第六十二話 ミランダの前世 ◆sideフィーナ
マティアス様が辺境伯家に通うようになって早くも三日が経過した。
早速お母様の絵を描き始めているようで、頃合いを見て見学させてもらおうと密かに考えている。だってプロの技術を目の当たりにできる機会なんてそうないじゃない! これは創作活動を発展させるためにも必要不可欠な出会いだったのよ。
さて、今日は数日ぶりにミランダとリュークとのお茶会である。
天気がいいのでサンルームを使用している。中庭のガゼボにはお母様とマティアス様がいるからね。
ちなみにガゼボはお父様の執務室からよく見える位置にあるので、たまに心配そうにチラチラとお父様が窓際にやってきては二人の様子を見ているのがたまらなく萌える。自分で画家を手配したくせにマティアス様に嫉妬しているんだもの。分かりやすすぎる。
マティアス様が帰ってからお母様を捕まえて、さりげなく何の話をしていたやら絵の進み具合やらを聞き出そうとしているのも可愛い。
昨日なんて、私も入れて三人で夕飯を摂っている時にぎこちなく尋ねるものだから、思わず「むふふ、お父たま、しっとですか?」と聞いてしまった。その時の二人の初々しい反応ときたら……! ウッ、思い出しただけで動悸息切れがひどい。
そんなこんなで慌ただしく過ごしていたので、すっかりマティアス様との関係を追求しそびれていたから、早速話題に上げてみる。
「それにしても、あなたに婚約者がいたなんてね……それなのに私のお父様を狙っていたわけ?」
ちょっぴり皮肉を混ぜてみれば、ミランダは気まずげに唇を尖らせた。
「うるさいわね。それに関してはしっかり反省したでしょ。それに、原作にもミランダに婚約者がいただなんて一文字も書いていなかったんだから、記憶が戻って混乱しちゃったわよ」
後半は私にだけ聞こえるように手で口元を隠して私の耳元で囁いた。リュークやクロエには私たちが転生者だってことは話していないからね。
「それに、あの人は形だけの婚約者よ! 婚約してからすぐに留学してほとんど交流はなかったし。私は認めていないわ」
「ふうん? 見るからに絵本の中の王子様って美形なのに、何が気に入らないのよ。あんなにあなたのことが大好きだって言ってくれる人、この先現れるか分からないわよ。貴族社会だから政略結婚は当たり前だけど、心から愛してくれる人って本当に大切だと思うわ」
そう、私の推しカプである両親のように、互いに恋する初々しい夫婦の方が稀有なのだ。はあ、存在が尊い。国宝にすべきでは?
「そ、そうだぞ。やっぱり自分を好ましく思ってくれる人と結ばれるのが幸せだと僕もそう思う」
リュークも同じ考えなのか、口ごもりながらも賛同してくれた。チラチラとこちらを見てくるのはきっと私の両親のことを言ってくれているからだろう。ふふふ、布教の成果が少しは見られるかしら? まあ、リュークからしたら、マティアス様は兄のように慕う人だもの。私の援護射撃をして彼の幸せの後押しをしたい気持ちはよく分かるわ。うんうん。
腕組みをして全て分かっていますよの顔をしながら頷いていると、給餌をしてくれていたクロエが哀れみの表情を浮かべながら首を左右に振った。何よ。
「で、彼の何が不満なのよ」
冷えたオレンジジュースで喉を潤しながら、ミランダに質問を投げかける。
するとミランダは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「私はもしもの時に颯爽と助けてくれる強い殿方に憧れているの! それこそクロエ様みたいに目にも止まらぬ速さで刺客を薙倒せるような素敵な人が好きなの! マティアス様は見るからにひ弱そうじゃない? 男らしさに欠けるというか……」
なるほど。確かにお父様も身体を鍛えていて頼り甲斐があるし、クロエに関しては言わずもがなだ。ミランダの好み、分かりやすいわ。
「む? マティアスは――」
「まあ、確かにマティアス様は優男で文系っぽいし筋肉は足りなさそうよね」
私の言葉とリュークの言葉が被ってしまった。
「ごめん。何か言いかけた?」
「……いや、いい。ここで言うのも無粋な気がする」
「ん?」
なんかカッコよさげなことを言っているけれど、その手に持っているのはオレンジジュースなのよね。グラスを両手で包みながらジュースを飲む姿は可愛いしかない。
親目線でひっそり微笑ましく思っていると、ジュースを飲み終えたリュークがグラスを置いて立ち上がった。
「僕はそろそろ訓練場に顔を出してくる」
「あら、もうそんな時間? 頑張ってね、リューク」
「あ、ああ」
そして僅かに口元を綻ばせながら、心なしか弾んだ足取りでサンルームを出て行った。
「私たちもお開きにする?」
私も飲み終えたグラスをテーブルに置いてミランダの様子を窺うと、ミランダはどこか考え込んだ様子でジッと一点を見つめていた。さっきまでのふざけた雰囲気とは打って変わった様子に、おや? と思う。
ふむ、これは他の人に聞かれたくない話があるって顔ね。
フィーナちゃんは空気が読める子。そっと手をあげてクロエに離れた位置まで下がってもらった。
ミランダは私の意図を察したのか、「ありがと」と小さく微笑んだ。
「マティアスのことなんだけど……確かに逞しい人が好みっていうのは嘘じゃないけど、本当の理由は他にあるの」
私はミランダの顔を真っ直ぐに見つめ、続きを促す。
「私が前世を思い出したのは、去年の夜会の少し前だって話はしたわよね。本当に突然のことだったから、ヒロインに転生とか勝ち確じゃん! 最高! って浮かれてやらかしちゃったわけなんだけど……まあ、もちろんこれまでのミランダの記憶も自分のものとして残っているわけ。あなたにも分かるでしょう?」
うん、私はまだ子供だからたくさんの思い出や記憶があるわけではないけれど、フィーナがその時々で感じてきた思いは確かに私の中にある。
「マティアスとは十歳の時に参加した王宮のお茶会で出会ったんだけど、その時のこともしっかりと覚えているわ。マティアスはあの日のことが忘れられなくて、夢を追う心の支えになっていたって言うのよ。でもやっぱり、それは『ミランダ』との思い出であって、『私』ではないの。本当に彼が好きなのは私ではないの。ここは今の私たちにとって現実の世界だってことは理解しているわ。でも、たまに思うのよ……前世の記憶を持つ私は、この世界から浮いた存在なんじゃないか、って」
ミランダは自嘲するように口元を歪めた。
空になったティーカップを両手で包み込み、茶葉が僅かに残るカップの底を見つめている。
そして息を一つ吐き、ゆっくりと私に目を向けた。
「フィーナ、あなたは前世のことをどこまで覚えているの?」
「前世のことを?」
「ええ」
うーん、と目を閉じて考えてみる。
しがない会社員をしていて、日々の癒しといえばライトノベルや乙女ゲーム。二次創作も積極的に取り組み、即売会で自作のイラスト集や漫画を出すほどには趣味に全力に生きていた。死んだ時のことはハッキリと覚えていないけれど、幼少期の記憶とか思い出はぼんやりと思い起こすことができる。
「フィーナの記憶と同じように思い出せるわよ」
「そう……私も、前世のことはよく覚えているの」
それからポツリポツリとミランダが語った前世の話。
助産師として産婦人科で働き、日々やりがいを持って働いていた。
けれど、自分が担当した患者さんに不幸が続いてしまった時期があったという。
うまく赤子を取り上げられるイメージが湧かなくなってしまい、助産師として志なかばで心が折れてしまった。しばらく休職して仕事を離れている間に、趣味の世界に逃げた。
その中でも、どハマりしたのが、今私たちがいる世界である『揺れる薔薇の秘めた恋』だった。
特典は全部集めて、イベント参加も皆勤賞。現実から目を逸らすようにどんどんと空想の世界にのめり込んでいき――不幸な事故で命を落とした。
「イベント会場に向かっている途中で通り魔に刺されたの。本当についていないわよね。結局私は仕事や責任から逃げて、折り合いがつけられないままこの世界に転生した。私は中途半端な存在なの。クロヴィス様には偉そうに教師面をしておいて、笑っちゃうわよね」
引き攣るような笑みを浮かべたミランダに、私の口は自然と動いていた。
「ミランダ、あなたやっぱりお母様の出産に立ち会うべきよ」
「で、でも……」
「ジュエンナたまも、街の助産師さんだっているんだもの。あなた一人じゃない。大丈夫よ。ね?」
ずっと小さく震えていたミランダの手に、そっと手を重ねる。随分と冷え切っている。
「私……怖いの。私がいることで、また……産声をあげない赤ちゃん、泣き崩れる母親。彼女たちの叫ぶような泣き声が、今でも耳の奥にこびりついたように反響するの」
ミランダはギュッと目を閉じ、背を丸めて両手で耳を覆ってしまった。
いつも明るくて猪突猛進なミランダにそんな過去があったなんて……
もしかするとミランダは、前世と今世の狭間に囚われているのかもしれない。
推し活に邁進することで、そんな現実から目を背けていたんじゃないかしら。
なんと声をかけていいのか悩んでいると、背後からヌッと伸びてきた手が、すっかり小さくなったミランダの背中をそっと撫でた。
「……クロエ様」
手の主はクロエだった。
声が聞こえない位置まで下がってくれていたけれど、明らかにミランダの様子がおかしいことに気付いたのだろう。安心させるように薄く笑みを携え、何度も背中を摩っている。
「何に囚われているのか私は存じ上げませんが、奥様のお産に立ち会うことを悩まれているのでしたら安心してください。お産には私も立ち会いますから」
すごいわ。クロエがいる、それだけで安心感が爆上がりよ。
ミランダはポカンと呆けて数度瞬きをした後、ふにゃりと表情を崩した。今にも泣き出しそうな、でもどこか安心したような、そんな顔。
「クロエ様がいらっしゃるなら、大丈夫ですね」
「ええ」
いつも煩わしそうにあしらっていても、放っておけない性格なのよね。クロエは優しいんだから。
「うえ〜ん、クロエ様〜!」
いつもの調子が戻ったミランダがどさくさに紛れてクロエに抱きつこうとしたけれど、手のひらで額を抑えられて完全拒否されていた。ここは揺るがないのね、クロエ……
ミランダは一通り胸に抱えていたものを吐き出すことができたのか、心なしかすっきりとした面持ちで、少し照れくさそうにサンルームを後にした。
前世でやり残したことを抱えるミランダ。彼女がどうにか気持ちに折り合いをつけることができたらいいなと思いながら、私も自室へと向かうために立ち上がった。
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