第二十六話 ミランダの思惑 ◆sideミランダ(後半)
「本当にごめんなさい! さ、こちらですわ」
「あ、ありがとうございます」
眩いほどキラキラした会場を離れ、照明が控えめで少し薄暗い廊下を進んでいく。
ズンズン前を迷いなく歩くミランダ様は、王城の造りをよくご存知のようだ。
たっぷり葡萄酒を浴びたドレスは重たく、動くたびにふわりと葡萄酒の匂いが鼻腔をくすぐりクラクラする。
確かにこのままでは夜会を楽しむことも、馬車に乗ることも叶わないだろう。ミランダ様の申し出はとてもありがたいことのはずなのに――
どうしてか、ザワザワと胸騒ぎがする。早く着替えを済ませてクロヴィス様の元へ戻りたい。
「ところで……アネット様は家同士が決めた政略結婚だとお伺いしましたわ」
ミランダ様は前を向いたままで、その表情は読み取れない。
「え、ええ。祖父同士が古い知人で、その縁もあってアンソン辺境伯家に嫁ぐこととなりました」
「そうですか……では、恋愛結婚というわけではないのですね。なんでも揃う王都から離れて自然の中で過ごすのは大変でしょう?」
「え? いえ、決してそのようなことは……辺境伯領は緑豊かで空気もとても澄んでおりますし、心穏やかに過ごせております」
心からの気持ちを伝えるも、ミランダ様はクスリと鼻で笑った。
「あら、無理をなさらなくてもいいのに。辺境伯様は国境警備にお忙しくて、一緒に過ごす時間もないのではなくて? ああ、そういえば、幼い子供を養子に迎えられたのですよね? 新婚間も無く子持ちになるだなんて、夫婦としての関係も築ききれないのではないでしょうか……?」
先ほどから随分と踏み込んだことをおっしゃる。
どこか挑発的なミランダ様の態度に、思わずピクリと眉が動いてしまう。
憶測だけで色々と言われるのは、あまり気分の良いものではない。
それに、私とクロヴィス様、それからフィーナが重ねてきた時間を知らない人にとやかく言われる筋合いはない。
息を深く吸って、吐き出し、気持ちを落ち着かせて口を開く。
「……ふふ、とんでもございません。娘のフィーナは愛らしく、成長する様子をそばで見守れる喜びを日々感じておりますわ。クロヴィス様もお忙しい中家族の時間を作ってくださいますし、夫婦関係は良好です。ご心配いただかなくても、私たち家族は幸せに過ごしておりますわ」
「……そう」
ミランダ様はそう言ったきり、黙り込んでしまった。
カツカツと、ヒールの音が廊下に響いている。
しばらくの沈黙が、とても長い時間のように思える。会場からもかなり離れた場所に来たのではないだろうか?
本当にパウダールームがこの先にあるのだろうかと心配になってきたタイミングで、ミランダ様がパッとこちらを振り向いた。
「さ、着きましたよ! 話は通してありますので、ごゆっくり身支度を整えてくださいませ」
にこやかに微笑むミランダ様に半ば押し込まれるように案内された部屋は、確かにずらりとドレスが並び、数名の侍女が控えていた。
侍女の制服は王城務め特有のデザインのため、本当に連れて来てもらえたのかと少し虚を衝かれる。
「ミランダ様、ありがとうございます。みなさま、よろしくお願いします」
「まあまあ! 大変。すぐに染み抜きをしなくてはなりませんね。ささ、こちらでお召し替えを」
部屋に足を踏み入れると、すぐに控えの侍女に取り囲まれてあれよあれよと鏡の前へと誘導される。
戸惑いながら振り向くと、すでに扉の前にミランダ様の姿はなかった。
◇◇◇
「さ、邪魔者は排除したし、今のうちにクロヴィス様とお近づきにならなくっちゃ」
宰相である父の付き添いでよく王城には足を運ぶ。
今日の夜会のために数部屋用意されたパウダールームの中で、一番会場から遠い場所を選んでアネットを連れていった。
「それにしても、一丁前に惚気ちゃって! ふん、きっと強がりね。アネットがあんなに見栄っ張りだったなんて知らなかったわ。今日だって、無理を言ってついて来たに決まっているわ。早くクロヴィス様の愚痴を聞いて差し上げなくっちゃ!」
原作の知識をチラつかせて、夫婦関係の亀裂を突こうとしたけれど、思わぬ反撃に遭って驚いた。
でも、だからこそクロヴィス様は心の内に抱える不満があるはずだわ。
「ふんふーん」
アネットもそれなりに美人だったけど、クロヴィス様は飛び抜けて美しかった。
彼の閉ざされた心を癒し、私たち二人の幸せのためにもたくさん頑張らなくっちゃね。幸い、私には原作の知識があるんだから。なぜかアネットには効かなかったけど、クロヴィス様の悩みは全て把握しているんだから。
会場から離れたパウダールームを選んだため、会場までの距離がもどかしい。
「近道しちゃいましょう」
私は来た時と違う角を曲がった。こうして近道ができるのも、知識があるから。
結局、知識の有無が勝敗を決めるのよ。
足を踏み入れた廊下は、基本的に夜会中に立ち入る想定とされていないため、照明は落とされていて薄気味悪い。
間違って来場者が迷い込まないようにとの措置であり、立ち入りを制限する鎖がかけられているのだが、今は灯りが恋しい。
早く暗い廊下を抜けてしまおうと、ドレスの裾を持ち上げて鎖を跨いで足早に歩みを進める。
この時間、この場所を通る人はいないだろうし、少しお行儀は悪いけれど良いわよね。
そう思っていたのに、視界の端で大きな影が揺れた気がした。そして何やらヒソヒソと声を落として話す声が聞こえる。
「それで、首尾はどうだ?」
「ああ、場所は把握している。この先の階段を上がったところが居住区画になっている。今日は警備が手薄だから、今が絶好の機会だ」
「ふふっ、王子には悪いが、この国の未来のために少しの間辛抱していただこう」
なに? 王子がどうかしたの?
不穏な雰囲気を感じて、ジリ、と思わず後退りをする。
とにかく、ここを離れなくては。
そう思って来た道を引き返し、鎖を跨ごうとして――
――ジャラッ
「あっ!」
つま先を引っ掛けて盛大に転んでしまった。
「いっ……たぁーい!」
顔を床に打ち付けて鈍い痛みが走る。
もう! どうして私がこんな目に遭うわけ!?
これからクロヴィス様とお話しするっていうのに、鼻血でも出たら台無しじゃない!
肩を怒らせながらゲジゲジ鎖を支えるポールを蹴る。
「……おい、こんなところで何をしている」
「……あっ」
先ほどの転倒の音を聞きつけて、暗い廊下の先から男が数人駆けてきた。全員黒い服を身に纏い、暗闇に乗じている様子が見て取れる。
これは、関わってはいけない。頭の中で警鐘が鳴り止まない。身の危険を感じ、冷たい汗が背中を伝っていく。
「べ、別に何でもないですわ。少し道に迷っただけで、何も見ていないし聞いていません」
少しずつ後退りをしながら言い訳をするも、男たちはマジマジとこちらを観察してくる。
「ん? こいつ、見覚えがあるぞ」
「あっ! 宰相の娘じゃないか? 何度か城に来ているのを見たことがあるぞ」
「ふむ……これは、利用できるのではないか?」
「確かに、この女に罪をなすりつければ、忌々しい宰相を失脚させることができるやもしれん」
「ふふ、ふはは! やはり神は我らの味方をしているのだ! おい、捕えろ」
勝手な話をしているが、どうやら男たちの悪巧みに利用されようとしているのだと察することができた。
「くっ」
「あっ! 待ちやがれ!」
私はドレスを翻して全速力で駆け出した。
とにかく、人がいるところに出てしまえば、それ以上追いかけては来ないはず。
顔を布で覆っていて、男たちが誰なのか分からないのが悔しい。
だが、今は逃げることだけを考えなくては。
「もうすぐだわ。誰か助け……んんっ、んー! んー!」
けれど、高いヒールに重いドレスという装いでは、男たちに敵うはずもなく――私は呆気なく腕を掴まれて大きな手で口を塞がれてしまった。




