第六十四話 精霊たちの心配事 ◆sideフィーナ
中庭に色とりどりの花が咲き乱れ、すっかり春らしくなってきた。
私は努力の甲斐あり、マティアス様の自称弟子のポジションを手に入れた。
やっぱり本物の画家だから、私のにわか知識とは違って本場仕込みの技術をたくさん教えてくれる。一朝一夕で身につくものではないけれど、気をつけるか否かでかなり絵の印象が変わってくる。今は可愛い五歳児だけれど、成長するにつれて手も大きくなるし筆圧も強くなる。できることはきっとこれからどんどん増えていくのだろうと思うと興奮が止まらない。
ついついたくさん描きすぎて、王都のクロアネファンクラブ会員メンバーである一緒にお茶会をしたご令嬢たちにも高頻度で絵を送っている。 もちろん、屋敷のみんなの分も忘れない。それに、どうやらジュエンナたまも政略結婚で始まった孫夫婦のことは気になるらしく、萌えエピソードを頻繁に聞きにきてくれる。そろそろファンクラブに勧誘しても良さそうだわ。二つ返事で入ってくれる未来しか見えない。
ジュエンナたまといえば、どうやらミランダが過去を打ち明けてくれてからしばらくして、彼女の元を訪ねてきたらしい。
『あの……! 改めまして、ミランダ・カロラインです。私、助産師の仕事にとても関心がございまして、よろしければジュエンナ様のお話をお伺いできますか?』
『ほう? クロ坊に聞いているよ。どうやら妊娠や出産に関する知識は豊富らしいね。いいよ。私の指導はスパルタだけれど、ついてこられるね?』
『は、はい! お師匠様!』
『ジュエンナさんとお呼び!』
『ジュエンナさん!』
といったやり取りがあったのだとジュエンナたまが嬉しそうに教えてくれた。
ジュエンナたまは屋敷に滞在している間、サンルームで花を育てたり、中庭の一角を使って野菜を育てたりして土いじりを楽しんでいる。あとは私やお母様と話をしたり、抜き打ちでセバスチャンの働きぶりを監視したりと充実しているように見えたけれど、まだまだ物足りなかったようだ。パワフルおばあちゃんである。おばあちゃんなんて本人の前で言ったらゲンコツものだけど。
指導対象を得たジュエンナたまはとても生き生きしている。宣言通り、とてもスパルタのようでミランダはいつも私に泣き言を溢しにくる。でも、漠然と目的なく過ごしていた日々を顧みると、随分と目に輝きが宿っているように見える。
「平和ねえ」
「そうですね」
そして私は今、中庭の一角で昼寝をしているウォルのお腹を枕に日光浴をしている。しっかりピクニック用のシートを敷いているし、せっかくなのでお昼もここで食べようとサンドウィッチの入ったカゴまで準備済みだ。もちろんクロエが。
そんなクロエは私の横に腰を下ろし、刺繍に興じている。ぬいぐるみ作り以来、モノづくりのスイッチが入ったようで、今は刺繍がマイブームらしい。この間もウォルモチーフの刺繍が施されたハンカチをもらった。刺繍糸を重ねて立体感を出し、今にも動き出しそうな仕上がりだった。本当になんでもできる侍女だわ。淑女の嗜みとして教えてもらおうかしら。
そよそよと風が遊ぶように頬を撫で、柔らかな日差しが心地よい。風がそよぐたびに、茂り始めた若葉が擦れる音がして耳が楽しい。目を閉じまどろんでいると、スッスッとクロエが一定のリズムで刺繍糸を通す音が聞こえる。あー、寝そう。これは寝る。
うとうとと瞼が重くなってきた時、視界の端で所在なさげに精霊が飛んでいる様子を捉えた。
「あら、どうかしたの?」
『あ、フィーナ。ううん、なんでもないよお』
声をかけてみても、精霊は誤魔化すように首を左右に振る。そういえば、いつも楽しそうに中庭や屋敷を飛び回っている精霊たちが最近は随分と大人しいような気がする。
「何か心配事?」
『ううん、まあ、そうだねえ』
なんとも歯切れが悪い。彼自身も不安の正体をはっきり認識していないのかもしれない。
「何か話したいことがあったらいつでも言ってね。美味しいお菓子でも食べながらお話ししましょう」
『うわあ、それは素敵だねえ! ありがとう、フィーナ!』
私の提案に、精霊はパァッと表情を輝かせてくれた。うんうん、いつもの調子が出てきたじゃない。
『そういえば、アネットの調子はどう? 元気?』
「お母様? ええ、元気よ」
『そっか、よかった。ずっと元気がなかったから、みんな気にしていたんだよお。会いにいってもいいかなあ』
「ええ、もちろん! お母様も喜ぶと思うわ」
『本当? じゃあ、今度みんなで会いにいくよ!』
精霊はむふふ、と嬉しそうに肩を揺らしながら中庭の奥へと飛んでいってしまった。
ん? みんな? 他のお友達も誘ってくるのかしら。
精霊に囲まれるお母様の姿を想像し、思わずだらしなく口元が緩む。可愛いと可愛いの共演は最高なんだもの、仕方がないわよね。
「お嬢様、涎」
でへへ、と自分でも不気味だなと思う笑みを浮かべていると、クロエが慣れた手つきでハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう、クロエ」
私はそのハンカチをありがたく受け取って口元を拭った。
ハンカチには、春の花であるチューリップと、妖精のシルエットが小さく刺繍されていた。




