第二章[裏]昼下がり掃討戦②
少年は森を三次元的に疾走する。
奔る乾きを満たさんと牙を濡らす無数の狼たち。飛びかかってくるそれらを、入り組んだ足場と木々を滑るように、止まることなく叩き落としていく。
正面から木の枝の間を縫って飛び込んでくる三体の狼。通りすがりに首を粉砕する。
それを囮としたように足元へと食らいつこうとする牙は、届くことなく氷像と化し、足を振り下ろして粉砕。
そうして地面へ接地した足を、さらにもう一段踏みこむように力を込めた。
氷が這う。
それはまるで木の根が蜘蛛の巣を模して広がるかのように一面に拡散し、先々で四体の狼を絡めとった。
芯まで凍りついて大気中に溶けて消えるのを手応えで感じ取ると、再度走り出す。
そのまま灰と溶けていく獣の残骸を積み重ねていく。
そして、近い範囲を一掃してようやくその足を止めた。上気することもない息を吐き、文字通り一息ついた。
「おいクドウ!」
すっかり耳にこびり付いたその台詞を、喉に張り付きそうな言葉で返す。
「俺は矢車です。ーー前に出過ぎないで下さいと言ったでしょう?」
「んなこと言ってもお前、後方支援なんかいらんかったやろ。お前ら二人とも動きすぎて何やってもジャマなるだけやしな。つまり暇や」
「…………そうですか」
たっぷりと間を取ってから一真は一言。
繰り返すようになるが、森林地形は第六班にとっては戦いやすい地形だ。
その理由としては一真と千鈴の戦法が、木や岩程度の障害物をあまり苦にしないものであること、なによりそれを理解している彼ら自身が、この地形に十分身体を慣らしていること等が挙げられる。
しかしこれらは新入りの大和には必ずしも適用されないというのが、事実でもあった。
狙撃、銃撃を主とする彼にとって木々等の障害は枷となりうるだろうし、一真たちの戦闘に追随できる『脚』もない。
さらに地形照合の結果、この戦場には見晴らしの良い高台は存在しなかった。これでは高所からの狙撃援護も望めない。
大和を含めた三人の連携について詰める箇所は山積みだが、それを審議するのは今ではない。思考も試行も限りある資源であり、それは状況により上限が増減するものだ。
一真と千鈴は半ば自由に動き、大和には一定の距離を保って自らの安全を優先しつつ、可能ならば中距離での支援を任せる。それが今の最善だった。
しかし、大和が前に出てきている状況は頂けない。
「だって、魔獣居らへんし」
その理由を糾弾すると、彼はそんなふうに唇を尖らせるのだった。
実際問題、現れる魔獣たちの数は多くない。
それは自分たちの業務内容の易化に直結する要素だ。『喜ばしい』と表現することも吝かではないだろう。そこに違和感が皆無であるなら、と後ろに補足されるが。
この状況は妙である。
この小狩場の規模は九十。相当に魔力を溜め込んでいる部類だ。
今のところ、狩場内には脅威度D、Eの低級魔獣しか発生していない。
さらに規模から概算して、総数は百体弱ほどになるか。狩場内の広さを鑑みれば、『収穫』よりも堪える状況になるだろう。小狩場はそもそも狭く、物量で押されると不利になる。
しかし、ありえない事態でもないことは確かだ。
狩場が形成されて間もないのであれば、いくらかの魔獣達がまだ非覚醒、つまりは実体としてのカタチを有していない状態で潜伏している場合も時にはある。
魔力規模の割に小狩場自体がやや手狭であることも理由となりうるだろう。部屋に足の踏み場がなければ、存在ごと不安定にもなろうと言うものだ。
「スズと俺で狩場内はそれなりに刺激できたはずです。今頃、至る所で魔獣たちが湧き出て来ているでしょう」
「気長な話や」
「手間も時間も一入ですが、一斉に来られるよりは幾分かはマシだと思います」
だからこそ大和には一歩引いた位置で温存して欲しい。そういう旨を本人に伝えると、大和は「まあ隊長さんの命令ならしゃーなしやわ。反逆者のお尋ね者はイヤやしな」と渋々というには楽しげに了承した。
一真は手のひらを軽く放るように開き、青白い光と共に小狩場の地図を開く。
緑色の点は三つ。二つは互いに近い距離で停止、一つは離れた位置を移動している。千鈴には後で何か言われそうだ。
対する黄色の点は疎らに点在し、その全ての脅威度はD、Eと低級。数もそれほど多くない。
どうやら一回目の探知にかかった分はあらかた片付いたようだ。近場にはおらず、遠方に数体が動かずにいるのが見て取れる
索敵官による探知は、一真たち討伐官を起点として円状に広がる反響定位のようなもので、それによって地形や魔獣の位置を把握することが出来る。
ただ、彼らのアンテナは常に張り巡らされているわけではない。
索敵官による魔力探知には、通常の生活では受容することのないほど膨大な『情報』を処理する過程が存在する。
未熟な魔法士が探知術式を半端に、そして過剰に扱い、余生を廃人として過ごすことになった、なんて話はお笑い草にも出来ないほどに『有りうる話』でもある。
あくまで情報を受け取るハードは人間の『五感』であり、処理するソフトは彼らの『技術』。いくら超常を以て拡張を行っても、限界点は想像以上に身近にある。
結論を言えば、個人で探知を連続し続けることは基本的に不可能なのである。
よって受容情報の厳選は、当然として行われるものであった。
まず戦闘開始の際に一度、探知は地形の把握と魔獣たちへのピン付けのために行う。ピン付けが行われた魔獣たちは地図に常に居場所が表示され、索敵官への負担を少ないままに、動向を把握することが出来る。
しかし時折、今回のように後からの魔獣の個体数が増減や、ピン付けの漏れなどが起こる。
その場合には再度索敵官に探知申請を行うことで情報修正を行うことが出来る。あまり多用はできないが。
「……ん?」
周囲を警戒しつつも地図に目を落としていた一真は違和感を感じる。脳裏でスイッチを切り替えるようにして、念話通信を開く。
「スズ。そろそろ再探知申請しようと思うが、魔獣たちは出ていないのか? ピン付けがほとんどまだみたいだが……」
返事はすぐにあった。
『そーなんだよね、フツーにガラガラがらんどう。全然いないねー。こりゃちょっと居なさすぎじゃんって感じー。ーーそっちは?』
「こっちもそうだ。てっきりそっちに重点して発生していると思ったんだが……」
『いやー、ヒマヒマのヒマでごぜーますね』
ピン付けは索敵官による探知だけではなく、心得のある討伐官でも行うことが出来る。
相手方の座標を正確に把握するために接近するリスクは背負うが、やっておいて損はない。
『うーん、なんかフツーにミスってんじゃないの? 規模の計測。さすがに出なさすぎ』
わずかに揺れるような感情を潜めた声が脳裏で響き、一真は少し考えるようにする。少し離れた後方で欠伸を噛み殺そうともしない大和へと視線を掠めた。どうしてそうしたのか。特に深い意味はないが。
脳裏で回線を別方向から引っ張り上げ、発信じみたノイズが震えるのを聞きながら、並行して千鈴との会話も続ける。
「とにかくだ。とりあえず再探知申請をしておこう。それから狩場の規模も再計測してもらって、問題があるようなら大和さんは一度下がらせよう」
「クドォォォォォォォ!!!!!!」
飛び跳ねる意識。
飛び上がる視線。
飛びかかる牙。
ぬらぬらと不自然に滴る。
頭の天から尾骶骨へと抜ける氷錐で血液が沸く。
背筋を走る警報音は、膨大な圧縮情報を爆発させ、視界は一瞬だけ赤みがかって明滅していた。
純白の狼は大口に深淵を称えて跳躍している。
相対するニンゲンとの距離は鼻の先のコンマ数秒の間合い。
意識の瞬きをも許さない静寂の一コマ。
身動ぎの一つもしない紺色の狩人には牙を避ける意志も、その暇もなくーー
ーー破裂するような血飛沫が弾けた。
本の頁を人差し指で弾く。
そんな重みのない風切り音が知覚を置き去りにせんと一真の眼前を通過し、狼の首がズレていく。
「ーーっぶな……!」胡桃沢千鈴。左手は紅唐色の鞘に添えられ、右手の抜刀は神速。
距離にして二十メートルと少し。刃の間合いを場違いな焦燥の混じる一言と共に超越し、彼女は横滑りするような跳躍運動を保ちながら飛び込んでくる。
ズギャッ。思い切り良く踏み出した右足で土を巻き込みながらブレーキをかける。
少女は爆発的な慣性をねじ伏せながら急減速し、ちょうど男二人の中間でブレーキ痕は終着。停止する。
そして右手の刀を地面に突き立て、土を抉った右足を軸に回転、先の運動エネルギーを生かすように刃で円を描いていく。
一秒とコンマの数秒。コマ送りのフィルム。
視線は合わない。
「……ッ」
あくまで少年の視界は緑がかった鮮明で、一瞬だけ吐き出された息遣いは欠片ほども揺れない口笛のようだ。
左。左。右。奥。奥奥奥ーー
最低限の状況判断と理解。限界点。来る。最大限。経験。飛び込んでくる。蓄積。構築。そこにはおよそ無駄と呼べるものは存在しなかった。
左腕を地面をかくように振り上げる。
砂を薙ぎ払う激流。
歯車が割れる悲鳴。
壁。
波。
腕の動きと連動するように結実した小高い氷の丘は、剣山のごとく獣たちの喉を、その急所を粉砕した。
ここまでわずかに三秒と半分。
「ーー『切リ拓ケ』」
その唄は世界を捉えて離さない。
地面に描いた円の中心に刀を鋭く突き立てると、円は青白く瞬き、一瞬で拡張。透明度の高い膜のようなものが三人を包み、覆うように張られた。
まるでそれは、空間を切り取るような。
「おいクドウ大丈夫かーー」
「カズ君。もって五分」
「長いな」
短い賞賛。顔を上げて状況を見定める。
三人を囲って覆う五メートル半径の半透明な半球体。
二メートル前後の放射状に拡がる氷壁。
そしてやはり…………
氷壁の始点の傍ら。そして半球体の周りにも、その白銀の狼は何体か横たわっていた。
身体の前方何割かが抉られたように欠損した獣たち。
空間に切り込みを入れて、内と外とを分ける千鈴の簡易結界は、異物の通行を容易に許しはしない。眼前のソレがその回答となる。
途絶した通信を起こし、再度意識を傾ける。
『ーーカズマ!! 大丈夫!?』
索敵官の響く声は幼げで高い。両手を開いて閉じて、随分と久しい感覚を確認し、馴染ませる。
「何とか夕飯はステーキでも大丈夫そうだ。あれは両手が必須だからな」
『? とりあえず良かった。ーーったく、接近する魔獣に気づけないなんて弛んでいるんじゃーー』
「すまない時間が無いんだ。地形照合急いでくれ。………恐らく、規模九十ってのは化かされてる」
『それどういうーー』
「白影狼だ」
一真は、相手の疑問符も、問いかけも待たなかった。
「目視十数メートル。茂みの中。俺の感知じゃ正確には分からないが恐らく二十体以上。中には白影狼がいくらか混じっている。…………この感じ。恐らく離れた地点にも相当いるぞ……!」
深緑の闇から除くギラつく瞳は、どこか星の瞬きにも見えた。




