38.呪いと毒素
咳が止まらなくて、寒気がして目が開けられない。お屋敷に連れて帰られた私とビョルンさんは、すぐに駆け付けたエレンさんに診てもらって、薬を処方されたが、それも飲めるような状態ではなかった。咳が酷くて、薬を飲み込むことができない。特にビョルンさんは意識がなくて、呼んでも反応がない状態だったという。
私はうっすらと意識があったが、目も喉も腫れあがっている状態で、目が開けられず、声を出そうとしても咳しか出て来ない。
死んでしまうのだろうか。
寒気と頭痛と喉の痛みと腫れあがった顔の痛み……もうどこが痛いのか分からない。枕元でファンヌとヨアキムくんが泣いている気配は感じるのだが、反応してあげる余裕もなかった。
「にぃたま、ちんじゃうの?」
「やー! いでおにぃに、ちんじゃ、やー!」
大声を上げて泣いているヨアキムくんと、ぽろぽろと涙を零すファンヌ。見えていないが、声と顔に落ちてくる雫で状況はなんとなく分かっていた。お兄ちゃんの手が、私の手を握る。
「死なせない。イデオン、お願い、死なないで。僕の声が聞こえたら、手を握って?」
お兄ちゃん。
答えたいが声が出ない。
必死に力を入れてお兄ちゃんの手を握ると、そこにぽたぽたと雫が垂れて来た。お兄ちゃんも泣いているのだ。
「薬が飲めないなら、別の方法を取るまでです!」
エレンさんの言葉に、お兄ちゃんたちが動き出す。私は裸にされて、子ども部屋の小さなバスタブにつけられていた。すぅっと清涼感のあるお湯の中に入ると、どこが痛いのかも分からないくらい腫れている顔も体も、少しはマシになってくる気がする。
同時に蒸気にした薬も吸わされて、喉の痛みが和らぎ、ようやく咳が止まった。
「びょ、るん、さん、は?」
必死に庇ってくれたので、私よりも酷い状態のはずのビョルンさん。彼がどうなっているか気になって、まだ目は開かないが声を絞り出すと、エレンさんが答えてくれる。
「カミラ様が診ていてくれます。幸い、成人男性で、あなたより体が大きかったので、あなたより軽症です」
私を守ってくれたビョルンさんは、私よりも体が大きいので、症状が軽かったという。守られていなければ、私は死んでいたのではないだろうか。ぞっとする私の手を、ずっとお兄ちゃんが握っているのを感じる。
「イデオン、しっかりして。お願い、僕を置いて行かないで」
「お、にいちゃ……」
薄く目が開けられると、お兄ちゃんは髪もぐしゃぐしゃで、涙に濡れた青い目で、私のことを見つめていた。
死んではいけない。
死にたくない。
ビョルンさんも死なせてはいけない。
これだけエレンさんがしてくれているのだ、きっと大丈夫だろうと言おうとしても、声がうまく出ない。
お兄ちゃんの手の温もりを感じて、私はまた意識を失っていた。
私が眠っている間に、ビョルンさんの方は回復したようだった。体が小さいということは、それだけ毒素や呪いに弱いということなのだ。自分の無力さに打ちのめされる私だが、誰も私を責めなかった。
「いでおにぃに、おはな」
「ヨアキムくんと、なおるように、おいのりしてうの」
臥せっている間、ファンヌとヨアキムくんは何度も私の枕元に来てくれる。喉も鼻もやられているので、花の香りは感じられなかったが、ヨアキムくんの持ってきてくれるお花は、開くようになった目で見られるので、かなり慰められた。
「イデオンくんが、マンドラゴラを馬車から投げていなければ、私も助かっていなかった。イデオンくん、早く良くなってね」
回復したビョルンさんが、病み上がりなのにエレンさんと交代して、私を診てくれる。薬草湯に入って、薬を蒸気で吸い込んで、かなり喉が良くなった私は、ベッドに支えられて座って、薬を飲めるようにまで回復していた。
「なんにち、たちました?」
「四日だよ。もう命に別状はない。よく頑張ったね」
「ビョルンさんが、かばって、くれたから」
長く喋ると咳が出るので、手で制されて、ビョルンさんが「守れなくてごめん」と謝る。あれは私の不注意から始まったことなのだから、仕方がないと思うのだが、ビョルンさんは責任を感じているようだった。
「相談役も辞めようかと思っている」
「だ、め……それくらい、なら」
言葉を続けようとしても、咳が出て止まらない。
カミラ先生が部屋の中に入ってきて、私の手を取った。
「マンドラゴラで位置を知らせてくれて、本当にありがとうございました。ビョルンさんも、あなたが守ってくださったから、イデオンくんはこんな小さな体で、あれだけの毒素を吸いながら、生きて戻れたのです」
「ですが、カミラ様にご迷惑をおかけして……」
「迷惑をかけたと思うなら、返してくださればいいんですよ」
「は、裸も、見られたし……」
「それは、治療行為ですから、お気になさらず」
どうやら、ビョルンさんも薬を飲める状態ではなかったので、薬草湯に入れて、蒸気を吸わせていたようだった。健康な成人男性で、身体が大きい分吸った毒素の割合が低く、軽症だったので、回復も早かったビョルンさん。
「せ、きにん、とって、カミラせんせい、けっこん、したら」
「まぁ、イデオンくんったら、咳き込みながら、何を言うのですか?」
裸を見た責任をとる案を口にできるくらいには、私は回復していた。私の発言にカミラ先生が、頬を赤らめて止めようとする。そこでおずおずと口を開いたのが、ビョルンさんだった。
「あの……私は攻撃の魔術は使えません。勇敢にも戦えません。その分、カミラ様の強いところ、勇敢なところに惹かれています。どうか、私と」
ビョルンさんが真剣な眼差しで、震える手でカミラ先生の手を取る。
「こんな情けなくて、弱い私でも、カミラ様のお役に立てるなら、一生お傍に置いてください」
プロポーズだ!
大喜びしたかったが、ベッドから自分だけで起き上がれない私は、聞いていたファンヌとヨアキムくんとリンゴちゃんが飛び跳ねるのを見ていることしかできなかった。
最初は私の大失態から窮地に陥ってしまったが、最後はめでたしめでたしなのだろうか。
翌朝には、私は起きられるようになって、ほぼ完全復活していた。
私の調子が悪い間、ずっと付いていてくれて、魔術学校も休んでいたお兄ちゃんは、ほとんど寝ていなかったようで、隣りのベッドで眠っていた。私も体力が完全に戻ったわけではないので、ベッドで食事をして、眠る。
目が覚めると昼前で、私はまだ掠れた声でお兄ちゃんにお願いした。
「かみがべたべたするの。おふろにはいりたいな」
「もう入っていいか、ビョルンさんに聞いてくるね」
攫われた日からお屋敷に滞在しているビョルンさんに聞いてきたお兄ちゃんは、赤い顔で戻って来た。
「叔母上と良い雰囲気だったのに申し訳なかった……」
「いいかんじなの?」
「うん、なんか、ラブラブだった。あ、お風呂良いって」
抱っこしてバスルームに連れて行ってもらって、髪を洗ってもらう。バスタブに浸かると、お兄ちゃんもシャワーで髪と体を洗っていた。
バスタブに入って、お兄ちゃんが私と額を合わせる。
「死んでしまうかと思った……僕は、父を物心つく前に失って、母もイデオンと同じ年の頃に失って……イデオンまでいなくなったら、生きていけない」
「おにいちゃん……しんぱいかけてごめんなさい」
「イデオンが悪いんじゃないのは分かってるけど、命を大事にして。僕にとっては、かけがえのない弟なんだからね」
「はい」
お兄ちゃんは泣いていた。
青い瞳からほろほろと涙が零れる。
それを見て、私も堪えきれずに涙を流した。
身内に不幸の多かったお兄ちゃん。アンネリ様の両親ですら、アンネリ様が幼い頃に亡くなって、お兄ちゃんは顔も見たことがない。最近になってオースルンドのお祖父様とお祖母様に会ったけれど、それも一度きりで、やはり縁の深い身内と言えば私とファンヌとカミラ先生になるのだろう。
「イデオンが僕の元に来てくれて、僕の人生が変わった。どれだけ感謝しても足りない。だから、イデオン、僕の傍にいて。絶対に僕より先に死なないで」
お兄ちゃんと私の年の差は10歳。順当にいけばお兄ちゃんが先で私が後に死ぬのだろう。
絶対というのは命のことだから約束はできないが、お兄ちゃんが安心するのならば、私は今まで以上に自分を大切にしようと誓った。
「おにいちゃん、ずっとそばにいる」
大好き。
二人きりのバスルームで、私は泣くお兄ちゃんを小さく細い腕を伸ばして、必死に抱き締めていた。
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