番外編 クロエの一日<後編> ◆sideクロエ
「うーむ、なんだか今日は筆が乗らないわ」
家庭教師との勉強と昼食を終えたフィーナお嬢様は、日課となっている推しカプのイラスト制作に励んでいる。
ところが、いつもは目にも止まらぬスピードでペンを走らせているお嬢様の手が止まった。
珍しいこともあるものだと様子を窺っていると、お嬢様はしばらくうーんうーんと唸った後、ペンを机に置いてパンと手を叩いた。
「インスピレーションが足りないわ! 萌えは自給自足! クロエ、お父様とお母様を探すわよ!」
「え、お嬢様!?」
お嬢様の行動は早かった。
瞬きのうちに素早く机の上の画材を片付けると、一目散に廊下に飛び出していく。
私はソファで心地良さそうに昼寝をしているウォルを横目に、慌ててお嬢様を追いかけた。
お嬢様はしばらく廊下を進んでからピタリと足を止め、両手を耳に当てて何やらブツブツと呟き始めた。
後ろに控えながら、何を言っているのだろうと耳を澄ます。
「反応せよ、私の萌えセンサー」
……いつも通りよく分からない内容だった。
遠い目をして見守る私を尻目に、お嬢様はしばらく謎の呪文を繰り返し、カッと目を開いた。
「中庭ね! 着いてきて、クロエ!」
「……かしこまりました」
お嬢様は何かを察知したらしく、迷うことなく中庭を目指していく。
そして中庭に到着すると、素早く生垣に身を潜めて鋭い眼差しで周囲を警戒しつつ私を手招きした。暗部か。
呆れるような感心するような複雑な気持ちを抱えつつ、お嬢様に倣って気配を殺し、隣に腰を落として近づく。
お嬢様の奇行は今に始まったものではなく、私も随分と慣れてきてはいる。専属侍女たるべきもの、順応力は大切なのだ。
そして、一体全体どういう仕組みなのかは分からないが、お嬢様の『萌えセンサー』とやらは凄まじい的中率を見せる。
「ほら見て、お父様とお母様よ」
それは今日も例外ではなく、お嬢様の視線の先を追うと、ご主人様と奥様が手を取り合って中庭を散歩していた。
執務室に篭ってばかりだと仕事の効率も悪いだろうと、最近のお二人はよくこうして息抜きに散歩をすることが増えている。
お嬢様の行くところに推しカプあり。
推しカプに対するお嬢様の嗅覚はとてつもない。
お嬢様は風の精霊の加護を受けているので、もしかすると彼らがご主人様と奥様の声を拾ってお嬢様に届けているのだろうか?
――いや、さすがにそれはないだろう。
私は自分の中に浮かんだ一つの考えを打ち払うように首を振った。
私が頭の中で自問自答している間も、お嬢様はうっとりと推しカプの様子を眺めている。
「ふわああ……眼福だわあ……最近の二人ってば、前にも増して仲良しだと思わない?」
「おっしゃる通りかと存じます」
お嬢様の言う通り、私たちが屋敷に来た当初に比べると、お二人の関係は目に見えて良好になっている。
元々相思相愛であることは自明であったが、ご主人様も奥様も相手を慮るばかりにすれ違う日々が続いていた。
そんな日々を覆したのも、今私の隣にいる小さな女の子である。
「滾る……滾るわ……創作意欲が……!! メモとペンを持ってくるべきだった……!!」
お嬢様は口元に涎を垂らしながら食い入るように推しカプの逢瀬に見入っている。
……先ほどまでのしんみりした気持ちを返してほしい。
その時、中庭に強い風が吹いた。
咄嗟にお嬢様の肩を抱いて自ら壁となり、お嬢様をお守りする。
私と同じように、ご主人様も奥様の肩を抱いて突風から守っていた。
風が吹きやみ、奥様がご主人様の腕の中で顔を上げた。
遠目で何を話しているのかまでは聞き取れないが、きっとお礼を言っているのだろう。
優しい笑みを携えながら、乱れたご主人様の髪を整えている。
微笑ましい光景に、キュッと心臓が締め付けられるように切なく胸が疼いた。
この感情は、お嬢様曰く、『ときめき』というものらしい。
「ぐっ……絵になりすぎる……! 次の絵の構図はこれに決まりね」
胸を押さえる私の腕の中で、お嬢様は目をカッと見開きながらお二人の様子を観察している。
「ああ……行ってしまうわ……はあ、私たちも部屋に戻りましょうか。記憶が新鮮なうちにラフを描いてしまわないと」
ご主人様と奥様が屋敷に戻る背中を見送った後、お嬢様はドレスの裾を叩きながら立ち上がり、ご機嫌な様子で自室へと足を向けた。
◇
「お嬢様、たまには家族三人でお休みになられてはいかがでしょうか?」
その日の夜、お嬢様の寝支度を整えながら、常々気を揉んでいたことを口にしてみた。
私の言葉に、お嬢様はしばし考え込んでから口を開いた。
「うーん、確かに推しに囲まれて眠るひと時は至高だけど、せっかく気兼ねなく話せる仲になってきているんだから、二人の時間を大切にしてほしいのよね」
確かに、お嬢様の言うことも一理ある。
これまで遠慮を重ねてきた二人は今、夫婦としての関係を構築しているところである。
けれど、それと同時に――
「私は、お嬢様含めて家族で過ごす時間も大切にしてほしいと思っています」
「クロエ……っ!」
ご主人様と奥様がフィーナお嬢様を何よりも大切に考えていることはよく理解している。
けれど、物分かりが良すぎるお嬢様は、もっと子供らしく親に甘えてもいいとも思う。
つい瞳を伏してしまった私に、お嬢様がギュッと抱きついてきてくれた。
「お、お嬢様……?」
「うふふ、私は本当に幸せ者だわ。こうして私を第一に考えてくれる素敵な侍女もいて、最高の両親がいて……もちろんウォルの存在も大切よ?」
「ウォルッ!」
自分は? と言わんばかりに足元に擦り寄ってきていたウォルにも微笑みかけ、お嬢様は言葉を続ける。
「私はこの家の人みんな大好きよ。この幸せを守るためならなんだってする。もちろん自分の欲には忠実に、甘えたいときはうんと甘えるわよ?」
得意げに胸を張ってみせるお嬢様。
豪胆とも言えるお嬢様の方がずっと上手で、私の心配なんて瑣末なものだと思わされてしまう。
「それにね、こうしてクロエは素の私を受け入れて変わらずに接してくれたでしょう? 深く追求せずに見守っていてくれる。あなたの存在にどれだけ救われてきたことか……あなたはこっちの世界で初めての推し活仲間だしね」
こっちの世界?
少し気になるところはあったものの、お嬢様の言葉に胸がジンとあたたかくなっていく。
「うふふ、これからも楽しく推し活に励みましょうね?」
「……はい」
胸に迫り上がってきたものをグッと堪え、口元に笑みを浮かべる。
就寝準備が整ったため、部屋の照明を落としてベッドに潜り込む。
「クロエ、おやすみ」
「おやすみなさい、お嬢様。いい夢を」
規則正しいリズムで胸をトントンと叩くと、まもなく寝息が聞こえてきた。
そっと覗き込んだ寝顔は安心しきった表情をしていて、幼い少女の寝顔そのものだった。
言動が大人びているが、お嬢様はまだ五歳になったばかりの少女だ。
お嬢様には幸せになってほしい。
私は、お嬢様の幸せな生活を守る一助となりたい。
そのためには、もっと腕を磨かねば。
私は気持ちを新たに胸に誓うと、布団を被り直してゆっくりと目を閉じた。
クロエの一日後編でした!
自由奔放で自分の欲に忠実に生きるフィーナの良き理解者としてこれからも頑張って欲しいです。
さて、本日12/30で作者は【商業デビュー1周年】を迎えました!ありがとうございます!
2年目は本作含めて2作品の書籍化&コミカライズが控えておりますので、より一層頑張りたいなと思っております。
そう、なんと本作、書籍化だけでなくコミカライズもしていただけます…!
フィーナの推し活が漫画で読める!! 今からとっても楽しみです。
書籍につきましても、今のところ2025年夏頃の刊行を目指して作業進めることとなりました(刊行予定時期言ってもいいって! あくまで予定なので悪しからず)
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。




