第二章[裏]らぁめん問答①
走る。走る。走る。走る。跳んで砕いて薙ぎ倒して。また走る。走る。走るーー
明らかに生物の常識、その範疇、領分を逸脱したような高速の疾走。
虎のような豹のような、スラリと逞しい強靭な脚が大地を蹴り、叩き、砕いて加速する。既に時速は百四十キロ近く出ているのに、まだ加速は衰えない。どうやら長距離もいける口らしい。
しかしそれは虎ではない。もちろん豹でもない。そしてその他哺乳類でも断じてない。恐らく。一応言っておくと鳥類でもないし、爬虫類でもないし、妖怪……は割と近いか。
とりあえずそれは人知を超えた生物だ。体長と速度がまるで釣り合っていない。その事実が、違和感をよりいっそう浮き彫りにさせる。
実に五メートルを超える巨体が大地を駆ける様は、戦車自体が砲弾と化しているかのようで、途轍もない迫力と衝撃。轟く咆哮で文字通り大地が震える。
走れど走れど加速する。
駆けても駆けても止まらない。
吠えても吠えても枯れはしない。
雄々しいと言うよりは、それはまるでーー
ーーそれはまるで、恐ろしいナニカから逃げ惑う子犬のように。
ーーーーーーッッッ!!!??
前足に鋭利な物体で殴りつけられたような違和感。
怪獣は速度をそのままに、急激につんのめった。
そんな事になればどうなるか。物理のーーいや、それ云々以前の単純極まりない問題だ。さあーー
ーー転がれ。
ブモォォォォォ、と。虎と豹の黒々とした身体に獅子をブレンドした鬣付きの顔。
それに似つかわしくない雄叫びを上げ、転がる姿はまるでボウリング。
ならば待ち構える紺の影は無害な的か。
ーーいや、
「一刀両断でホームランといきますかー」
気の抜けた声は黒獣には届かない。
だが、自分がどうして回転する世界を見下ろしているのか。
微かに覚えたその疑問が、生涯最初で最後の思考となるとは露知らず。
薄れていく双眼が最後に見たのは、白に呑み込まれていく同類たちだった。
ーーーー
まず前提として、『座敷童子』は普通に居る。
普通、という表現だと少し抽象的かもしれない。概算と経験で見積もって、商店街の宝くじで三等を当てるよりは身近に居る。間違いない。
彼ら彼女らは、基本的に民家、それも年季の入った古いものを選んで住まい、潜む。そしてホコリのように溜まった残留思念、因果の残り香を魔力に転換し生きる超常存在である。住まう者が善なるものなら、きっと何か『善きこと』を招いてくれるだろう。そう定義付けられ、記録されているのだ。
これはなにも座敷童子に限った話ではない。
御伽噺や怪談、伝承など、様々なところで霊的、常識外的存在は溢れている。
そしてその中の決して少なくない数が実在している、及び実在していたと立証されているのだ。
『超常』は存在する。
それは絶対の摂理であり、
しかし、大多数の人間には知りえない事実でもあった。
『超常』があるなら観測する者が居り、
観測する者があるなら御する術もあり、
御する術があるなら危険性も理解する。
ならば人は徒党を組み、それはやがて根を張り、横に縦にと領域を拡げ、『組織』としての様相を呈していくのは必定であった。
しかし、何事にも例外は存在するというのも、また必定なのであろう。
少なくともこの街は、そんな例外の一つであった。
「らっしゃいあせぇぇ!」
ガラガラと引き戸を開けると、よく通る声が少しの無愛想を織り交ぜながら歓迎した。
鼻を貫く香ばしい匂い。人の根幹を揺らす『旨み』の匂いだ。
九野里の駅近くにある商店街、風松通り。その一角にあるラーメン店に、矢車一真はやって来ていた。
店舗は小さく、外見はお世辞にも綺麗とは言えない。とりあえず年期だけは入っているようだ。
一抹の不安とともに店内を見回す。時刻は午後一時から五分前。客は土曜の昼にしてはそこそこ入ってると言うべきか、それとも少ないか。あいにく基準が分からず判断はつかないが、とりあえずは閑古鳥が鳴いてはいないらしい。
すると見覚えのある茶髪を視界に捉え、視線が合う。奥のカウンターで昼のトークバラエティ番組を見ていた男性は、手を挙げてこちらを手招き、少年はその手に従った。
「なんや早かったなクドウ。ーーってお前いつもそのダッサイの着とんか。どう見ても普段着には向かんやろ」
「俺は大和さんの方が先にいることに驚きですよ。ーーあと俺は矢車です」
「いやーやることなんもなくてな。早く来てもた」
「ずいぶんとお暇なんですね」
「お互い様やな」
「……着心地は悪くないですよ」
「いや反応遅いわ」
作業服のような紺の上着を羽織った一真は彼、大和大和の隣のカウンター席に腰掛け、メニューを手に取った。一番基本の醤油ラーメンを単品で頼む。
一真が注文したのから数秒遅れて、赤を基調とした鮮やかな丼が目の前に置かれた。手を伸ばす。
空振った。
一瞬硬直し、傍らの男性と視線を合わせる。
「……それ」
「いや俺のやろ……流石に」
焦り顔の大和。丼を覗くと、どうやら豚骨ラーメンのようで、確かに注文とは違っていた。細かな油の玉が一面に浮いた白いスープと、それを彩る具材達が食欲を刺激する。
「お先に失礼」とだけ言うと、大和は麺を一気にすすり、満足げに咀嚼して飲み下す。汁気が滴る黄金の麺は、実に蠱惑的な魅力を放っている。
数分で食べ終わりそうな勢い。一真は自分のラーメンが来る前に話を始める事にした。
「それで大和さん。話というのは?」
その言葉を聞いているのかいないのか。
麺をすする勢いはしばらく衰えず、ゴキュゴキュと愉快な音を立てながらスープまでたっぷり飲んで、やっとその口の言語機能を使い始めた。
「やっぱし俺は豚骨が最強やと思うんやがーー」
「俺を呼んだ理由の話です」
揺れのない返し。大和は堪えた様子もなく、やれやれとかぶりを振った。
「つまらんなぁ。そこはもっと鋭くいってな、腹から、もうちょいこうグォッと鋭く出すねんか」
「なんの話ですかそれ」
「ツッコミもボケも基本は声と勢いやねん」
「いや聞いてないです」
「それで最上級の驚愕を表す切り札がなーー」
「そんなのいつ使うんですか」
「メガネのレンズを爆ぜさせるねん」
「本当にいつ使うんですか……」
「そしたら大物なれるで」
「病院に緊急搬送されて明日の朝刊ですね。……いい加減にしてください」
くだらない問答に真顔で辟易してみせる。
一真にとって長い会話は苦手。そこに意味がないとなると嫌いの部類だ。切り捨てるべき『無駄』である。
大和は小皿に山盛りに高菜を盛って、辛い辛いと楽しそうに高菜を口に運び続ける。
くだらないことを自分で言ったりしながら芝居がかりに笑う。どこに笑う要素があったのかは分からない。
彼と出会ってから一週間ほど経ったか。かなり慌ただしい状態が続いて気を回せていないだけかもしれないが、一真は彼の性格に中々慣れることが出来ないでいた。その人間性も、どこか信用できない。
ただ、不思議な雰囲気を持っているとは感じていた。
「いやぁ、なんかひっさしぶりに人と話した気がするわ」
「……大げさですね」
一真が絶賛加筆修正中の常識に照らし合わせて呟くと、大和は食いつくようにまくし立てる。
「いやいやいやそれがな、大げさやないねんか聞いてくれ。あの錦のジジイは鬼畜や。鬼畜クソハゲタカジジイやねんか。どういうことが分かるか?」
まず聞けと言っておいて秒で質問タイムに入る話運びの雑さをなんとかしてほしい。
ベテランの指導者である錦は、今は日本中を移動して、素質ある者のスカウトを行っている。
『魔道』を修めることの出来る才能は、いつの時代も限られているし、それ以上に埋もれている。隣に座るおちゃらけた男も発掘された貴重な原石ではあるのだ。信用云々以前に、蔑ろには出来ない。
そんな彼の発言を聞くに、どうやら発掘者に対して悪い思い出でもあるらしい。錦は指導を徹底することで有名である。特に知識面は鬼のように詰め込ませるらしい。
「スパルタである、とは聞き及んでいますが」
と簡潔に一言。大和はどこか感慨深そうに、
「せやせや。だからこそこういうのがシミるのなんのって……。行きつけのちっちゃい飯屋でトモダチと食べるジャンクなフード。これに勝るものは無いねん」
「……なるほど」
「とにかくや、俺は今楽しいねん。それは嘘ちゃうわ。ーーお、来たでキタキタ」
カウンターに湯気立つ丼が店員の太い声と共に置かれた。レシートを傍らの筒に丸めて差し込む。
一真は両手にずっしりと重たい丼ぶりを持ち上げ、覗き込むと視界が白く染まった。眼鏡の曇りを拭き取って端に置き、割り箸を抜き取って割る。視界は良好だ。
透き通る黄金のスープ。艶やかな麺をゆったり持ち上げ、丁寧な所作で口に運ぶ。
大和は箸をカチカチ鳴らして満足気に笑い、人差し指を立てて替え玉を注文した。
ーーーー
「そんじゃまあ、いい加減本題やな」
「……すいません、替え玉、ちぢれで」
本日三度目の替え玉。大和は絶妙な表情を浮かべてから、咳払い一つ。目の前の少年の興味を引けたかは判然としない。
「俺が聞きたいんはズバリ、お前らについてや」
「…………」
「おいはよ麺飲み込め。話進まんやろ」
むぐむぐと咀嚼する一真。あまり急いで飲み込む様子は見えない。一つ言えるとしたら、この状況は大和の自業自得である。
一真はしっかりと丼を空にするまで平らげ、眼鏡を掛け直す。ここまでに一分弱。
「俺たちの、ことですか……?」
「あぁ…………あぁ、もうホンマに調子狂うやっちゃな……。なんやツッコミ待ちなんかお前!」
「いえ、そういう訳ではーー」
「遅いわ!! 反応が!!」
「……すいません。具体的にどの所作に対することなのか分かりません。あまり人と話すのも得意でないもので」
「三手前やわ!! いや四手か? ……て、どっちでもええわ!!」
「はぁ」
どうしてか少し怒っている様子の大和に、一真は理解の及ばないものを感じる。まだまだ精進が足りないのだ。そう自らを戒めとするのが今の善策のはずだ。そして今のは『ノリツッコミ』というやつだろう。本で読んだ。
「本場ものは貴重なのだと聞いています」
「なにが!?」
「そんなことより、俺たちに聞きたいこととは?」
「……せやったな。ようやくやでホンマ」
大和は脱力と共に椅子に体重を預けた。木製の椅子のほどよい軋み音が響く。
「俺たちの話なんて聞いても面白いことは無いでしょう。大和さんだって再三聞いているはずです」
「チッチッチッ。そりゃあ違うな。俺にそういう話を耳ダコにしてきたんはあの腐れハゲタカや。まあそれはそれは大層な話をいくつも聞いたが、あんのお師匠さんはあくまでこっちの人間やからな。より核心に近い人間の方から聞いとくんも、まあ経験値としてはよろしいやろ」
「……恐らく、同じ話しか出来ませんよ」
「結構。粗探しは得意な性分や。ーーさてと、まずは、そうやな……。歴史の授業でもしてもらおか。宇宙人の末裔さん」
「……粗、いきなり見つかりましたね」
不純物塗れで純粋。一真はそんな矛盾した印象を彼の笑顔に見るのだった。
一真は気が進まないながらも、まずは一文、言葉を紡いだ。
「俺たちはこことは異なる世界の住人の、その末裔です」




