第四十四話 リュークの鍛錬 ◆sideフィーナ
ナヴェル村へは早速明朝出立することになった。馬で半日近く――実際には八時間ほどかかるので、泊まりがけでの訪問となる。
影が長く伸びる夕暮れ時、私は散歩がてらふらりと国境警備を担う騎士の訓練場へとやって来ていた。
訓練場を覗き込むと、訓練終わりの騎士たちが壁際で汗を拭いながら談笑していた。
「やあっ! はあっ!」
そんな中、最後の一組と思しき二人が訓練場の片隅で剣を交えていた。
一人は若手の騎士。もう一人は、騎士の訓練に参加しているリューク殿下だ。
リューク殿下は歯を食いしばり、懸命に訓練用の木剣を振り翳しては相手に打ち込んでいる。
だが、その太刀筋は全て見切られているようで、難なく凌がれている。
「隙あり!」
「あっ!」
騎士はリューク殿下の大振りな攻撃を交わすと、素早い動きでリューク殿下の喉元に切先を突きつけた。
「う……参った」
リューク殿下は力無く木剣を下ろし、肩を落とした。
「殿下、随分と長く剣を振るえるようになりましたね。まだまだ動きが大きくて隙も多いのですが、成長スピードには目を見張るものがあります」
「ほ、本当か⁉︎」
二人の打ち合いを見ていた先輩騎士がリューク殿下に声をかけている。騎士は殿下の後ろに回り込み、包み込むように殿下の両手に手を重ねる。
「脇を締めて、力みすぎないように」
「こ、こうか?」
「ええ、そうです。いいですよ」
ビュッ、ビュッ、と木剣が空を切る音がする。騎士に構えを矯正されながら、懸命に木剣を振るリューク殿下。その度に汗の粒が舞い、柔らかな夕陽を反射してキラキラと輝いている。
初めて出会った時は、人生を諦めた目をしていたけれど、今の彼はとても生き生きとしている。
「喜ばしいことね、クロエ」
「左様でございますね、お嬢様」
鍛錬に没頭するリューク殿下を見守りながら、私とクロエは密かに笑みを深めた。
指導が終わったところを見計らい、私はリューク殿下の元へ向かった。
「リューク殿下、鍛錬お疲れ様です」
「なっ、フィーナ⁉︎ み、見ていたのか?」
リューク殿下にタオルを差し出しながら微笑みかけると、殿下はギョッと目を剥いて目を激しく泳がせた。そして観念したように、はあ、と息を吐き出した。
「負けたところも見ていたのだろう? まだまだ思うように身体が動かない。失敗ばかりで格好悪いところを見せたな」
「え? かっこいいじゃない!」
目をパチパチ瞬きながら首を傾けると、リューク殿下はおかしなものでも見る目で見つめてきた。
「何を言っている? 失敗は恥ずかしいことだろう」
「リューク殿下こそ何を言っているの? 失敗をするってことは、挑戦したってことじゃない。挑戦をしないと失敗はしないもの。高い壁や未知のことに挑戦する。それはとってもかっこいいことだわ!」
にっこり笑って伝えると、リューク殿下の瞳が激しく揺れた。そして何かを堪えるようにキュッと唇を引き結び――ぷはっ、と吹き出した。
「……ははっ、そうか、そうだな」
何かが吹っ切れたように肩を揺らして笑い続ける殿下。何がそんなにおかしいのかしら?
「はあ……本当に、フィーナはいつも俺の狭い世界を広げてくれる」
その時、ザアッと一筋の風が吹いた。冬の空気を孕んだ冷たく乾いた風。
木の葉とともにリューク殿下の髪が風に吹き上げられる。
夜闇のように美しい漆黒の髪がサラリと靡き、ルビーのように美しい紅い目が真っ直ぐに私を見据えている。
まるで絵画のような一幕に、私は思わず息をするのを忘れて見入ってしまった。
……脳裏に焼き付けて、あとで絵に描いて残さなきゃ。
そう思うほどに、リューク殿下の笑顔は眩しかった。
◇
今日の鍛錬は先ほどの打ち合いで終わりのようで、私とクロエはリューク殿下と一緒に屋敷内に戻ってきた。リューク殿下はこのあと湯浴みをしてから食堂にやってくる。
「じゃあ、リューク殿下。後で、食堂で会いましょう」
夕食はお父様とお母様と食べる日もあれば、ミランダやリューク殿下と食べる日もある。今日はリューク殿下たちと食べる日だ。
部屋の前まで見送ってから、手を振り立ち去ろうとしたところ、手首をギュッと握られた。
驚いて見上げれば、リューク殿下が覚悟を決めたような表情でこちらを見ている。思ったよりも力が強くてびっくりした。
「リューク殿下?」
どうしたのだろうと彼の言葉を待つ。けれど、殿下は何度も瞳を逸らしては顔を上げて、口を開けては閉じてを繰り返している。ついには不服そうに唇を尖らせてしまう。戸惑いクロエに助けを求めれば、クロエは口元に微笑を携えている。
「……辺境伯領にいる間は、第二王子ではなくただのリュークだ。だから、その……な、名前で呼んでほしい」
「え、でも……」
ようやく口を開いたかと思えば、なんと名前で呼んで欲しいと言う。
さすがにそれは不敬では? と、戸惑いながらリューク殿下を見上げる。すでに砕けた口調で話しているので今更な気もするんだけど。
リューク殿下は真剣な顔をしていて、彼の要望に応えなくてはと思わされてしまう。
「……えっと、リューク?」
いいのかなあ? と思いながら窺うように名前を呼ぶと、殿下……じゃなくて、リュークはパッと表情を華やがせた。
ウッ、幼いとはいえやっぱり美形だから笑顔が眩しいわ!
つい最近大人リュークを妄想していたから、少し調子が狂っちゃうわね。
リュークはご機嫌な様子で「じゃあ、後でな!」と部屋に入って行き、廊下には私とクロエが取り残される。
「……クロエ、私、リュークのこと推しちゃいそうだわ」
「私は最近、推しカプが増えたところでございます」
「えっ、誰よ⁉︎」
「こればかりは言えません」
「なんで⁉︎」
何度問いただしても、クロエは新たな推しカプを教えてくれなかった。推しが増えるのはいいことだけれど、私とクロエの仲なのだから、共有してくれてもいいじゃないの!
ちょっぴり不満だったけれど、先ほど訓練場で見たリュークの表情の記憶が鮮明なうちにラフに起こしてしまおうと、急いで自室へと戻った。
殿下が頑張ってる……!(ブワッ




