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第六十六話 襲撃とお産 ◆sideクロヴィス


「ここ半年で船の出入りが増えているようだね」


「ああ、表向きは穀物を中心とした食品の輸入のようだが……」



 俺は今、執務室でマティアス殿と共に国王陛下から定期的に届く書簡に目を通している。俺たちはすっかり砕けた口調で話す仲になっており、今日も一緒に頭を悩ませている。


 国境の警戒を怠らず、巡回頻度を上げて監視の目を光らせてはいるが、あまりにも静かすぎることに胸騒ぎを覚えていた。


 今回国王陛下から届いたのは、ここ一年の隣国の輸出入に関する記録だ。

 去年、フィチアナ王国は大規模な蝗害により甚大なる被害を受けている。友好国として我が国からも支援物資を輸送しており、自国で賄えない分を輸入に頼るのはおかしなことではない。


 だが、国が貧窮している時に豊かな他国を欲する気持ちが膨れ上がるのも自然の摂理である。

 自国が苦しい時に、隣国侵略という甘い誘惑をされたらどうだろう。慈悲のような輸入に頼るのではなく、その土地ごと我がものとしてしまえば、獲得した領地の作物もまた我がものとなる。動機としては十分だろう。


 甘言は文字通り甘い蜜だ。

 きっかけや侵略の契機さえ与えられれば、危険な橋を渡ろうとする者がいてもおかしくはない。


 記録を改竄し、作物の輸入の陰で武器や傭兵を密輸入していたら?


 だが、あくまでも憶測であり、証拠はない。友好国とはいえ、他国の政治や内情に口出しをすることはできない。



「もどかしいな」


「ああ、着々と水面下で準備を進めているのだろうと思うと……ん?」



 パラパラと書類を捲っていると、領地別に輸入量が記録された書類で手が止まった。


 我がアンソン辺境伯領と国境を隔てた先に位置する領地での輸入が、他の領地に比べて緩やかに増えているのだ。月別の輸入量で見れば大した差ではないのだが、一年分積み上げてみると、差は明らかだった。

 確かに、特に蝗害が酷かった地だと聞いているが、それにしても同じ被害を受けた領地との差が顕著だ。報告方法を工夫して違和感がないように細工しているが、色んな視点から数字を洗い出せば一目瞭然だ。


 マティアス殿にも気になった点を共有すると、彼は鋭い目で数字を睨みつけた。



「ラッセル子爵の交友記録はあるかい?」


「ああ、少し待ってくれ」



 顎に手を当て考え込むマティアス殿に言われ、俺は書棚を探る。



「これだ」


「うーん……なるほど。もしかすると子爵は国ではなく領主を誑かしている可能性が高いね」



 書類は過去三年の外交記録が記されている。訪れた町別にカウントしていけば、アンソン辺境伯領に面する領地に最も多く訪問していることが分かる。各地を満遍なく訪問しているように見せかけてはいるが、いつも外遊ルートに含まれていた。



「さすがに国一つを動かすことは難しい。万一の時の逃亡の地として土台を整え、今回の蝗害をいい動機として領土侵略をけしかけていたとしたら……」


「友好国への侵略は自国への反逆罪にも問われるぞ」


「結果が伴っていれば、交戦的なフィチアナ王国はどうとでも侵略を正当化するだろうね」



 様々な情報から嫌な筋書きが浮かび上がり、背中に冷たい汗が流れる。



「それにしても……よくここまでの情報を集めたな」


「ふふ、王家お抱えの密偵は優秀なんだよ。さすがに時間はかかったようだけど」



 したり顔をするマティアス殿であるが、少なからず彼の生家も絡んでいるのだろう。

 つくづく敵に回したくない男だ。



「ぼぼぼ、坊っちゃま! 奥様が産気づかれました!」


「なんだと!」



 憶測であるとはいえ、たどり着いた答えを国王陛下に報告するべく紙を取り出したところで、血相を変えたセバスチャンが執務室に転がり込んできた。


 俺はマティアス殿に報告を任せ、すぐにアネットの部屋へと向かった。



「アネット!」


「うう……痛っ」



 部屋にはすでに祖母がいて、ベッドに横になるアネットの背を摩っていた。



「街の助産師を呼んできな! 出産は体力勝負だ! ゼリーや果物も用意して!」



 テキパキと飛ばされる指示を受けた侍女たちが慌ただしく部屋を出入りしている。



「クロ坊! あんたはアネットの手を握ってやんな」


「あ、ああ! アネット。俺はここにいる」


「はぁ……はぁ……クロヴィス様……」



 アネットの額には汗で前髪が張り付いていて、侍女たちが大量に用意してくれているタオルを一枚取って額の汗を拭いた。



「まだ陣痛の間隔が長い。順調にいけば今夜遅くといったところだろう」



 手早く白衣に着替えた祖母に言われ、思わず窓の外を見る。まだ太陽が登り切ったところだ。


 夜までとなると長丁場になる。お産に関する知識はカロライン嬢に叩き込まれてはいるが、俺にできることは限られている。陣痛が始まったばかりのようだが、すでにこんなにも痛そうにしている。これから本格的に陣痛が始まるとどうなるんだ?



「あんたがそんな顔をしていちゃ、アネットも不安になるだろう。どんと構えてな」


「あ……はい」



 いつの間にか奥歯を噛み締めていたようで、祖母に背中をドンと叩かれてようやく肺に溜まった息を吐き出せた。


 そうだ、今一番苦しくて不安なのはアネットだ。俺が動揺してどうする。



「お母たま!」



 その時、フィーナとカロライン嬢が部屋に雪崩れ込んできた。フィーナはまっすぐアネットの元へ駆けてきて、俺が握っている手と反対の手をギュッと握った。



「フィーがいます。お母たま」


「フィーナ……ありがとう」



 どこか緊張した面持ちのカロライン嬢は、祖母から白衣を受け取っている。



「覚悟を決めな」


「……はい!」



 カロライン嬢は力強く頷くと、着替えのために一度部屋を出ていった。


 俺とフィーナは交代でアネットの腰のあたりを摩りながら、水を飲ませたり、汗を拭いたり、俺たちにできることをした。フィーナについてきたウォルも心配そうに『クゥン』と鳴きながらアネットにそっと寄り添っている。


 アネットは痛みの波があるようで、痛みが引いている間にゼリーを口にしたり、ほうっと息をついたりしている。







 いつの間にか窓からは西陽が差し込む時間となった。日差しが眩しいだろうとカーテンを閉めるべく立ち上がった時、窓から勢いよく何かが飛び込んできた。



『大変だよー!』


「どうした?」



 それは最近よくアネットの元に訪れてくる精霊だった。


 興奮した様子で室内を飛び回っていたので捕まえて目線を合わせる。

 あわあわと慌てて手から抜け出そうとするところを指で背を叩いて落ち着かせると、ようやく俺の顔を見て、ジワリと目にいっぱいの涙を浮かべた。



『あう……悪い人間がいっぱい。僕たちの、森の近く。ずっと嫌な感じはしてたの。でも、いっぱい、いっぱい近付いてる。とっても嫌な感じで、ザワザワ、ピリピリする』


「何⁉︎」


「あなたたちの森って……ナディル村の近くの? 私たちがソナスの実を採りにいったあの森かしら?」



 いつの間にか俺の足元でこちらを見上げていたフィーナが静かな声音で問うた。


 精霊はようやく冷静になったのか、俺の手から抜け出して弱々しくフィーナの顔の前に降りていく。



『うん、そう。僕たちはこの国の外のことには干渉しないって決まりがあるから、ずっと嫌な感じはしていたんだけど……お空の高いところから見ていたら、たくさんの人間が……!』



 なんということだ。砦の監視役からはまだ伝達は届いていない。きっと、彼らが検知するよりも早く、ずっと遠くの敵を視認して急いで知らせに来てくれたのだろう。



「よく知らせてくれた。案内してくれるか?」


『もちろん! 僕たちも戦う!』


「ありがとう。力を貸してくれると助かる」



 俺はシンと静まり返った室内を見回す。


 お産の準備が整い、助産師や祖母、カロライン嬢、それにクロエとセバスチャン、サポートのために控える侍女たちが固唾を飲んでこちらを見ている。



「クロヴィス様……」


「アネット」



 肩で呼吸を整えていたアネットが、ゆっくりとこちらに手を差し出した。俺は急いでベッドサイドに駆け寄り、両手でその手を包む。


 俺は領主として、国境を守るものとして、すぐにでも現地に駆けつけねばならない。

 だが、アネットを置いてはいけないと葛藤する自分がいるのも事実だ。


 つい強く手を握りしめてしまう。

 すると、アネットがふわりと微笑んだ。



「クロヴィス様、行ってください。私も頑張りますから……必ず、戻ってください。この子と待っています」


「っ! 生まれるまでに全て片付けて帰ってくる! みんな、どうか頼んだ」



 俺はアネットに口付けを落とすと、真剣な面持ちで動向を見守っていた一人一人に視線を投げた。みんな力強い頷きを返してくれる。彼らに任せれば、きっと大丈夫だ。



「お気を付けて」


「ああ、行ってくる」



 俺は身を翻すと、アネットの部屋を出た。急いで騎士服に着替え、剣を腰に差す。

 訓練終わりの騎士たちに準備が整い次第国境に向かうよう指示を出し、俺は先んじて出発するべく厩舎を目指した。



『クロヴィス、急いで!』


「付いてきたのか! ああ、急ごう」



 脅威の接近を知らせてくれた精霊が、いつの間にか俺の肩にしがみついていた。

 ナディル村まではどれだけ馬を飛ばしても数時間はかかる。急がなくては。



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୨୧┈┈┈┈┈┈ 12月10日配信┈┈┈┈┈┈୨୧

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