第二章[裏]昼下がり掃討戦④
「ごじゅうさーーーん!!」
数字を叫びながら転がり込んできた人影。一真は素早く駆け寄る。
「行ってらっ!!」その返事は彼女の手を叩いた子気味良い音で。一真は森の中へと飛び出していく。
迎えが光の雨なら、見送りも光の雨。祝福は快く避けて流して、木々の合間を縫うように跳躍した。
『五〇〇秒カウント開始。まず正面。ーー剣は前で』
「ーー影は後ろ!!!」
第六班の合い言葉。飛んできた間抜けな狼を首を突いて落とし、八分弱、何度目かの狩猟無双は幕を開けた。
見えている分の敵影へと、乱立する木々の柱を躱しながら、利用しながら素早く駆ける。
左右の手首から鎖を展開し、通りすがりに首を落とす。
拘束して投げ飛ばす。
振り回して潰す。
両手両足ときには地形。あらゆるものを利用し、可能な限り少ない手でその仮初の命を奪う。
砕いて。
砕いて。
振り回して。
貫いて。
砕いて。
潰して。
砕いた。
『安定してきたわね。良いバランスよ』
「もう少しこちらに引き付けましょう。まだまだいけます」
『許可できないわ。余裕は持続させてこそ。……甘やかしすぎよ』
足は止めずに了解の意を返した。
安全地帯に残した二人は囮だ。
そして森を駆ける一人も、また囮である。
知能の低い魔獣との戦いで有効なのは、結局のところ子供騙しだ。まともに取り合ってやる必要は無く、それはどれだけ頭数が集まろうと変わらない。
相手はただ獲物を追い、食らいつき、殺す。
ならばその対象を限定させなければ良い。
森には、四番の記録蒼晶で取り寄せた大量の魔晶石をバラまいてある。魔獣たちは魔晶石の魔力に惹き付けられる。つまりは撒き餌だ。わずかに注意を逸らすのみで、気休み程度の効果にしかならないが、構わない。充分である。
残した二人はただ向かってくる魔獣たちをひたすら撃ち落としていれば良い。むしろ当てずとも弾を撒ければ良い。敵に位置を知らせろ。それだけで芋づる式に釣れる。
無尽蔵に撒き散らしている弾丸はそれなり以上の出費だが、それを手痛いとか勿体ないとか言っている場面ではない。自分たちが立っているのはそれぐらいしてなんぼの無理難題だ。当然、承知してもらう。
まあ当たり前の話ではあるのだが、さすがにこれだけの小手先で魔獣たちの動きを掌握できる訳では無い。しょせんは気休め。
だが、例えその程度の効果でも、動きにムラが生まれれば、それはそのまま隙となる。
ならば神速で迫る死神に気づくのは今際だ。一瞬の隙を致命の一手とするのが戦いであり、備えのない獲物は、静止する的同然に容易く狩れる。
そうして、集まってくる魔獣たちをお互いが引き付け合い、バランスを取って分散させ、残った一人がこれを円滑に切り落とす。
途方もない数の暴力も、間に一枚噛ませてやればただの木偶の坊の集まりだ。そのかさから確実に削ぎ落としていく。
死角の多いこのような地形では、情報と戦法と経験。それらを握っているこちら側が、不利をひっくり返すてこを持ちうるはずだ。
「六十五!」
律儀に討伐数をカウントしながら、凍結を纏った蹴りで頭蓋をかちわる。正面二体。炎が揺らめく牙は無視。鎖を弾いて首の赤水晶を貫いた。
さらさらと砂のように崩れる骸。魔力の反応は近くになく、これで数秒の一段落ーー
「ーーとは思わない」
左右の木の影から飛び込んできた白い獣を、一瞥もくれずに叩き落とした。
『流石にもう無様は晒さないのね』
「……あんなのは初手で不意打ち限定です。ただバラバラで来るだけなら、俺たちには大した負担じゃない」
たった一群で戦線が虫食いになると言われる白影狼。
だが、例外というのは万物あらゆるものに存在する。
特に一真や千鈴のように、魔力感知以外の察知方法を扱える者は致命的だろう。
『そう思えば、第六班が受け持てたのは幸運かしらね』
「ええ。狼どもには運がなかったんです。きっとお布施をケチったんでしょう」
この前洋画でやっていた言い回しを使ってみつつ、鎖を軽く払って積み上がった灰の山を崩して潰した。
あと一体で七十の大台。このペースで行けば三桁も視野にーー
「…………?」
違和感。気配が少ない。いや迫ってこない。
鎖が袖の中に消えるように吸い込まれ、地面の感触をしっかり確かめてから周囲を睨めつける。
先ほどまでは狼たちを狩り続けている間にも、どんどん周囲から追加が集まって来ていたのだが。
一真は首を傾げようとしてーー
気づいた。
『一真君。正面三十メートル。恐らくアレが来るわよ』
「本命様のご登場、か……!」
重心を僅かに落とし、臨戦態勢をとる。前方、見えてきた。
それは『黒』
その全容を影色のモヤで覆い隠し、中心が怪しげに瞬いて存在を知らしめる。
今日は滅多に見れないモノに多く出会う。
端的に言えば厄日か、それともーー。『幸運や不運ってのは、得てして一括払いの太っ腹なんだぜ』とは、さすが英雄様の言葉といったところだろうか。ーー集中しよう。
単純に接近して身体を貫けばお終いだが、今は先に貯蓄を確認しなければーー
モヤが揺らめいて、一瞬、石を落とした水面のようにぐにゃりと揺らめいて、その中からナニカが射出された。
ーー鳥型。矢燕……
一真は前方を素早く右手で薙ぎ、ワンステップで後退する。
高速で射出された鳥弾丸は三発。脅威度E。
ヤツらはその一見以上に風穴を空けるのがお得意な、文字通りの鉄砲玉だ。
直進する矢燕。後退するニンゲン。
そこに逃げ場はどこにもない。
ーーはずだった。
一瞬前に右手で薙いだ空間に、風切りのダンガンが到達した。
その瞬間、速度は急激に削がれ失われ、ついには絡め取られて宙で止まる。そこに見えない網でと存在しているかのようだ。
まるで蜘蛛の巣に羽根を奪われた為す術のない虫。彼らは精巧な氷細工と化して活動を停止した。薄氷を踏み砕くような音と共に砕け散り、キラキラと宙を彩る。
黒霧のケモノはそれを見届けない。
後方へと下がった一真を追いかけるように、影が伸びた。
瞬きの間に一真の足元まで到達した影は、平面であった前提を覆して波のように揺らめく。
それは脈動。
水面が弾ける。
刃が三つ。殺傷の刺突。
一歩の後退だけで適正の距離を取った一真は鎖を刃に向けて放ったーーというよりは目の前を泳がせた。影より飛び出した三本の刃はそのまま鎖を捉える。
いや、捕らえたのは鎖の方だ。
鎖ごと一真を貫かんとした刺突は、素人の手首を合気道で捻りあげるかのように方向を明後日に転換。ケモノの殺意は届かない。
そのコンマ数秒の停滞を縫うように鎖は刀身を駆け上がり、刃全体、及びその本体までも絡みとってみせる。圧倒的な『柔』。
「ーーっ」
声にもならない息遣いが鎖を引っ張り上げる。
それはヒトならざるヒトであった。
全身をぬめりけのある鱗に覆われ、頭は前後に長い。剣を握る手には指の数も足りず、異様に爪が鋭く、長い。全身に爬虫類の面影を色濃く貼り付けている、ヒトモドキ。
蜥蜴人。脅威度D。
抜群の身体能力と生命力により白兵戦では脅威となりうる。人の形を取ってはいるが知能はそこまで高くなく、理性的な行動や平和的解決は望むべくもない。握る粗悪な剣を切るために振るうことだって出来ないだろう。
それでもだ。例えばの意味の無い仮定として、彼らに脳ミソがあるなら考えるだろう「剣は防がれたが構わない。今すぐ三人で囲んで潰せばオワリだ」と。まあ本当に全く無意味な仮定なのだが。
三体分の上半身は砕け散りながら宙を舞い、近場の木に激突して氷の飛沫となって消えた。それを文字通りに一蹴してみせたニンゲンの脚には血の一滴もない。
『黒』はそれすらも意に返さないように、今度は影を横に幅を取って広げてみせた。
雨あられと放たれたのはダンガン。鋭い『線』ではなく、隙間のない『面』。
その発生源は影から微かに顔を覗かせる銃口であり、無数の植物。七つの蕾が回転式拳銃のシリンダーのように詰め込まれ、整列している。
絨毯弾草。脅威度D+。
数えるのが馬鹿らしくなるくらいのダンガンを全身で浴びる一真は、眉根をわずかに潜めた。
防御行動も腕で正面を庇うのみだ。この威力の攻撃を百万と放ったところで、一真にはアザとかすり傷以上のダメージは期待出来ない。
『黒』はそれを見越していたのか、うごめく影は枝分かれし、細く伸びて一真の背後まで。視覚的な死角。沈み込むようにした影は弾け、立体の錐となって一真に襲いかかった。
ーー鬼が出るか蛇が出るか……!
一真の対処は迅速だ。
軽く息を喉にとどめ、まず足払いで大地を氷で呑み込んで植物たちを粉砕、背後から飛来する黒槍を上体を右に回転して避ける。余裕ありきの紙一重。
その反応に苛立ったか、それとも勝機と捉えたか。影の槍は次々と一真を穿たんと迫る。
当たらない。
そのほとんどが彼の数寸先で空を切る。
残った少しは遊びみたいに手のひらで叩かれる。
これならどうだと、一際巨大で速い槍。致命的だった。
一真はそれも簡単に、少し余裕を多めに含んで体をひねってかわし、その回転を利用して再度バックステップ。ーーと同時に左腕を振るう。
放たれた無数の鎖が、一直線にその影へ。とぷん、と中へと飲み込まれていく。
それを不快に感じたのか、影はさらに広がり、一真を飲み込もうと迫る。だが遅い。針はかかった……!
「ーーぉんどりゃぁぁ!!!」
少々間抜けな声で思い切り鎖を引き上げた。重たい感覚は一瞬で、すぐに浮遊感で腕は後方へと運動する。
釣り上げられたのは無数の狼たち、その数九体。大漁だ。
鎖の先端が凍りつきながら魔獣たちの身体に巻き付き、そこを起点に凍結は身体全体へと侵食。身動きを取ろうともがくのは肉体の崩壊と同義だ。
一真はその勢いと遠心力のままに鎖を振り回した。
豪快に宙を舞った魔獣たち。
しかしそれは長くどころか、数秒も続かない。ここは森だ。
何の抵抗もできずに、木に激突して盛大に砕け散った。
そして、それで終わりではない。
霧の向こう、漆黒が流れる毛皮の狼は、興奮するように、痙攣するように、苦しげに吠える。
影は沸騰するように激しく脈動。アメーバのように不格好に拡がり、低く噴火するように飛び散った。
影から吐き出されたのは無数の魔獣たち。狼型を中心に、鳥型。猪型。猫型……。
多種多様な獣たちが、ボトボトと重なりながら地面に転がる。
対処は上々。意識はあるがすぐには動けまい。ざっと見た総数はーー
「報告。現在接敵中の黒影狼。総貯蓄数は三十前後で、狼型以外にもいくらか混じっています」
『了解。こちらでも確認。付近で観測される同系統の反応を黒影狼と推定。
ーーやはり魔力量のバラつきは白影狼の影響のようね』
黒影狼。脅威度B++白影狼の相棒枠にして、これまた厄介な代物だ。
”黒影狼は影に軍を飼っている”
かつて白影狼と共に産み落とされた際、その生誕を拳と剣で祝った当時の隊員がこぼしたとされる言葉だ。
黒影狼は影に見立てた特殊な空間に魔獣たちを収納することができ、その数は数十体にまで及ぶ。本体の戦闘能力も耐久能力も低いとかそんなこと、タンスの裏の消しゴムのカスぐらい瑣末極まりない事柄だ。
なにせ単純に手数も戦力も数十倍なのだから。
さらに、その影の巣に白影狼が交じることで、観測された魔力量での頭数の推測もままならない。タチが悪いにも程がある。嫌がらせだ。
脳裏に声が響く
『平常通り同種個体の貯蓄数はほぼ変わらないでしょうけれど。何体かサンプルは見ておきましょう』
視線をいくらか左右に振り、残りの大物の場所を確認する。全体的にまだ少し遠そうだ。
「その余裕があれば、の話ですけど。では、そろそろーー」
よそ見をするなと誰かが言った。
地に折り重なって倒れていた魔獣たち。その最奥から、刹那の加速で発射された一筋の砲弾。黒影狼だ。
その凄まじい運動エネルギーに触発されたのか、まるで充分に炒られたトウモロコシのように、山がまるごと解き放たれた。百鬼夜行と言うには些か活力に溢れすぎた進撃。
先頭の黒弾は、横目すら向けない愚鈍なエモノの喉元へ。その牙を突き立てて食い破らんと、声なき咆哮で大口を開きーー
ーー跡形もなく、ダイヤモンドダストに溶けて消えた。
黒影狼。脅威度B++。白影狼の相棒枠にして、これまた厄介な代物だ。
だがやはり運が無い。
一真はザクザクと氷を踏み鳴らしながら歩き、並び立つ氷像の一つに手を置いた。
「『目は上下にだって付けるべき』なんだと。すまんな先生の口癖なんだ。……来世は徳でも積んでおけ」
夏を予感させる、高くて耳馴染んだ音が鼓膜を、氷で満ちた世界へと通り抜ける。
一真はその結果を大して心に留めずに、再度駆け出した。
ーー九十体ほど稼げたか。だが敵の総数はまだ半分はいるだろう。まったく、復帰したてでこれじゃあブラックにも程があるが、なんとか切り抜けられそうだ。これが日頃の行いってやつか……
交代まで一分弱。後続の負担を減らすべく、できるだけ点をかさ増しするとしよう。
……それにしてもーー
「……どこぞのお祭りみたいだったな」
『例えば?』
「長崎ランタンフェスティバル」
呟いた声は、さざめく森の葉に消えて。
少年は牙を割り砕いて進む。




