第六十七話 フィーナの覚悟 ◆sideフィーナ/クロヴィス
大変なことになったわね。まさか、お母様のお産のタイミングで隣国が仕掛けてくるなんて。
しかもナディル村まではかなりの距離があるわよね。敵の狙いが何か分からない上に、時間もない。
私は陣痛に耐えるお母様をジッと見つめる。
ここで私まで行ってしまえば、お母様はきっと心配するだろう。でも――
「お母たま、ごめんなさい。フィーはお父たまの足になりに行きます。ウォルが全力を出せば、ナディル村まではすぐです」
「フィー……ナ?」
「悪い子でごめんなさい。きっと、お父たまと帰ってきますから」
私はそう言うと、すでに凛々しい顔で立ち上がり、窓辺に控えているウォルの元へ歩みを進める。
「お嬢様!」
「クロエ、私は行くわ。大丈夫、無茶はしない。お父様を送り届けるだけ。そして、お父様を無事に連れ帰るために行くの。クロエはお母様をお願い」
「フィーナ!」
「リュークも、私の代わりにお母様の手を握っていて欲しいわ。お願い」
リュークは第二王子だもの、万一隣国の手の者に捉えられでもしたら――待って、もしかしてそれが目的だったりする? リュークがこの地にいるのは限られた人しか知らない。
でも、リュークはあの日、ナディル村にいた。
表舞台に出ていない彼の顔を知るものはいないと高を括っていたけれど、もし知っている人がいたとしたら? そういえば、森から出た時に鋭い視線を感じた気がする。ひょっとしてあの時、森に密偵が潜んでいた?
「ぐ……分かった。必ず無事で戻れ」
「ええ、そのつもり」
つい考え込んでしまっていた私は、リュークの力強い声にハッと顔を上げた。
ここであれこれ悩んだって仕方がない。まずはこの地に迫る脅威を一掃して、お母様が安心してお産に臨めるようにしなくっちゃ!
生まれてくる天使のためにも、不穏因子はお掃除しておかないと。
私はにっこりと微笑んでみせると、ウォルに跨った。
「行くわよ!」
『ウォルッ!』
私の声を合図に、窓からぶわりと風が吹き込み、私の銀色の髪とカーテンを靡かせる。
吹き込んできた風に乗るように、ウォルは勢いよく窓から飛び出した。
お父様はきっと厩舎に向かうはず。急がなくちゃ!
◇
伝令役に急ぎ鷹を飛ばさせたため、ナディル村近くを巡回している部隊にも指示が出せた。
先に現地に着いた場合は待機するように伝えてはいるが、相手の動向次第では牽制するよう言い渡している。
そのような事態に陥る前に、到着しなければ。
気ばかりが急いてしまう。
駆け足で厩舎へ向かう俺の背後から、不意に凄まじい突風が吹いた。
「お父たま!」
「なっ、フィーナか⁉︎」
突風に巻き上げられるように宙に身体が浮き上がり慌てていると、足元から掬い上げるように何かが潜り込んできて、同時にグンッと身体が押し付けられるほどの風圧を感じた。
「ま、まさか! ウォル⁉︎」
「こっきょうに向かうのですよね? それなら、ウォルにのった方が早いです!」
『アオーン!』
何が何だか理解が追いついていないが、どうやら元のサイズに戻ったウォルの背に乗せられているらしい。俺の前にはフィーナが跨っていて、肩越しに俺の方を振り返りながら説明をしてくれる。
「それはそうだが……どうしてフィーナまで! 早く屋敷に戻るんだ!」
「いいえ。フィーはお父たまをぶじに村までおくりとどけ、そしてお母たまのところまでつれてかえるために来たのです!」
「だが……うおっ⁉︎ なんて速さだ。まるで風になったようだ」
「風が守ってくれますけど、ふりおとされないように、しっかりつかまっていてくださいね」
俺は咄嗟に姿勢を低くしてウォルの背にしっかりと掴まった。すでに屋敷の光がペン先ほどの大きさになっている。
こ、これは中々に高い。フィーナはたまにウォルの背に乗って空中散歩に興じているが、怖くはないのか⁉︎
これだけ速度が出ていれば、目も開けていられないはずだが、しっかりと周囲の様子を視認することができる。それに、呼吸も苦しくない。フィーナが言うように、風の膜が俺たちを包むように守ってくれているのだろう。これもウォルの力なのだろうか。
「ウォル、全速力で向かうのよ! 頼りにしているわ!」
『ウォルッ!』
フィーナの掛け声に、ウォルは気合十分に吠えた。
ウォルの声は激しい風の奔流に呑まれ、薄宵の空に溶けていった。




