彼女は知り合いで俺は……
5月5日。時計の針は10時を指している。
この日はゴールデンウィークであり、またこどもの日であり、優奈の誕生日でもある。
俺は朝起きたとき、カレンダーにはなまる印がついているのを見て今日なのだと実感させられた。喉が渇いたのでリビングにある台所へと向かう。リビングには既に優奈が起きており、俺の存在に気づくと、
「あ、お兄ちゃん。おはよう」
と挨拶してきたので俺も、
「ああ、おはよう」
と返しておいた。台所に向かい、冷蔵庫の中を漁る。程よく冷えた麦茶があったのでコップに注ぐ。ついでに優奈にも麦茶を飲むか聞くとしよう。
「優奈、麦茶いる?」
優奈に反応はない。ただの屍のようだ。
優奈はスマホに夢中のようで俺の声が届いていない。全く、最近の学生はスマホを弄って何が楽しいんだか。俺なんてメールするのにも相手がいないし、無料ゲームするのにしても、画面が小さくて見にくいので使いたくない。
自分で言ってて何か悲しくなってきた。
「買い物行ってくる」
水分補給で一服。俺は気を取り直して、肉を買いに行くことにした。優奈の希望通り焼肉をすることは決まっているが、念のために優奈に声掛けして外出する。
「はいはーい。気をつけてねーお兄ちゃん」
優奈は半ば雑な対応で俺に手を振る。俺は反応してくれただけまだマシかと思い、
「行ってきます」
とだけ優奈に告げ、俺は外へと出る。
天気は良く晴天だ。程よい暖かさが俺に感じさせ、いい天気だと呟きそうになる。
スーパーは自宅から徒歩一分程度で着く距離なので日光浴をする暇もなく到着する。肉を買うと決まった時点でここで買っていこうと思っていた。だって、ここが一番家に近いから。
俺はスーパーの目の前にある買い物カゴを手に取り、中へと入る。
体が冷える。
寒い。
俺に待っていたのは外の気温とかなり差がある室内だった。
俺は早歩きでスーパーで会話を弾ませている主婦を追い越していく。寒いので目的の肉だけ買ってさっさと帰るのに限る。
「あれ? 上井草じゃないか?」
急に俺の名字を呼ばれたので反射的に声がする方向に振り向いてしまう。
言わずと知れたイケメンがいた。目や鼻、口などの整った顔、筋肉質というわけでもないがしっかりとした体格、そして、気軽に話しかけてくれるこのフレンドリーさ。
誰こいつ?俺にこんな完璧な知り合いがいたっけ?
「えーと、」
俺が彼の情報を脳内で模索していると、彼の方からフォローを入れるかのように話しかけてくる。
「ごめんごめん。まだ同じクラスになって一度も話してなかったね。僕は霧生 和樹。君と同じ学年で同じクラスだよ」
歯をきらつかせる微笑みはどこか殺意を覚える。
そうだったねー。いたねー、お前。俺達のクラスのまとめ役およびクラスカーストの頂点にたつ男。霧生 和樹。
勝ち組のドンはこんなシケた負け組に何用ですかな。
「ゆいとは仲良くやってるのかな?」
ゆいと聞いて、すぐさま村川 ゆいの事が頭を霞めた。一瞬、ビクッとなったが、俺は知らん顔をする。俺の受け答えで村川 ゆいが負け組に転落させるわけにはいかない。その為、俺は村川とは何でもないことを貫くしかなかった。
負け組を交流を持っていることが分かれば、そいつはもう負け組だ。勝ち組の人間はそう判断する。それがカースト内での掟。誰かが作ったとされる理不尽で勝手なルール。
俺は霧生が冗談半分でからかってやっているだけかと思った。
よって、ここは、
「何だそれ? お前ならではのジョークか?」
と答えるのが正解に近いだろう。
霧生は微笑みを崩すことなく、爽やかな笑顔のままだった。
「別にジョークとかじゃないよ。ゆいから君の事は聞いていたからね。クラス内では君とゆいは話したりするのを見たことはないけどそれなりにうまくやっているんだろう?」
村川の奴何考えてるんだ。
何でよりにもよって霧生に俺の話を持ち出すんだよ。
「僕はゆいと中学時代の付き合いだ。君も小学生の時に同じ学校だったらしいね。同じ友達の友達ということで仲良くしよう。よろしく」
霧生は俺に手を差し伸べる。
何が「ということで」なんだろう。友達の友達ってもうそれ知り合い以下じゃないか。
それよりもこいつに聞きたいことが増えた。今、何て言った?
俺と村川が小学校が一緒だった?
「霧生、握手の前に少し聞きたいんだが、いいか?」
「ああ。構わないよ」
「もう一度確認するが、俺と村川は小学校が同じだったということか?」
俺の質問に霧生は首を傾げる。
「そうだけど……それがどうかしたのかな?」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
もし、村川が俺と学校が同じなら彼女は見ているはずだ。
常に独りぼっちだった俺の印象を。
イジメられている光景を。
俺が負け組として晒されている姿を。
俺の記憶の中に村川 ゆいという人物はいない。だから、俺は彼女と初対面のはずだった。高校で初めて会ったはずだったが、そうではなかった。
だったら、彼女の優しさの理由、好意の正体はもしかして―
「上井草? どうかしたか」
霧生の声で俺はハッとする。霧生は俺の様子を窺うように心配そうな表情をしていた。俺は「悪い。ボーっとしてた」とだけ言っておく。
霧生はどこか納得しない気難しい表情を浮かべる。
「大丈夫かい。辛いことがあったら、何でも言ってくれ。相談にのるよ」
「いや、本当に大丈夫だ」
イケメンなのにその分性格も良い奴で言うことない。そのカリスマ性が人を寄せ付けるんだなと改めて思い知る。負け組の俺は到底気遣うなんて能力を取得できそうにない。
俺は用件は聞いたのでさっさと御暇するとしよう。これ以上は負け組精神が腐る。
「そうか。なら良いんだ。これからよろしく」
「ああ」
俺は霧生の手を受け取り、握手する。もう二度と会話することはないであろう。というか、俺からはこいつと話したくない。勝ち組のくせに良い奴で怖い。俺みたいな学校でカーストが低いのに平等に接してくれるなんてそうそういない。だから、逆に裏があるんじゃないかと思ってしまう。最早、不気味。
「そういえば、何で上井草はここに?」
とっとと帰らせてくれませんかね?
俺の心の声を無視して、霧生は俺に話しかけてくる。ここで妹を出すのは駄目だ。妹なんているの?から始まり、会話がまた始まる可能性がある。
俺は言葉を選びながら口を開く。
「まぁ、肉を頼まれたからただの買い物だ。そもそもスーパーだしな。買い物以外で何をするんだ」
「それもそうだね」
クスクスと霧生は笑い返す。俺の心の声が霧生に届いたのか、それとも霧生に元々事情があったのかは分からなかったが、霧生は予め身に着けていた腕時計で時間を確認した。
「っと、ごめん。無駄な時間を浪費させたね。そろそろ僕は行くよ」
「そうか」
俺は霧生の姿を見送ってから、肉コーナーへと歩く。
村川の事を頭にちらつかせながら、俺は高そうな肉のパッケージを手に取った。




