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26.私を想う彼の空気は時に仄暗く

「レイ様、このところご機嫌ですよね」

 ルークからそんなことを言われたのは、ヘンリーとの外出から数日後のことだった。

 確かに、機嫌は良かったことは自覚している。ヘンリーから貰ったヘンリーの瞳と同じ色の宝石が首元に存在するというだけで、自分が無敵な存在であるかのようにすら感じていた。

 けれども実際にルークに指摘されて、あまりの恥ずかしさに赤面してしまう。


「……浮かれすぎてて馬鹿みたい?」

 私が十代半ばであれば、付き合い始めたばかりの恋人からの贈り物に舞い上がって、それを周囲に気取られたとしても、「微笑ましい」と思ってもらえるのかもしれない。

 けれども、そんな年齢は遠に過ぎてしまっている。「見ていて痛々しい」と思われていたらどうしようと、私は内心で冷や汗をかく。


 しかしルークは私の言葉を聞いて、目を大きく見開いた。

「まさか。レイ様が嬉しそうで、僕まで幸せな気持ちになれます」

「……ルークは優しいね」

「別にそんなことはないと思いますよ? 兄が妹の幸せを喜ぶのは当然のことですからね」

 ルークはそう言って悪戯っぽく笑ったけれど、その言葉自体は彼の本心であろうことが伝わってきて、こそばゆい気持ちになる。


 思えば、この世界で最初に私を受け入れてくれたのはルークだった。二人で城下に出掛けた帰り道に、ルークに言われた「妹ができたみたいだ」という言葉が、どれだけ私にとってありがたかったか。ルークが恋愛対象者()()()()私に居場所を与えてくれたことで、どれだけ救われたか。

「ルークの妹にしてもらえて、私は幸せ者だなー」

 わざと茶化すような口調でそう言った私に、ルークは声を上げて笑った。


「レイ様の交際相手がヘンリー様で、とっても嬉しいんですよ。ヘンリー様がレイ様のことを大切にしていらっしゃるのは、傍から見ていてもよくわかりますから」

 血の繋がった妹を想う兄のような、穏やかな口調でそんな言葉を発したルークが、しかし突然険しい表情を浮かべる。

「それに比べて王宮兵団は……」

 そう言った時のルークは、私が今まで何度か見たことのある〝普段の印象からはかけ離れた冷たい印象のルーク〟で、そんな彼を目にして私は背筋がぞっとするのを感じる。


「……何かあったの?」

 恐る恐る尋ねると、ルークはすぐにいつのもルークらしさを取り戻し、不機嫌そうな様子を隠すこともなく口を開く。

「別に、何かがあった訳ではありません。けれど、最近の奴等はレイ様像に見向きもしません」

「奴等って……」

 人懐っこさはあるものの礼儀を欠くことのないルークが、王宮兵団の人々をそんなふうに言い表したことにぎょっとして、思わず言葉が漏れてしまった。

 けれどもルークは私の言葉など聞こえなかったかのように、「以前はあんなに崇拝していたのに」だとか、「レイ様の提案のおかげで家族が職を失わずにすんだ者もいるのに」だとか、そんなことを不満げに呟いている。


 まあ、ルークの言っていることに心当たりはある。あの像が設置されたばかりの頃は、訓練場の辺りに緊張感が漂っていた。しかし今ではその緊張感もなくなり、兵士達も像が設置される以前と同じように過ごしている。それこそ私が予想していた通り、聖女像は〝小学校における二宮尊徳像〟的な扱いを受けている。

 けれども私は、それでいいと思っている。聖女像に特別な意味を見出せなくなっているということは、彼らにとって〝国の危機〟が身近なものではなくなっているということなのだから。むしろ喜ぶべきことだろう。


 しかし私のその考えを伝えても、ルークは「レイ様がこの国にとって特別な存在であることに変わりはないのに」と納得がいっていなさそうで、私は思わず苦笑してしまう。

「仕方がないでしょ? 当然あるものに対して敬意を払い続けろっていうのも、難しいと思うし」

「なら、別のところに移動させたいです。ウィリアム様に頼まれたから、訓練場に設置することを決めたのに、あんな扱いをされるなら設置場所を変えたいですよ。僕が普段から目にするところだとか」

 顎の辺りに手を添えて考え込むルークは真剣そのものだった。制作費をルークが出したことを考えると、ルークの主張は当然と言えるだろう。


 けれどもそこで、以前ウィリアムが言っていた言葉を思い出した私は、ためらいがちにルークに声を掛ける。

「でも、有事の際の避難場所があそこなんでしょ? だったら、やっぱりあのままがいいんじゃないかな?」

 私の言葉を聞いて、ルークは目を瞬かせた後、「有事の際に、心の拠り所とするためですか?」と言って首を傾げた。

「え? 違うよ? 『いざという時には燃料として使う』ってウィリアムも言ってたし、だったらあまり遠い場所に置くのも得策じゃないんじゃない?」

「燃料!?」

 声を張り上げたルークは、溢れんばかりに目を見開いていた。

 

「え、ええ。木でできているみたいだから、万が一の場合はね」

「……レイ様は、それについてどう思われているんですか?」

「まあ、それで多くの国民が助かるならいいと思うよ」

 初めてウィリアムからその考えを聞かされた時、正直なところ複雑な気持ちにはなった。けれどもそれがその時最善だと判断されるのであれば、そしてそれによって多くが救われるのであれば、そうするべきなのだろうと今の私は考えている。


 しかし私の返事を聞いて、ルークがどことなく仄暗い雰囲気を漂わせる。

「僕は、嫌です」

 きっぱりと言い切ったルークは、今まで見たことがないくらいに鋭い視線をしていた。それはまるで、見えない敵を威嚇するかのような視線だった。

「それで国民全員が助かるとしても、レイ様を犠牲になんてさせません」

 ルークは忌々しげにそう吐き捨てる。それは思わず胸が高鳴るような発言ではあるものの、今はあくまでも聖女像についての話をしていることを忘れてはならない。


「ルークの気持ちは嬉しいけど、ただの像だよ?」

 私はそう言うけれども、ルークはゆるゆると首を横に振る。

「それでもです。もしもあのレイ様像を燃やすなんて話が出ようものなら、僕は誰を敵に回そうとも反対します」

 その時がきたら、ルークは本当にそうするつもりなんだろうな。そう思わせるくらいに、彼の言葉は真っ直ぐだった。

「……私は本当に気にしないよ?」

「だから余計にです。レイ様が抵抗しないなら、僕が阻止するしかないでしょう」

 ルークはそう言うと、何かを思案するように眉間に皺を寄せて難しい顔をするのだった。


 ◇◇◇


 それからしばらくして、王宮兵団の訓練場に併設されている災害用備蓄庫にルークが薪を寄付したという話を、ウィリアムから聞かされた。

「なんだか怒ってらっしゃるようでしたが、何かあったんですか?」

 ウィリアムからそう尋ねられた私は、「ちょっとね」と言葉を濁すことしかできなかった。

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