第五十六話 ジュエンナとアネット ◆sideクロヴィス(前半)
アネットの部屋に到着し、控えめにノックをして「アネット」と声をかける。
「まあ、大所帯ね」
部屋の扉を開けたアネットは、突然の訪問に驚きつつも快く招き入れてくれた。
「アネット、結婚式で一度顔を合わせていると思うが、俺の祖母のジュエンナ・アンソンだ」
「ジュエンナと呼んでおくれ」
「まあ、ジュエンナ様。領地内の村にお住まいと聞き及んでおります。出迎えもできずに申し訳ございません」
「いいんだよ。勝手にやってきたのは私だからね。それで、私がここにきた理由なんだが――」
挨拶もそこそこに、祖母は早速訪問の理由についてアネットに説明した。
俺の横にいたフィーナが驚いた様子で祖母を見上げ、憧憬の眼差しで見つめている。
そういえば、フィーナには詳しく説明していなかったな。
「ジュエンナたまが助産師! なんて心強い助っ人なのかしら。それに、一方的に毎月会報を送っていたけれど、滞在中は一緒に推し活ができるんじゃ……? 何それ最高じゃない!」
またブツブツと早口で何か言っている。聞き取れなかったが、とにかく喜んでいるということは伝わった。
アネットも驚きに目を瞬いていたが、話を全て聞き終えて反応を窺っていた祖母の手を両手でそっと包み込んだ。
「ジュエンナ様、とても嬉しいです。初めての出産で不安なことも多いので、ジュエンナ様がそばにいてくださることがどれほど心強いことか……短い間ですが、どうぞよろしくお願いします。屋敷でゆっくり過ごしてくださいね」
「ああ、受け入れてくれてありがとう。私の全てをかけて出産をサポートさせてもらうよ。よければアネットの話を色々聞かせてくれないかい? 久しぶりにセバスチャンの用意した紅茶も飲みたいし、早速明日天気がよければサンルームでお茶会でもどうだい?」
「まあ、素敵です。ぜひ」
こちらも良好な関係を築けそうで、俺は密かに安堵の息を吐いた。
祖母の突然の訪問には驚かされたが、最強の助っ人を得ることができたらしい。
会話を弾ませ、時折笑い声を上げる彼女たちの様子を見守りながら、俺はそっと笑みを深めたのだった。
◇
「いい天気だねえ」
「ええ、本当に」
中庭に面したサンルームで、クロヴィス様のお祖母様であるジュエンナ様とお茶会を楽しんでいる。
昨日、先触れもなくジュエンナ様が現れた時は本当に驚いたけれど、彼女の気持ちはとても嬉しかった。
最近少しずつお腹が大きくなってきているように思える。雪が溶け、春が訪れる頃にはもう少し目立つようになるだろう。
自身の身体の変化に戸惑いがないかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。僅かながら味覚にも変化があるように感じるし、時折お腹の奥が波打つ感覚はとても興味深く愛おしいものだ。
経験豊富なジュエンナ様は、これまで何人もの赤子を取り上げてきたと言う。妊婦の体調の変化にも詳しいし、クロヴィス様には相談しづらいことも気軽に聞くことができる。
「ところで、お祖父様はジュエンナ様がここにいることをご存じなのですか?」
「ああ、あの人かい? まあ、村にある家に置き手紙を用意してきたから、戻った時に知ることはできるだろう。一体今どこをほっつき歩いているんだか」
クロヴィス様のお祖父様は、私のお祖父様と古くからの親友で、今でも二人で国内外を奔放に訪れている。去年の王都での騒動の際には、前王陛下に呼び出されて珍しく王都に留まっていたけれど、事件がある程度片付いたことを見計らってまた放浪の旅に出たと聞いた。
どこにいるか分からないので、私の妊娠の知らせももしかすると二人には届いていないのかもしれない。後から知って悔しがる様子が目に浮かぶようで、つい苦笑してしまう。
「どうかしたかい?」
「いえ、お祖父様たち、赤ちゃんが生まれてから妊娠のことを知りそうだなあ……と。悔し涙を流すところまで容易に想像できて、つい」
「あっはっは! 確かにね。まあ、幾つになってもジッとできずにウロチョロしている方が悪いんだ。アネットが気にすることはないよ」
「はい……」
フィーナにもデレデレで甘すぎるぐらい甘いのに、赤ちゃんが生まれたらどうなるのだろう。
なんてことを考えるのも、楽しくて幸せなことだ。
「これからどんどん身体が変化していくし、気持ちが不安定になることだってある。でもそれは自然なことだから、あまり気にしすぎるんじゃないよ。不安なことがあれば、私にいつでも相談するんだよ」
「ありがとうございます。本当に心強いです」
「そうかい、そう言ってもらえるなら来た甲斐があったよ。親切の押し売りをされて嫌がる人もいるからね。正直ありがた迷惑に思われるかもしれないと不安だったんだ」
ジュエンナ様は、照れくさそうにはにかみながらセバスチャンが淹れてくれた紅茶を口に含んだ。
「うん、また腕を上げたようだね。美味しいよ」
「ありがたき幸せ」
「セバスチャン?」
ジュエンナ様に褒められたセバスチャンが、胸に手を当てて最敬礼をしている。
先ほどから二人の様子を見ていたけれど、主従関係とはまた違った関係性が垣間見えた。どちらかといえば師弟関係のような……? またの機会に聞いてみよう。まあ、ジュエンナ様が屋敷にいた頃からセバスチャンは執事として活躍していただろうから、関わり合いは深かったのでしょう。
「それにしても、第二王子はすっかり健康的になったね。もっとずっと子供の頃に謁見したことがあるけど、見違えたよ。俯いてばかりだったあの子がねえ……それに、どういうわけか宰相の娘まで居座っているし、奇妙な縁が繋がったものだね」
ジュエンナ様は王都での一件についてご存じだ。お祖父様が当事者の一人だから、詳しい話を聞いているはず。リューク殿下とも面識があるようで、彼の成長や変化を目の当たりにして笑みを深めていた。
「人と人との出会いは、偶然であり必然でもある。リューク殿下はいい出会いに恵まれたね」
「そうだといいなと思います」
リューク殿下はご両親に定期的に手紙を出している。辺境伯領での生活や、日々の鍛錬のことを楽しそうに綴っていると聞いて私も嬉しく思ったものだ。
今日は天気がいいので、フィーナとウォルと一緒に中庭で遊んでいるようだ。時折楽しげな笑い声がここまで響いてくる。
サンルームは中庭に面しているので、雪遊びをする様子がよく見える。雪を丸めて投げ合っているようで、二人とも雪まみれになっている。
そのうちクロエに制止されてお風呂に連れて行かれるのでしょうね。
私とジュエンナ様は顔を見合わせて笑い合った。
「転んだら大変だから雪遊びは勧められないけど、あとひと月もすれば雪解けだ。そうすれば中庭を散歩することもできるだろう。つわりの間に落ちた体重は戻りつつあるようだけど、体力はまだ戻り切っていないはずだよ。出産に向けて体力作りは必要さ。幸い、散歩の相手には困らないだろうし、春になったら外の空気を目一杯吸って、ゆっくり中庭を歩いて、自然を身体中で感じるんだ。心が安らぐ記憶をたくさん作っておくんだよ」
「ジュエンナ様……はい、分かりました」
セバスチャンが紅茶のおかわりを注いでくれて、他愛の話をいくつか交わした。
穏やかな時間が流れる中、突然「きゃあっ!」という小さな悲鳴と共に、ボフン、ボフン、と続け様に鈍い音が聞こえた。
サンルームの窓から中庭を覗くと、どうやら足をもつれさせたフィーナとリューク殿下が雪の中に倒れ込んだようだった。呆れ顔のクロエが軽々と二人を両脇に抱えて屋敷の中へと消えていった。その足元で戯れるようにウォルが遊んでいる。
予想通りすぎる展開に、私たちは堪えきれずに吹き出したのだった。




