第四十二話 つわりに効く食材 ◆sideフィーナ
お父様に喝を入れ、ミランダのマタニティ講座を受けてから数日。
昼食を済ませた私は今、お母様の部屋をこっそり覗き込んでいる。
中には、ベッドに横たわるお母様の手足を熱心にマッサージするお父様の姿があった。
時折楽しげな笑い声が聞こえてくる。なんと和やかな光景なのだろう。
「お父様とお母様の関係性がまた一歩進んだようね。ぐふふ、互いに慈しみ合う推しカプ、尊すぎるわ!」
お母様は依然としてつわりが辛そうだけど、お父様と共に過ごす時間が増えてから穏やかな表情をする日が増えてきた。すれ違いと和解を繰り返し、関係性を深めていく。素敵な夫婦じゃないの。
「お嬢様、涎」
「はっ!」
すっかり慣れた様子のクロエが素早く白いハンカチを差し出してくれる。
ちなみにこういう時のために、クロエは複数枚ハンカチをメイド服に忍ばせているらしい。枚数は知らない。多分私が思っているより仕込んでそうだけど、見た目では分からないのが末恐ろしい。たまにタオルも出てくるから底が知れないわ。
口元を拭ってから再び扉から顔を覗かせると、パチリとお母様と目が合ってしまった。
「あら、フィーナ。そんなところにいないで近くにいらっしゃい」
しまった、見つかってしまったわ! と思ったけれど、お母様はふわりと微笑んで快く招き入れてくれた。女神。天女。我が尊き推しよ。
お言葉に甘えてベッドサイドの椅子にちょこんと座る。ちょうどマッサージが終わったようで、お母様はお父様から水の入ったグラスを受け取っている。
完全に悩みが吹っ切れたお父様は、それはもうお母様に構い倒している。「過保護すぎるわ」と困った顔をするお母様もまんざらでもなく、いつも嬉しそうに頬を緩めているのだ。さすがに仕事をするための執務机を運び入れようとした時は止められていたけれど、仕事中以外はずっとお母様の部屋にいる。
お母様が水を飲んだことを確認してから、お父様はグラスを素早く回収し、ベッドサイドに置かれたワゴンに手を伸ばす。小さくカットされたリンゴをフォークで刺し、満面の笑みでお母様の口元へと運ぶ。
「ほら、アネット。口を開けて」
「ク、クロヴィス様……自分でできます。それに、フィーナが見ているではありませんか」
お母様が頬を染めて私の方へチラリと視線を投げる。
「フィーのことは空気だと思ってください」
「それ昔にも言っていたわね……一体どういうことなの?」
「言葉のままの意味です。フィーのことは気にせず、さあどうぞ。続けてください。さあ、さあ!」
「お嬢様、落ち着いてください」
おっと、いけない。鼻の穴を膨らませて鼻息荒くお母様に迫ってしまったわ。
スーハーと呼吸を整え、気持ちを落ち着かせる。すると、不意にワゴンに載せられたお皿が目に入った。そこには白パンや野菜を柔らかく煮た料理が用意されている。半分も減っていないので、やっぱりまだ食事をしっかり摂るのは辛いみたいね……
「何か、つわりに効く食材があればいいんだけど……」
消化にいいものや、さっぱりして喉越しがいいものぐらいしか思いつかないけれど、それは十分すぎるほど料理人たちが考慮してくれている。
思わず独り言ちた時、お父様がハッとした様子でガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「つわりに効く食材……! そうだ、最近そんな果実の話を聞いたぞ」
「えっ⁉︎」
お父様はワゴンにフォークを置いてからお母様に断りを入れ、チュッと頬にキスを落としてから慌てて部屋を出ていった。
え、待って。今、スマートに何をされましたか⁉︎ お母様ったら、私のことを気にしてめちゃくちゃ照れているじゃないの! カーッ! ありがとうございます‼︎
クロエ、見た⁉︎ と、萌えの共有をするべくクロエの様子を窺うと、クロエは緩みそうになる表情を必死に保とうとして口元がすっごくピクピクしていた。分かるわ、その気持ち。
ボフン、とベッドの端に顔を押し付け、叫びそうになる衝動を抑える。お母様が戸惑いがちに頭を撫でてくれるものだから、また叫びそうになって危なかったわ。
私が行き場をなくした萌えを頑張って消化しようとしているうちに、先ほど出ていったお父様が戻ってきた。
「ん? フィーナ、何をしている?」
「なんでもありましぇん」
スッと背筋を伸ばして澄まし顔をすると、お母様とクロエが小さく吹き出した。クロエまで!
「そうか? 眠いなら部屋に戻って昼寝をするといい。で、さっき話していたつわりに効く食材のことなのだが……」
そう言ってお父様がベッドの上に広げたのは、アンソン辺境伯領の地図だった。
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