4.初めての喧嘩
幼年学校の授業は問題なくついていける。というか、その先まで分かる。勉強は少しも苦ではないのに、私が困っていたのは他の子どもたちからの私の扱いだった。
「おまえ、じぶんのこと、『わたし』っていうのかよ。かおもおんなみたいだし、ちんちんついてるのか?」
お兄ちゃんに正式な場では自分のことは「わたし」と言うのだと教えられてから、私はずっと自分のことは「わたし」と言っていた。それを否定されただけでなく、顔が女の子みたいだと言われて、下品なことまで追及されてしまった。
私の顔について、お兄ちゃんもカミラ先生も「可愛い」と言ってくれるのは、私が幼いからと信じていたが、窓ガラスに映った私の顔はどこかファンヌと似ている。髪質もファンヌほどくるくるしていないが、ふわふわで言われてみれば、ファンヌを少し大きくしたような容姿をしている気がする。
もしかして、私は女の子のようなのだろうか。
生まれてから一度もそんな風に言われたことがなくて、驚きで反論できないでいると、私より体の大きい女の子が割って入る。
「ダンくん、そんなこといっちゃダメなのよ。イデオンくんは、にゅうがくしきでさみしくてないちゃったんだから」
それは違う!
否定したいが、上手く言葉が挟めない。
入学式の日に涙ぐんでしまったのは、自分が小さいことにショックを受けたからであって、保護者と離れたのが寂しかったわけではない。お兄ちゃんを抱っこできるくらい大きくならなかったらどうしようと不安になっただけなのだ。
それを説明したところで分かってもらえると思っていないので、言葉が出ないでいると、赤毛のダンくんと私より体の大きな栗色の髪のフレヤちゃんが、私そっちのけで口喧嘩を始めた。
「おんなみたいだなんて、おんなをばかにするようなこと、いわないでよね!」
「うるせぇなぁ。これだから、くちうるさいおんなはいやなんだよ。うちのかあちゃんも、うるさいし」
「おかあさんがこわいなんて、こどもね」
「なんだと? イデオン、おまえ、おんなにまもられてはずかしくないのか?」
あ、喧嘩がこっちに戻って来た。
フレヤちゃんは私の味方のようだけれど、ダンくんは入学式の日も私が馬車で登校しているのを嫌そうに見ていたし、貴族が嫌いなのかもしれない。
「じぶんのことを、『わたし』っていうのは、とてもていねいなしゃべりかたなんだよ。えらいひとのまえでは、みんな、じぶんのことは『わたし』っていってるよ」
「じゃあ、おれがえらいから、おまえはいま、じぶんのことを『わたし』っていってるのか?」
「そういういみじゃないよ。おおやけのばでは、『わたし』っていったほうがいいって、おにいちゃんが……」
「おにいちゃんのいいなりかよ」
ちょっと、ムカッとした。
私自身を侮辱するならばともかく、お兄ちゃんのことまで言われてしまうと腹が立つ。どうやってダンくんを黙らせようかと考えている間に、ダンくんの嫌味はエスカレートしていく。
「おまえ、ルンダールのこになってるけど、ほんとうは、みんなをくるしめたまえのとうしゅのこなんだろ。しってるんだぞ」
「そうだけど、それがなにか?」
私の父親の愚行で領民が苦しめられたことは、私もよく分かっているし、それについて責められるのならば、受け止めるつもりだった。何でも言えばいいと身構えていると、フレヤちゃんが口を挟んでくる。
「イデオンくんは、カミラさまとりょうしんをおいだしたのよ。そんなこともしらないの?」
「うるさい! おとこどうしのはなしに、おんながくちをだすんじゃない!」
あれ?
もしかしてダンくんは、家では「大人同士の話に子どもが口を出すんじゃない」なんて言われているのだろうか。子どもは大人の言動を映す鏡だ。フレヤちゃんの両親はフレヤちゃんに私が両親を断罪した結末までしっかりと話しているようだが、ダンくんは断片的にしか知らないのかもしれない。
考察している間に、ダンくんは私に詰め寄っていた。
「おまえのにいちゃん、くさくてきたなかったんだって? おまえもくさいのか?」
ぷつんと、私の中で何かが切れた気がした。
反射的にダンくんに飛びかかっていた私は、自分よりもずっと体の大きなダンくんを床の上に倒す。倒されてもダンくんは負けておらず、すぐにひっくり返された。
馬乗りになって殴られて、私は両腕で顔を庇う。殴り合いの喧嘩をしたことがない私には、飛びかかるだけで精いっぱいだった。本能的に頭を庇っていると、ダンくんが引き剥がされる気配がした。
両腕を退けて見上げると、フレヤちゃんがソーニャ先生を呼んで来てくれていた。
「どうしてこうなったのか、二人の口からききたいのですが」
「イデオンがとびかかってきたんだよ」
「いいたくありません」
お兄ちゃんが臭くて汚かったなんて、そんなこと口に出したくもない。幼年学校で苛められて仲間外れにされて、お兄ちゃんは孤独だった。それはお兄ちゃんのせいではなくて、私の両親がお兄ちゃんにお風呂を自由に使わせてあげなかったり、衣服を潤沢に与えてあげなかったりしたせいなのだ。
そんなことを話して、お兄ちゃんを貶めるようなことを、私はしたくなかった。
「イデオンくん、ダンくんに飛びかかったのですか?」
「そうです」
「理由があるのでしょう? フレヤちゃんに聞いてもいいですか?」
「わたしは、なにもいいたくありません」
結局フレヤちゃんが私とダンくんの喧嘩の様子をソーニャ先生に伝えて、ダンくんも叱られることになったのだが、当然、私も叱られた。
「正義を行ったつもりでも、その理由が口に出せなければ、誰にも理解してもらえませんよ」
「このことは……」
「保護者の方に来てもらって、話を聞いてもらいます。その前に、保健室に行きましょうね」
ソーニャ先生の言葉で、私は自分の唇が切れていることに気付いた。興奮しすぎて、痛みなど感じている余裕はなかった。お兄ちゃんもこの幼年学校に通っていたので、お兄ちゃんの噂を知っているひともいるだろうが、お兄ちゃんを侮辱する言葉を私は許すことができなかったのだ。
保健室でうがい薬でうがいをして、唇の端に薬を塗ってもらう。
「しばらく飲食するときに沁みるかもしれませんよ」
保健室の先生は優しく私の腫れた頬を冷やしてくれた。
放課後、馬車で駆け付けたカミラ先生とお兄ちゃん、農家の仕事から抜けて来たダンくんのお父さんとお母さんに、ソーニャ先生は今日の喧嘩の説明をした。
「最初はダンくんがイデオンくんの喋り方や、容姿について揶揄って、最終的に、イデオンくんのお兄様のことを侮辱されたのがきっかけで、イデオンくんが先に飛びかかってしまったようです」
「イデオン、僕のことで?」
「ごめんなさい……おにいちゃんについていわれて、かっとなっちゃった」
私が謝ろうとダンくんに向き直ると、ダンくんはお父さんとお母さんから物凄く叱られていた。
「どうしてあんたは、そう喧嘩っぱやいの」
「いつも弟泣かせて。イデオンくんが小さいから、弟みたいに泣かせようとしたの?」
「あいつ、なかねぇんだもん」
「相手はルンダール領の領主様の子どもなのよ」
責められるダンくんに、それは何か違うような気がして、私は口を挟んだ。
「わたしがルンダールのこであることは、かんけいありません。おなじようねんがっこうにかよう、クラスメイトです」
「あんたよりよっぽど大人じゃないの」
「本当に申し訳ありません。大事なご子息に怪我を負わせてしまって」
「さきにてをだしたのは、わたしです」
私がルンダール領の当主の家の子どもであることは、今回の喧嘩には全く関係がなかった。言葉で酷いことを言われたとはいえ、手を出してしまったのは私だし、喧嘩両成敗という言葉もある。
ダンくんを全部悪いように言うお父さんとお母さんも、何かおかしい気がした。
「イデオンくんはこの学校の生徒で、ダンくんもそうです。喧嘩に身分は関係ありません」
「その通りです」
カミラ先生の言葉に、ソーニャ先生も同意してくれる。
ダンくんが私にちょっかいをかけるのは、もしかすると、家で嫌なことがあるのかもしれないと、私は思い始めていた。それはそれとして、お兄ちゃんを侮辱したのは許せないのだが。
「子ども同士の喧嘩です。無理に仲直りさせても、心から思っていないと意味がありません。ただ、イデオンくんは飛びかかったことを、ダンくんは嫌な言葉をたくさん言ったこととイデオンくんに怪我をさせたことを、反省してください」
それに、こういうことがあれば今後は先生を呼ぶようにと言われて、その日は帰っていいことになった。帰りの馬車の中で、お兄ちゃんのお膝に抱っこされると、じわりと涙が滲んでくる。ガタガタと馬車の轍が石畳の上で回る音が聞こえるなか、私は俯いて涙を堪えていた。
「ごめんなさい、おにいちゃんのこと、くさいとかきたないとか、どこできいたのかしらないけどいったから、どうしてもゆるせなくて」
「僕が臭くて汚かったのは本当だからね」
「ほんとうのことだからって、わらいものにしていいことじゃないでしょう?」
顔を上げるとお兄ちゃんの青い目が見えて、堰を切ったかのようにぼろぼろと涙が零れる理由がよく分からない。
悔しいのか、腹が立っているのか、お兄ちゃんの名誉を守れなくて悲しいのか、情けないのか。
「イデオン、僕のためにありがとう」
「喧嘩は良くありませんが、子どものうちに経験しておくべきことでもありますからね」
お兄ちゃんは感謝してくれたし、カミラ先生も私のことを叱ったりしなかった。
ダンくんは今頃、お父さんとお母さんとどんな話をしているのだろう。弟がいると言っていた。弟との関係はどうなのだろう。
涙を拭いてもらって、お兄ちゃんの膝に抱き締められて、私はダンくんのことを考えていた。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。




