? そんなレイ様を守れるのは、僕だけなんですよ。僕は、国民全員が犠牲になったとしても、レイ様を助けます」

 自分の喉の奥で、ひゅっと音が鳴るのを感じる。だって、その言葉がルークの本心であろうことがわかってしまったから。

 なんの相談もなく聖女である私が姿を消すことで、城内が混乱する可能性も、それが原因で国政に乱れが生じる可能性も、彼は考えている。考えた上で、そちらを切り捨てたのだ。きっとルークは、私一人を守るために躊躇なく全国民を犠牲にするのだろう。


「ヘンリー様が裏切っても、僕だけはレイ様の帰る場所ですよ。……ほら、見えてきました」

 そう言ってルークは、森の中に突如現れた石造りの家を指差した。

 それほど大きくはないけれど、お洒落な雰囲気のその家は、一見するとよくある家だ。けれどもどこか違和感を覚えるのは、中の様子が外からではまるでわからないからだろう。

 高い位置に取り付けられた窓のおかげで、かろうじて外界との繋がりはあるものの、家への扉は見るからに分厚く頑丈で、まるで強固な檻のように感じられた。

「今日からここが僕達の、僕達()()の城ですよ」

 そう言って笑うルークからは、私への愛情が伝わってくる。けれども彼から向けられる感情が、今まで目にしたどんな悪意よりも恐ろしい。


 黙り込む私に、ルークは延々と話し続ける。

「見つかって罰せられるんじゃないかって思ってます? 僕がそんなへまをする訳ないじゃないですか」

「安心してください。レイ様が自分の意思で城を出たと思われるような細工もしてきましたから」

「レイ様は、僕が兄として責任を持って幸せにします」

 薄らと頬を染めながら私達の未来を語るルークの姿は、幸福に満ち溢れていて、そしてとても危ういもののように思われる。


 とにかく、落ち着かなければ。

 そう思って胸元に手を伸ばすけれど、そこには何もなかった。ありのままの私を認めて見守ってくれる()()が、今の私の手元にはなかった。

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