第三十七話 ミランダの意外な一面 ◆sideフィーナ
家庭教師との勉強が終わり、自習の時間。すでに一通りの学習を終えているリューク殿下がいつもは復習に付き合ってくれるんだけど、今日はミランダも参加して談笑タイムとなっている。
「そう、つわりが始まったのね」
ミランダが洗練された動きでティーカップを傾ける。一応は侯爵令嬢だから、礼儀作法は完璧なのよね。ミランダの本性……ごほん、性格を知っているだけに違和感がすごいわ。
「つわりも千差万別よ。多分、アネット様は食べづわりね。お腹が空くと気持ち悪くなっちゃうの。食べるのも辛そうだから、少量ずつ、食事の回数を増やしてみるといいかも」
「ふむ、空腹にならないようにすればいいのか。それならば対策も立てやすいのではないか?」
こちらも優雅な動きでティーカップを傾けるリューク殿下。
え、私?
マナーについては絶賛勉強中よ!
だってまだ五歳だもの。
「そんな単純なものじゃありませんよ。食べればいいんだって思っていても、気持ちが悪いから食べるのも辛い。食べないともっと気持ち悪いけど、食べられるものもその時によって違うこともあります。吐きづわりとはまた違った苦しさがあるんだから」
ミランダは物憂げに息を吐いた。
「ミランダ、あなた随分と詳しいのね」
「まあね。私、生前は助産師だったもの」
「えっ⁉︎ そうなの⁉︎ 意外すぎるんだけど!」
「何よ失礼ね!」
やけに詳しいと思ったら、ミランダが助産師だったなんて……あ、ミランダじゃなくて、前世のミランダか。ややこしいわ。
でも、ここは喜ぶところよね。
「ねえ、私、お母様の支えになりたいの。私にいろいろ教えてちょうだい!」
パンッと両手を合わせておねだりする。上目遣いも忘れないわ。紅茶のおかわりを注いでいたクロエがなぜかキュッと唇を引き結んだ。それからリューク殿下まで口元に手を当ててゴホンゴホンと咳払いをしている。あまりにキュートすぎたかしら?
「ふふ、いいわよ。でも、私は甘くないからね!」
「バッチコーイ!」
「なんなのだ、それは……フィーナは時折不可思議な言葉を使うな」
気合十分に返事をしたら、リューク殿下が怪訝な顔をした。呆れ顔をしつつも席を立つ気配がない。
「あれ、殿下も一緒に話を聞きますか?」
普段、推し談義に花を咲かせすぎた時なんかは「付き合ってられん……頭が痛くなってきた……何かの呪文か?」とフラフラ退席することがあるから、今回も話の内容的に離席するかと思っていたんだけど。
目をパチパチ瞬きながら尋ねると、途端に殿下は頬を染めて目を泳がせ始めた。さっきから表情の変化が忙しない。
「そ、そうだな。いつか役に立つかもしれんしな」
リューク殿下はそう言いながら、チラチラと私を見てくる。どういうことかしら。
「あらあら」
ミランダはリューク殿下の言葉の意図を理解しているのか、口元に手を添えてニマニマしている。クロエも頬がピクピクしているわ。
「とにかく、口に入れられるものを食べた方がいいから、飴とかゼリーとか、すぐに食べられるように用意しておくこと。ここは食材も豊かだから心配ないけど、色々な種類の食材を用意しておくのも大切ね。昔担当した妊婦さんがそうだったんだけど、その日によって食べられるものとか食べたいものが変わるから、しっかりアネット様に確認することね。彼女、主張するのが苦手で我慢しちゃうタイプでしょう? その辺はしっかりフォローしてあげないとね」
「あなた本当にミランダ?」
「失礼ね!」
猛烈な勢いでメモを取りながら、ついつい本音が溢れてしまう。ミランダにこれほど頼りがいを感じる日が来るなんてね。
感心していると、手元だけでなく背後からもカリカリカリと素早いペンの音が聞こえたので驚いて振り返る。クロエもものすごい勢いでメモを取っていた。できる侍女だわ。
「お医者様が定期的に診てはくれるだろうけど、安定期に入るまでは健康第一、絶対安静にね。身体もだけど心の健康にも気を配ってあげてね。ずっとベッドにいると気が滅入っちゃうから、体調のいい日は軽く中庭や屋敷の中を散歩するのもいいかも。運動不足は良くないからね」
「イエス、マム!」
「軍隊か」
ビシッと敬礼した私とクロエを前に、ミランダは呆れ返ったようにため息を吐いた。
すっかり素が出てきたようでいい傾向ですね。
ヒロインムーブをやめたミランダは自然体で過ごすことが増えてきた。どちらかといえば元々からりとした性格なのだろう。私としては裏表がない素の彼女の方が好ましいと思う。まあ、王都では淑女として有名だったらしいから、リューク殿下は未だに戸惑いがあるみたいだけど。
私たちのやり取りに困惑しているリューク殿下に微笑みかける。
「なんだ、その生温かい目は」
「むふふ、いえ。リューク殿下もすぐこちら側に来られますから」
「どちら側だ」
なぜかブルリと身を震わせるリューク殿下。両腕を抱えるようにしてこすっているけれど、寒いのかしら? もうすっかり冬だものねえ。
噛み合わない会話をする私たちを、ミランダが頬杖をつきながらニマニマ観察してくる。だからなんなのよ。
「何よ」
「んー? 萌えの芽吹きを感じているの」
「分かります」
「クロエまで?」
普段ミランダに対しては塩対応のくせに、こういう時だけ肩を持つんだからよく分からないわ。二人は意外と気が合うんじゃないかと思うのだけど、そう言うとクロエがものすごく嫌そうな顔をするのよね。あんなにクロエの表情を変えさせるミランダもすごいと思うわ。
この日から私たちはミランダから妊娠や出産について学ぶことになった。




