第一章[裏]彼は星には至らない
星が好きだ。
付け加えるなら、星を見上げるのが好きだ。
満天でなくていい。
曇天でさえなければ、微かにでもその輝きが顔を覗かせているなら、それがボクにとっての満天だからだ。
星は高い。
ずっとずっと、もっともっと背伸びをしても、ボク四個分の高い所に登っても届かない。うんと遠くで、たくさんの人を笑って見下ろしているに違いない。
見上げる顔は見るに堪えなくて、鼻で笑っているのだ。
ちっぽけなボクらはその輝きで簡単に揺らいで、勝手に見出して、瞬きで崩れる。
いっそ機械みたいな砂のお城。
だから星が好きだ。
そんな彼方で輝く星々は、互いに寄り添っているようで、実は遠いのだそうだ。
人が一生かけてもお使いすらできないなんて、ご近所さんでもなんでもない。
あんなに近くに見えるのに、その実遠くてひたすら孤独。
みんながいるのに誰もいなくて、それでも確かに輝いてる。
硬く折れないダイヤの一番星。
だから、星が好きだ。
好きでないといけない。
大嫌いな自分が目指すべきは、きっとそこだと思うから。
ーーーーー
月夜の晩。
その世界にポツリと二人。少年と少女は街を見下ろす。
背負う半月は遠く、文明の灯を妬むように佇む。
「ねー、今なんの時間?」
少年が頬を撫でるーーというには少し痛いぐらいの夜風を感じていると、傍らの少女が天を仰ぐように言った。
手持ち無沙汰で暇すぎてとりあえず仕方ないから聞いてあげた感謝しろコノヤロウ感をひしひしと肌で感じながら、少年、矢車一真は答える。
「人生の先輩様の重役出勤を、暖かく迎えてやるためのタメ時間だ」
「……今週入った後輩なのに?」
「今日入った下っ端新人でもだ。『年上には敬意は払うべき』。儒教的常識的な思考だと思うが、違ったか?」
「いやー、フツー極まった理論でありますことです。でも開幕から遅刻するようなダメ男、フツーは敬わないと思うけどなー」
「だから俺は敬わん」
そのカミングアウトに、少女、胡桃沢千鈴はブフッと吹き出した。出来ればもう少しお淑やかに笑って欲しい。
ーー……まだか?
少年は見下ろす街から視線を上げ、それを自身の左腕に投げた。腕時計の二本の針は、現在がちょうど午後十時十分であると示している。集合時間十分オーバー。やたら十続きだ。
分類するならば”精悍”という言葉が修飾されるような、それなりに整った顔立ち。それをさらに引き締める眼鏡の奥には諸々の失望、呆れ、怒りが少々ずつ混在した表情が薄く浮かんでいる。少しマイルドな苦虫を噛み潰したような。
もとより『表情筋が二週間放置したパンのようだネ』と揶揄されるくらいには感情表現に難があるらしいが、最近はずいぶんと改善傾向であると自負している。そもそも負の感情の度合いもそこまで高くはないのだ。
それは彼の精神性が聖人君子的に高尚な訳でも、逆に待ち人に日頃から”貸し”を積み立てしてあるわけでもない。
ましてや事前に遅刻の連絡を受けていたからでもない。これを『ましてや』と表現するのは普通おかしいが。実際問題結論を述べるとーー
ーーまあ、なんとなくそんな気がしていたからだ。
よって現在感情の六割を占めるのは”虚無”となる。
虚しくて何も無い。酷い言葉だ。人生で実感したくない感情TOP10入りは確実だろう。
本当ならば今頃、まだ勝手のわからない青年にアドバイスをしていたはず。このように無為に時間を浪費するのは不本意極まりない。極まりないが、やることもない。
頬を叩く風は、朗らかな春でも容赦を知らなかった。
「はぁぁ、なんで役に立つかも分かんないシロートを、あたしたちが鼻を長くして待たなきゃいけないんだろーねー」
耐えきれなくなったのか、千鈴が両の手を星空に振り上げた。少し癖のある黒のセミショートが風で揺れて、カラカラと回るその表情が羨ましくもある。
「人手が足りてないからだろうな」
内心少女の台詞に同意しつつ、非情にも事実を突きつける。
「そんなの分かってるって。でも、だからってあの人を待つ必要せいドコ? あたし達まだ一回も一緒に訓練してなくない?」
「まあ錦さんのスカウトだ。それなりに仕込まれているだろうから一足飛びでも大丈夫だろう。役職的にも、いきなり前ってわけじゃない」
その男は本当に役に立つのか? と問う視線に、一真は事前に聞いていた情報を開示した。
「………早くみんな帰ってこないかな」
「…………そうだな」
千鈴の口からそんな吐息が漏れた。
現在進行形の深刻な人手不足にはいくつかの原因があるが、その一つがそれで解決する。吐息の理由はそれだけでは無いだろうが。
「あと二週間足らずだ。ドラマ二回分見る前に帰ってくるだろう。一瞬だ一瞬」
そう相方を鼓舞してみるも、一真もいいかげん不安になってきた。まず第一にーー
「…………来ると思うか?」
千鈴は無言で呆れを最大限に表現してから
「あちゃー。そこに突っ込んじゃうかカズ君。信頼もクソもないとはこの事だぜ」
とわざとらしく言った。
「クソとか言うな。遅刻してから何分までなら希望があるかなんて、俺には分からない」
「それをあたしに聞くのはいかがなものか……」
「いいから。ーーどう思う?」
「まあ……あれじゃん。あの人関西人だし」
まるでそれが世界の真理であるかのように、微妙に答えになっていない回答をした。彼女の関西人に対する偏見極まりない所感を得られたところで、一真に大したメリットはない。
「もしかして、集合場所が悪かったのか……?」
「あーそかもねー」
彼女は、ここ高いしね。と付け足す。あまり待ち人に興味は無さそうだ。
この場所を初仕事の集合場所に選んだのは一真だが、分かりにくい場所ではないとは思う。
ーー…………一周回って分かりづらい場所なのかもしれないな。
『一周回って』というのは、確かこういう風に動詞を修飾する言葉だったはずだ。何がどうなって一周回るのかは分からないが、自己での納得のために使われる傾向があっただろうと、一真は記憶を掘り起こした。実際その通りに使い、その通りに結論を出す。
「でもさー、たぶん来るとしてもこれは着てこないんだろうなぁ。半分部屋着みたいな感じだよ。ヨレヨレのTシャツにジーパンみたいな。ちょっと買い物とか散歩行くぐらいなヤツ」
コンビニ以上駅前未満的なカンジー。少女は面白がって特に根拠の無い妄言をぬかし始めた。
一真は何か考える素振りを見せた。そして一言、もの申す。
「コンビニ専用ファッションとかあるのか?」
「…………局部が見えてなかったら、いいんじゃない? たぶん」
そう返した彼女の顔は、一言では言い表せないような情感で満ちていた。
「そうか。なるほどな」
ーー前衛的なんだな。口に出すのもはばかられるんだろう。
しかし返す刀がこれなので手遅れである。
「でもやっぱり、俺はちゃんと着てくるとは思う。一応これが俺たちの正装だからな」
「うーん。じゃ、あたしは初っ端から着てこないに賭ける」
「なら俺は反対側か。……ちょうどいいものがある」
一真は深いネイビーの作業服のような上着から、細長いものを取り出した。
チューイングキャンディだった。
「やっす。賭けになんないよ」
「『面白い賭けとは、その行為そのものに代替出来ない価値が宿るものである』」
「誰の迷言?」
「紅さん」
「あの変質者の言うこと間に受けないでよ……」
少女の本気で嫌そうな一言。
それに相槌を打って、それで会話が途切れた。
夜空を眺めるか、手元のスマートフォンを眺めるか。眼下の街を眺めるか。
どこか気まずいようで、息苦しいようで、しかしいつもと変わらないような沈黙。生憎と彼には判別の難しい事柄であり、そもそもそんなことに思考を割いていること自体が、少しの緊張の現れなのかもしれない。
一真は眼鏡を外し、月で照らして汚れを浮かし見た。今日は仕切り直しの再始動の日。良いか悪いかはともかく、転機の記念日だ。これが『空気が重い』などという状況である可能性は捨てきれない。それぐらいは、分かる。
「…………よし」
そのまま眼鏡を拭くわけにはいかず、照らしただけで掛け直す。少し緩んだ風を肌で感じて、一真のその目は自身のちっぽけな人生を共にしたこの街へ。漂白された心が捉える。
「……スズ」
「……なにー?」
「街は今日も元気だな」
まる。
心機一転からおまけで二転。生まれ変わった口が、故郷の風景に新たな答えを導き出す。
五秒ほどして、傍らから少し下品に吹き出す声がした。
「なになにナニ!? 今のギャグ!? それとも素!? フツーに分かんないコワイコワイコワイ!!!」
「…………俺はこの愛すべき街を改めて俯瞰することで、新しい発見をだなーー」
「超壮大じゃんスケール。ナニ? オクニのオッカサンに手紙書く時に『拝啓お母さん。街は今日も元気です』から始めたりするわけ? 視点がマクロ極めすぎでしょ!」
「……うるさい」悪戯っぽく動揺してみせる少女を、直視せずに毒を吐く。
多少はツボに入ったのか。ケラケラ笑いが数十秒ほど続き、彼女はめいっぱいの背伸びでそれを打ち切った。
「ありがと」
「ゴメンだろ」
「はいはいバカにしてどーもスイマセン!」
誠意ゼロの謝罪。苛立ちは起きなかった。
特に意味の無い問答を終えると、如何なる理由か、どことなく空気は軽くなった、のだろう。
見下ろす街は変わらず人工の光で照らされて、別に間違ったことは言ってないかと、一真は独りごちる。
そのまま沈黙は再開しなかった。
傍らの少女はまるでたった今思い出したかのような、そんな声音で、
「『策はいつだって単純が最善』。だっけ?」
と、意味はわかるが、意図の理解は出来ない一言を零した。
「そうだな? それがいったいーー」
そう疑問を呈すと、千鈴はトントンと踵で床を叩く。鉄の床が軋むように鳴いた。
「…………あぁ、先生の口癖だったな」
「そそそのそ。あたしはさ、これ好きなんだ」
「俺もだ」
「どう思う?」
「及第点だな」
「あたしはちょっと足りないかな。心意気は認めるケド」
「肝は据わっていそうだ」
「フツーにおバカなだけかも」
「かもな」
「じゃあ返答は」
「……『いらっしゃいませ』」
「いいねぃ」
「なら、とりあえずーー」
一見して支離滅裂にも思える会話。
固いながらも穏やかに、一真は笑みを刻んだ。
「誠心誠意で歓迎しないとーーなっっ!!!!!」
唐突に斑錆が彩る鉄の足場を、踏み抜かんばかりに踏みしめるのと、
「わーお、ダイタン」と感嘆するように呟くのは同時だった。
一瞬の後。
「ちょおおおぉぉぉぉぉぃぃぃぃっっっーーーーー待てやぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!???」
なんだかやたらと耳障りな雑音が聞こえたが、残念ながら星を数えるのが忙しい。




