番外編その1 ケイトの場合1
本編41話あたりのお話です。
「……ベンジャミン様!」
ケイトは部屋の中に駆けこんだ。第二王子、いや前国王が殺された今となっては王位継承権第一位を持つ王弟となったベンジャミン王子はゆったりと本をめくっていた。
「おお、ケイトか」
血まみれの王宮、その奥の私室で、何事もなかったかのようにニコニコしている主の姿にめまいがした。
「おお、じゃありません! あなた……こんな事態だというのに、まだ本なんて読んで……」
「仕方ないだろう。警備の関係で私室から動かずにいるだけでも褒めてほしいものだ」
おっしゃる通りだ。この本の虫ときたら四六時中、図書館にこもっている。
今回も助けに向かった騎士に探索の手間をかけたという。
「…………もう……何とも思わないのですか、あなた、担ぎ上げられるところだったのですよ」
「勝手に知らないところで担ぎ上げられて、勝手に父親が殺されて……うん、ビックリするほど何も感じない」
「…………」
ベンジャミンはそういう男である。
ケイトはよく知っている。
「ああ、そうそう、元聖女カレンの回復は著しく。そろそろ城下に戻れるそうだよ」
「……カレンちゃんが。そうですか、何よりです」
「もっと喜んでやりなよ、友達だろう?」
友達、ケイトにはもっとも縁遠い言葉だ。
「……ただの顧客と従業員ですわ」
「冷たい女だ」
「あなたに言われたくありません! ……クラリス様のことだって……」
「……ただの学友だ。学友だった」
ベンジャミンは肩をすくめると読書に戻った。
「あ、あの、わたくし、今日は指示をもらいに来たのですが!」
「指示ねえ……。うーん、とりあえずクラリスの部下は一掃できてしまったし、王宮の指揮系統は兄上の元で色々と変わるだろうし、元聖女カレンと母上も、父上亡き今、大手を振ってやり取りできるだろうし……指示はないな!」
「ないのですか!」
「ないねえ」
ケイトはため息をついた。
彼女を密偵として育て上げたのはベンジャミンの護衛騎士を務める父親だ。
第二王子。場合によっては王位継承も狙える位置にあるベンジャミンを守るにあたって、ケイトの父が重視したのは情報戦だった。
ケイトは幼い頃から、密偵としての振るまいと貴族女性としての振るまいのふたつを叩き込まれて生きてきた。
厳しい教育に時には顔も知らないベンジャミン王子を恨んだこともあった。
しかし、ベンジャミン王子と初めて顔を合わせた10年前、認識が変わった。
「こいつを恨んでもしょうがない」ケイトはそう思った。
ベンジャミンは、なんというか、なんとなくだけど、そういう男だったのだ。
そして、ベンジャミンと自分は似ているような気がした。
どことは分からなかった。
だけど、8年前のこと、聖女カレンが王宮に上がり、ベンジャミンと偶然にも顔を合わせた。
そして彼女は驚いて呟いた。
『あの方、人間より、自分のお母様より、本が好きなの!?』
そうなのか、とケイトは納得した。
ベンジャミンは本が好き。人に好き嫌いの感情を持たない。
その気持ちが、ケイトには分かった。
ケイトもまた、人に好き嫌いの感情を持たなかったから。
多分、幼い頃から本好きだったベンジャミンとは違って、ケイトのそれは恐らく後天的なものだった。
何故なら、まだ母が生きていたとき、ケイトは母が好きだったから。
父は怖くてずっと苦手だ。
代わりに好きになったのが、お金だったのは、それが父からの報酬だったからだ。
密偵として、貴族として、教育を終えるごとに父はお小遣いをくれた。
それだけが父から与えられるプラスのものだった。
だから、ケイトはお金が好きになった。
お金はいい。
人と違って嘘をつかない。隠し事もしない。
だから偽金は嫌いだ。大嫌いだ。
「……はあ」
「ああ、そうだ。そうだった。元聖女カレンを市井で襲った輩がいたそうじゃないか」
「ああ……」
あれはクラリスとは関係がない。
しかし、表向きはクラリスと関係があるとして処理されそうになっている。
どうしたものかとケイトは悩んでいた。
「あの件についてでも調べてくれよ、そしてラッセルに恩を売ってやろう。そうしよう」
「弟君に……ですか?」
「あいつには、いくつか恩を売っておいた方が良さそうだからね……最悪、王位継承権を押し付けてやる」
「……武芸ばかりを磨いてきた男に、それが務まるとは……」
まだ本を読んでばかりいた男の方がマシではないだろうか。
「務めてもらわねば困るよ。僕に王なんてさせられない。そうだろう? ケイト」
「……まあ」
父の思惑とは違い、ベンジャミン王子に王の器はなかった。
まだ武を以てことをなすラッセル王子の方が王にふさわしいと思えるくらいに、ベンジャミンほど王が似合わない男もいない。
「……それでも、それでも、あなたは今、王位継承権第一位を持つお方、どうか、足元すくわれぬよう……」
「ありがとう、ケイト」
ベンジャミンは微笑んだ。
その笑顔のために、ケイトは生きていた。
「元聖女カレンに会っていかないのかい?」
「……彼女とは、出来る限り、顧客と従業員でいたいので」
うっかり、ベンジャミンと一緒にいるところを彼女に見られるのだけは嫌だった。
ケイトが唯一好きだと思える人間、ベンジャミンと一緒にいるところなど、絶対に見られてはいけない。
「それでは、失礼します」
「うん、またね」
『また』を約束し合える。それはどれほど幸せなことだろう。そう思いながら、ケイトは王宮から立ち去った。




