14.近衛兵はこの世界を生きる
〝教会建立の奨励策〟が開始され、早くも三ヵ月が経過した。
庶民向けの服飾店に対する支援に続き、教会建立の奨励に関しても期待していたような成果が上がっていると、ヘンリーからは報告を受けている。
もちろんこれも、私のアイディアではなくヘンリーのプランニング力による成功であることは明白なのだけれど、急務だと考えていた〝失業者に向けた働き口の確保〟に関して、ほんの僅かにでも貢献できたことは素直に嬉しい。……罪悪感を拭うことはできないが。
〝国の危機〟とされていた異常気象に伴う国民の困窮について、生活困窮者に対する金銭的な支援はすでに国が行っているとのことなので、私がどうこうする必要はないだろう。ならば次は、あれを試してみるのはどうだろうか……?
そんなことを考えていると、朝食が終わった直後にルークから声を掛けられた。
「見せたいものがあります! ついてきていただけますか?」
どうやら、王宮兵団の訓練場に用があるという。
この国の王宮は、高い壁に囲まれた広大な敷地の中にある。
聖女である私は、安全上の理由から護衛なしで壁の外を自由に出歩くことが許されておらず、それゆえに私は壁内をひたすらに歩き回っている。
訓練場はその敷地内に、それも王宮に隣接してあり、私のお気に入りお散歩スポットの一つになっているので、馴染み深い場所だと言っても過言ではないのだが、ルークに連れられて辿り着いたその場所が、いつもの見慣れた光景とは何か違うことに気がついた。
……いや、何が違うかはわかっている。脳が認めるのを拒んでいるだけで。
しかしいくら現実逃避しようとも、目の前にあるそれが消えてなくなる訳もない。歴史を感じさせる訓練場の中で、それだけが新品らしい収まりの悪さを遺憾無く発揮しているのだから、いよいよ無視することなどできない。
「……一応聞くね。これは?」
答えなんて明白だけど、聞くしかない。
そう覚悟を決めて尋ねると、ルークは満足そうな表情でこちらを見た。
「ご覧の通り、レイ様像です!」
「……せめて〝聖女像〟って言ってほしいな」
「いえ、これは〝レイ様像〟です!」
まあ、確かにこれは、どこからどう見ても私だ。よくできている。おそらく木製であろうそれを指して、「聖女様が木に変えられてしまった!」と騒げば、子どもであれば騙せるかもしれないと思うくらいには、精巧な像だ。
「聖女様がレイ様でなければ、この像は作らせていません。なのでこれは、誰がなんと言おうと〝レイ様像〟なのです!」
説得力があるのかないのかわからない説明ではあったものの、ルークが瞳を輝かせながらそう言うものだから、私は思わず「ありがとう……?」と返してしまったのだった。
◇◇◇
「訓練場の聖女像、どうしてあそこに置くことにしたの?」
任務の打ち合わせのために私の部屋に訪れていたウィリアムに、私はそう投げ掛ける。
あの後、訓練場に置かれた聖女像についてヘンリーに説明を求めに行ったところ、彼は「像を作るよう指示したのはルークですが、訓練場に置くことを強く推したのはウィリアム様です」と言った。
ちなみに、あの像の制作費はルークのポケットマネーによって賄われたという。ルークからの愛が重い。
ルークの奇行については一旦置いておくとして、私にとってはウィリアムの行動も十分に意味のわからないものだった。
ほんの数ヶ月前まで、本題が終われば颯爽と私の前から姿を消していたウィリアムが、今では雑談を交わせる距離にいることからも、私達の関係が改善していることは明らかだけど、だからと言って見るからに私であるあの像を、訓練場に置かせた彼の意図がわからない。
そう思って尋ねたところ、「聖女様に見られていると思うと、兵士達の気持ちもより一層引き締まるでしょうから」という答えが帰ってきた。
「そういうもの? 場所をとるだけじゃない?」
そう言いながら、通っていた小学校に設置されていた二宮尊徳像を思い出す。彼が勤勉の手本としてその名を轟かしていることはもちろん知っているが、だからと言ってその像を見て「二宮尊徳のように私も頑張ろう!」と思ったことは一度もない。「ああ、あるなー」くらいの認識だった。はっきりと聞いたことはないけれど、周囲の人間も多分そうだったと思う。
だから、私の像が訓練場にあるからといって、彼の期待するような効果があらわれるとは限らないのではないか。ただ、「ああ、あるなー」と思われ、年月の経過とともに「昔からあるみたいだけどこれって誰?」と言われるようになるのではないだろうか。
しかしウィリアムは、私の言葉を聞いて眉間に皺を寄せた。
「……あなたは、もう少し自身の影響力を自覚してください。あなたが訓練場の前を通るたび、兵士達がどれほど浮き足立つと思っているんですか」
「そうなの?」
思いもよらないウィリアムからの言葉に、間抜けな言葉が漏れ出てしまった。しかし彼はそんな私の言葉に返事をすることなく、大きく息を吐くだけだった。
「それに、大規模な災害が発生した場合には、訓練場は国民の避難場所として開放されます。そういった際、いざという時には燃料として使うこともできますから」
「燃料……」
「はい」
「聖女像を……?」
「はい」
つい先程まで聖女像を〝聖女の分身〟的なものと見なしていた彼が、いきなりそれを〝木材〟として語り出すのだから、少しぎょっとしてしまう。
そして同時に、私の脳内では聖女像が炎に包まれている映像が流れる。ウィリアムが言う通り、木製のそれはおそらくよく燃えることだろう。
しかし、それが非常時であったとしても、そしてそれによって多くの国民が救われるのだとしても、私そっくりの像が燃やされている場面は、想像の中の出来事であってすらやりきれない気持ちになるものだ。
「なんかちょっとこう……心が痛んだりはしない?」
僅かに期待を込めて尋ねるが、ウィリアムは即座に口を開いた。
「有事の際、そこに木製の聖女様像があるということもまた、神のお導きかと」
そう答えるウィリアムからは、一切の迷いも一欠片の悪気も、感じられなかった。そんなウィリアムを前にして、私は「なるほど」と納得するほかなかった。
「……ちなみに、聖女像の設置に関して、あなた以外の人からもちゃんと合意は取れているのよね?」
これは、ルークから聖女像を見せられた時から、気になっていることだった。
もしもウィリアムが独断で聖女像の設置場所を決定したのなら、彼に反感を持つ者にとっては面白くないだろう。
私の提案が回り回ってウィリアムへの反感を強める原因になってしまってはいないだろうかと、びくびくとした気持ちで尋ねると、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「ええ。先程と同じ話をしたところ、始めは戸惑う者もおりましたが、最終的には理解を得られました。ヘンリー様の口添えのおかげかもしれませんが」
その言葉に、私は思わず目を見開く。
「……理解が得られるまで、話をしたの?」
「ええ。『言わないと伝わらない、聞かないとわからない』と教えていただきましたから」
彼はそう言って少し恥ずかしそうに笑った。その表情は、彼が『イセオト』の攻略対象者のウィリアムとは違う、この世界を生きるウィリアムなのだということを強く感じさせた。
私は、『イセオト』のウィリアムをはっきりとは覚えていない。しかし今までの彼の言動を鑑みるに、ゲーム内での彼は一匹狼的立ち位置だったような気がする。周囲からの批判を実力で黙らせるような、そんな人間だったように思う。
けれども今の彼は、そうではない。すぐには難しくても、彼なら王宮兵団の中で孤立することなく、周囲の人間とより良い関係を築いていけるだろう。もちろん、真面目で実直な彼だから、兵士としての能力はそのままに。
聖女として召喚された恋愛音痴の私が、彼と恋愛関係になれない私が、ほんの僅かにでも彼に良い影響を与えることができたのではないか。彼の表情を見て、そんなふうに思った。
「……今更ですが、あの日は突然退出してすみませんでした」
「本当に今更ね。でも、大丈夫よ。気にしてないから」
「聖女様のおかげで、私の人生は大きく変わりそうです。もちろん、良い方向に」
姿勢を正して真っ直ぐな視線を私に向けるウィリアムは、本心からそう言っているらしかったが、「人生が大きく変わる」は大袈裟ではなかろうか。
「それはさすがに言い過ぎでしょ」
私がそう言って笑うと、彼は一瞬何かを考えるようなしぐさをした後で、「失礼します」と断って自身の服の首元を緩めた。私が一体何事かと戸惑っていると、彼は首元から銀色のチェーンを引き出した。そこには、シルバーの指輪が一つ通されている。
その指輪を目にして、『イセオト』を勧めてくれた友人が言っていたことを思い出す。
『任務中に指輪がつけられないウィリアムは、ヒロインとお揃いの指輪をネックレスにするんだよ。恋愛に興味がなさそうな彼が、片時も離さず身につけていられるようにって考えたんだと思うと、顔が緩んじゃうよねえ』
それは話の筋に関わるような重要なものではなく、ただただ友人が〝ウィリアムルートにおけるグッとくるポイント〟について述べたものだった。
しかし、話の本筋には関わらないとはいえ、彼のルートにおいてキーアイテムとなるらしいそのネックレスは、公式からもグッズ販売されていたし、友人から見せられたグッズ販売のホームページ上には、今彼の首元にあるのと似たようなネックレスの写真が掲載されていた。
……ゲーム内ではヒロインである聖女とお揃いだというその指輪が、どうして彼の首にかかっているのだろうか?
頭の中が疑問符で埋め尽くされ、私はその場に立ち尽くす。しかしそんな私を気にとめることもなく、ウィリアムは目元を和らげて言葉を続ける。
「……聖女様のお言葉のおかげで、長年疎遠になっていた幼馴染と向かい合うことができました。その幼馴染との結婚が、先日決まりました」
そう言って大切そうに指輪を撫でる彼は、おそらく指輪の向こうにその幼馴染を思い出しているのだろう。後から思うと、それはゲームのスチルにもなりそうな素敵な笑顔だったのだけれど、その時の私はそれどころではなかった。
「私事ではありますが、聖女様にはきちんと伝えておきたくて」などと言葉は続いていたが、その後ウィリアムが何を話したのかは覚えていない。
「嘘でしょ!?!?」
彼の話を遮るように叫んでしまった私に、ウィリアムは淡々と「本当です」と告げたのだった。




