16.おもしれー女も行き過ぎると困ったもので
「……念のために聞きます。これは息抜きではないのですよね?」
訝しげな表情を浮かべながらそう尋ねるウィリアムに、私は「もちろん」と返事をする。
しかし、声を張り上げたにもかかわらず、私の言葉は「どうぞ見て行ってくださーい!」という客引きの声に掻き消される。
大小様々な屋台が立ち並ぶ広場の真ん中で、私がもう一度「もちろん!」と叫ぶと、ようやく声が届いたのであろうウィリアムが、眉をひそめながらも頷いた。
「この国の娯楽について知りたい」と言った私に、この場を提案してくれたのは、ルークだった。
なんでも、ここは定期的に国内外の団体が訪れて、歌劇やサーカスを披露している場所らしい。
「今なら近隣国からサーカスが来ていると思います」
そうルークが言っていた通り、広場の奥には赤と白の縞模様が描かれた大きな移動式テントが張られている。
馬車に乗ってこの場所に向かう途中、遠目からその特徴的な円錐形の屋根を目にした際、気分は高揚したものの期待はしていなかった。ルークと共に初めて城下を訪れた時のことを思い出しながら、「それほど賑わっている訳ではないんだろうな」と思っていた。
しかしそれは大きな間違いで、広場に到着した私は、予想外の活気と人出に驚かされることとなった。
「こんなに賑わってると思ってなかった……」
私の呟きを聞いて、ウィリアムは「聖女様が提案してくださった先の政策のおかげですね」と言った。
ウィリアムが言う〝先の政策〟の成功に、私がどれだけ関われているかはわからない。けれども、こちらに来たばかりの時に目にした閑散とした城下の様子を思い出し、「少しは役に立てたんじゃないかな」と、少しだけ誇らしく感じた。
私が提案できそうな政策も残り一つになった訳だけれど、この感じだと、おそらくその案も実現することができるだろう。……もちろん、ヘンリーの力が必要不可欠ではあるが。
そんなことを考えて、にんまりとした表情で広場を見回している時だった。私が「あれ?」と思ったのとほぼ同時に、ウィリアムが嫌そうな声で「うわ」と呟いた。
「……あれ、ノア様よね?」
私がそう尋ねると、ウィリアムからは肯定の言葉が返ってきた。苦々しげな表情を隠そうともしない彼を見て、そして軽薄な雰囲気を醸し出すノアを見て、「確かに相性が良くなさそうな二人だな」と心の中で納得する。
そうこうしている間にノアも私達に気がついたようで、彼は「よお!」と片手を上げながらこちらに近づいてきた。両端に、それぞれタイプの違う美しい女性を侍らせながら。
「二人で何してるんだ? デートか?」
ノアがそんなことを言っている間中、彼の右側にいる女性が私の爪先から頭のてっぺんまでを品定めするように見るものだから、なんだか居た堪れない気持ちになる。
そんな女性に対してノアは「あまりじろじろ見てはいけない」と優しい声色で言い、女性は「はあい」と間の抜けた返事をした。一体、何を見せられているんだか。
おそらくウィリアムも、同じように思ったのだろう。
「いえ、視察です」
彼は必要最低限の返事をして、その場を去るよう私を促した。
しかしノアはそんなウィリアムを一瞥すると、私に向かって「そんな仏頂面の近衛兵とじゃ、楽しめないだろう? 俺がエスコートしようか?」と言ってきた。
その表情が、言い方が、私がかつてお付き合いをしていた〝二人目の彼氏〟に重なって見えて、気持ちがすーんとするのを感じる。
別に、ノアから直接何かをされて訳ではない。
初日にヘンリーから紹介を受けて以来、彼とは週に数回王宮内で顔を合わせるくらいで、その時だって会釈を交わし合うくらいの関係性だ。
〝相談役〟だという彼が、普段何をしているのかすらわかっていないくらいに、私達の間には距離がある。それは、嫌いになる理由がないくらいに遠く離れた距離だ。
だから、その時私が彼にとった態度は適切ではなかった。
「結構です」
私からノアへの返事は、隣にいるウィリアムすら息を呑むほどに冷たく響いた。
そのまま踵を返した私は、ノアが零した「へえ……」という意味深な言葉に、気がつくことができなかった。
◇◇◇
「よお、聖女様! こないだぶりだな」
視察から数日後。王宮内の廊下を歩く私の後ろから、そんな声が掛けられた。
許されることなら振り向きたくない。だって私達、今まで会釈を交わす程度の仲でしかなかったじゃない。
そんなふうに思うものの、名指しで呼ばれているのだから無視する訳にもいかない。
漏れ出そうになる溜め息を堪えつつ後ろを振り向くと、すぐ側に薄ら笑いを浮かべたノアが立っていた。
「何か用ですか?」
「いや、別に。でも、今までほとんど喋ったこともないし、仲良くしたいと思ってな」
そう言いながらじりじりとにじり寄ってくるノアとの距離を詰めまいと、私もじりじりと後ろに下がる。しかし、いくら王宮の廊下が広いといえども当然ながら限りはあって、気がついた時にはすでに背中が壁についてしまっていた。
壁際に追い詰められた私を見てもなお、ノアがこちらへと迫ってくるものだから、側から見ると私は〝壁ドン〟をされているような状態になっているのだろう。
本来なら、ときめく場面なのかもしれない。ときめかなくても、少しくらい動揺すべき場面なんだとは思う。
けれども私は、日常生活ではまず遭遇しないであろうシチュエーションに、逆に冷静になってしまった。
怯むことなく正面からじっと見つめられて、おそらくノアの方が調子が狂ったのだろう。
「……なんか反応しろよ」
そう言った彼は、自分から仕掛けてきたにもかかわらず、今の状況を随分と気まずく思っているようだった。
でもまあ確かに、これほど色気を含んだ美青年に壁ドンをされて、無反応というのも失礼なのかもしれない。
「ならば、せめて話くらいしよう」と思って口を開いた私が発したのは、「自販機が倒れてきたらこんな感じなのかな」という言葉だった。
「……は?」
「自販機です。さすがに横はもっとあるでしょうけど、縦は百八十三センチとかって聞くし……。やっぱり、こんなもんなんだろうな……」
「じはん……? 何言ってんだ、おまえ」
私達はそんなふうに、色っぽさとはまるで無縁の会話をしていた訳だけれど、なんせ体勢が悪かった。
その直後に廊下を通り掛かったルークが私達を見て、声にならない悲鳴を上げたのは、仕方がないことだったと言えよう。
引き摺られるようにして自室に連行された私は、「元凶はノア様ですし、ノア様が百パーセント悪いんですけどね! でも、せめて声を上げるくらいはしてくださいよ! なんであんなに呑気な顔して喋ってるんですか!」などと、ルークにこんこんと叱られた。
ゲームの中で〝友情ルート〟を辿ってしまったノアが、私に対して異性として興味を持つことはないだろうとは思うものの、私は素直に「ごめんなさい」と頭を下げるのだった。




