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30.それは行き過ぎた自己犠牲

 リチャード殿下から衝撃的な話を聞いた翌日から、私は城内を歩くことも制限されるようになった。

「城内が必ずしも安全だと言える状況ではありません。誰がどのような目的を持ってレイ様に近づいてくるかもわかりませんので」

 ヘンリーの言う通り、私が不用意に部屋から出なくなった結果、今まで話したことのないような相手からのお誘いが続々と届いているという。


「『我が国の置かれた状況について、ぜひとも聖女様のご意見をお聞かせ願いたい』だって。この官僚、口が上手いことで有名だから、レイ様を丸め込もうとしてるんでしょうね」

 私宛への手紙の内容を確認してくれているルークは、「破いちゃいますねー」と言って、私の返事も待たずにそれを細かく破り捨てた。ルークの手の中で紙片となったそれは、業務用シュレッダーも真っ青の細かさだった。


 そんな訳で、部屋から出ることも難しくなった私だけれど、しかしもっぱら暇を持て余しているという訳でもない。

 かの大国からの農作物の輸入量減少に備えて、何かしらの策を講じれないかと資料を読み込んだり、大国の王太子妃にもリチャード殿下の側妃にもならずに丸く収まる方法を考えたり、なんやかんやと忙しい。

 頭を使うとカロリーを消費するようで、運動量は格段に減ったにもかかわらず、少し体重が落ちてしまったくらいだ。


 今日も資料室から運んでもらった資料に目を通しながら、ああでもないこうでもないと考え込んでいる時だった。

 部屋に響くノックの音に「どうぞ」と返事をすると、困惑顔のルークが顔を覗かせた。

「あの、レイ様にお会いしたいという方がいらっしゃっているのですが……」

「ヘンリーはなんて?」

「『レイ様にお任せします』、と」

 各官僚の立ち位置や派閥の力関係については概ね把握しているヘンリーがそう言うのであれば、おそらく相手は害のない人間なのだろう。丁度気分転換に誰かと話したいと思っていたところだからありがたい。

 そう思って「じゃあお通しして?」と答えると、扉の向こうから姿を現したのは思いもよらない人物だった。


「ご無沙汰しております、聖女様。イザベラでございます」

 そう言って美しく腰を折るのは、この国の侯爵令嬢であるイザベラ様。彼女とは何度か言葉を交わしたことがあるけれども、現段階で積極的に会いたい相手でもない。

 なぜなら、彼女こそがリチャード殿下の婚約者だから。リチャード殿下の側妃にならないかという誘いを保留にしており、そしてイザベラ様もそのことを知っている状況で、彼女と何を話せというのだろうか。


 しかし今更「やっぱりなしで」と言うことなどできるはずもなく、私はなるべく平常心を装って彼女を部屋へと招き入れる。

「すぐにルークにお茶を用意してもらいますね」

 私の言葉を聞いて、イザベラ様は「お構いなく」と答えたけれど、勧めたソファーに腰掛ける彼女を見て、私に何か用があって来たのだなということが察せられた。


「まずは、この度の聖女様を巻き込んだ官僚間のいざこざに関して、私からも謝罪をさせていただきたく思います」

 テーブルに紅茶が置かれてすぐに、イザベラ様はそう謝罪した。ソファーに座ったままではあるものの、深く頭を下げる彼女を目の前にして、慌てた私の口からは「ひえっ」という情けない言葉が漏れる。

「そんな、イザベラ様に頭を下げていただくことではありません! どうか、頭をあげてください!」

 しかし私が必死にお願いしてもなお、イザベラ様はぴくりとも動こうとはしない。

「いいえ。この国に生きる私もまた、聖女様のご尽力のおかげで今までと変わらず暮らしていけるのです。その恩を忘れて聖女様をかの国の王太子に献上するだなんて」

 イザベラ様はそこで一度言葉を区切ると、「自分が無力であることを、これほど腹立たしく思ったことはありません」と続けた。その言葉は、表情が見えない状況であってすら、それが彼女の本音であろうことが伝わってくるくらいに重々しく響いた。


「そんな、本当に、イザベラ様がそこまで気に病まれるようなことではありません。だからどうか、頭を上げてください」

 私の言葉に、ようやくイザベラ様が頭を上げる。けれども、そのことにほっとしたのはほんの一瞬で、彼女が私を見つめる力強い眼差しに思わず身構える。それは、「きっとここからが彼女が本当に伝えたいことなのだ」と思わされるくらいに、決意に満ちた視線だった。


「……リチャード様から聖女様へ、ご提案があったかと思います。そのことについて、聖女様はどのようにお考えですか?」

 かなり遠回しな表現をされたけれども、つまりは「側妃になる気はあるのか?」と聞かれているのだろう。

 リチャード殿下とイザベラ様の婚約は、二人がまだ十歳にもならないうちに結ばれたのだという。政治的な力関係を考慮しての縁談だそうだが、少なくとも私の目には、二人の間には確かな絆があるように感じられる。それは〝恋〟ではないかもしれないけれど、〝愛〟と呼ぶのにふさわしいもののように思われる。

 私がリチャード殿下からなされた提案は、そんな愛し合う二人の間に亀裂を生む可能性があるもの。いくらイザベラ様が承諾したとはいえ、当然いい気はしないはずだ。


 私は、殿下からの提案を断りたいと思っている。けれども現状、良い代替案も浮かんでいない。そんな状態で「側妃になるつもりは毛頭ありません!」と言い切ってしまうのも、無責任極まりない。

 しかし、なんと返すべきだろうかと思い悩む私に対して、イザベラ様が発した言葉は予想外のものだった。

「ぜひとも、お受けなさるのが良いかと」

「えっ?」

 側妃になることを()()()()のではなく、()()()()()だなんて。思わず声を上げた私に、イザベラ様は美しい笑みを浮かべた。


「私は幼い頃から王太子の婚約者として、様々な教育を受けてまいりました。王太子の正妃として、問題なく振る舞える程度の知識と経験はあると、自負しております」

 淡々と告げる彼女の様子を見て、実際にそうなんだろうな、と思った。イザベラ様の予想外の行動に、先程から心を乱され続けている私とは大違い。

 けれども、だからこそ「あなたに王太子の配偶者は務まりませんよ?」と言われて然るべきだろうに。どうして彼女は私に、その真逆を勧めてくるのだろうか?


 おそらく、私がそんなふうに疑問に思っていることを、イザベラ様は気づいたのだろう。彼女はそのまま笑みを深めると、優しげな声色で告げた。

「王太子妃としての公務は、全て私が請け負います。ですから、リチャード様の側妃になられたからといって、聖女様にご負担をかけることはほとんどないかと思います」

 ……その発言は、彼女の責任感の強さの表れなのかもしれない。けれども私は、「あまりにも自分自身を軽んじた考えだな」と思った。「他者から軽んじられることを良しとする考えだな」と、そう思った。


「イザベラ様は、それで良いのですか?」

 自分の配偶者に、自分以外の妻が据えられること。そしてその相手が、与えられた役割を全うするだけの能力を有していないこと。その結果、自分がその者の分まで負担を負うこと。……それらは本来、拒否すべきことであるはず。立場的に拒否できないとしても、少なくとも腹を立ててもいいことだ。自分から進んで請け負うことではない。

 しかし彼女は、なんでもないことのように答えた。

「昔から、その可能性は頭の片隅にありました。特に聖女様がいらしてからは、どこかで覚悟をしていましたから」

「覚悟、ですか?」

「ええ。過去の文献によると、異世界から召喚された聖女の多くが、王族と婚姻を結んでいるそうです。それも、側妃としてではなく正妃として。リチャード様と聖女様の間に、今後愛が生まれることがあれば、私は身を引く覚悟もできていましてよ?」


 私は『イセオト』の王太子ルートにおける通常エンド、つまり王太子と恋人として結ばれるルートがどういう内容なのかを知らない。

 けれども、〝側妃として愛され続けました〟という結末ではないのだと思う。イザベラ様の言動を鑑みるに、きっとヒロインは正妃として王太子と結ばれることになるのだろう。……軽んじられることを当然のものとして受け入れている彼女を犠牲にして。


「……どうしてそんなことをおっしゃるのですか? お二人の間には、確かに愛があるように思われるのですが」

 私がそう問い掛けると、イザベラ様は困ったような顔をした。

「リチャード様を愛しているからこそですよ。愛するリチャード様が幸せに過ごされることが、私にとっての幸せなのです」

「殿下の隣にいるのが、他の女性であってもですか?」

「ええ。それが、私なりの愛なのです」

 そう言ってイザベラ様は、もう一度お手本のように美しく微笑んだ。そんな彼女を目の前にして、私は言いようのない不快感に襲われるのだった。

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